米国・日本の北朝鮮交渉は混迷

 米朝交渉が難航している。その最大の原因は、6月12日の米朝首脳会談においてトランプ大統領が金正恩(キム・ジョンウン)委員長に約束した朝鮮戦争の終結宣言への署名が行われていないからだ。

将校
板門店(パンムンジョム)の朝鮮人民軍将校(2016年8月21日撮影)

 首脳会談前にホワイトハウスを訪れた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金英哲(キム・ヨンチョル)党副委員長兼統一 戦線部長に対しても、同様の約束をしていた。これがあったため、北朝鮮は大胆な譲歩をすることを決断した。

 ところが現在、米国内ではジョン・ボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当)とジム・マティス国防長官らの北朝鮮への強硬派が巻き返した。つまり現在の膠着状態は、米国が国内事情によって約束を履行していないことにある。

 米朝の仲介役である韓国。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の外交ブレーンである文正仁(ムン・ジョンイン)統一外交安保特別補佐官は9月3日、朝鮮戦争の終結宣言は採択しても撤回可能と表明。トランプ大統領が約束を履行しやすいように後押しをした。

 米国だけでなく、日本の北朝鮮との交渉も混迷している。米国の「ワシントン・ポスト」(8月28日付)は、7月に日朝がベトナムにおいて極秘接触をしたと報じた。日本からは安倍首相の側近中の側近の北村滋内閣情報官で、北朝鮮は朝鮮労働党統一戦線部の金聖恵(キム・ソンヘ)策略室長。つまり、両国の情報機関による協議だった。

 日本の外務省は7月1日付で、北朝鮮を専門に担当する北東アジア第2課を創設したばかりだ。にもかかわらず、北朝鮮との交渉で外務省は外されて情報機関が行った。ベトナムでの極秘接触が明らかになったのは、これに不満を持った外務省関係者がリークした可能性が高い。

 米国と日本の政治家・官僚たちは、北朝鮮が核・ミサイル開発をしなければならなくなった理由をまったく理解していない。政府内で主導権争いをしていたならば、昨年の危機的状況を再び招くだろう。

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北朝鮮 返還の米兵遺骨で明らかになった日本外務省の無知

 米朝首脳会談の合意により、朝鮮戦争(1950~53年)の休戦協定締結から65年の7月27日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)はこの戦争で死亡した米兵の遺骨55体を11年ぶりに返還。米国務省のナウアート報道官は、北朝鮮から金銭の要求はなく米国は返還費用を払っていないとした。


三合里
三合里の人民軍基地内にある日本軍将兵の埋葬地での発掘調査(2012年9月5日撮影)

 これらの遺骨は、ホノルルの「米国防総省捕虜・行方不明者調査局(DPAA)」の研究所で調査を受けている。かつて返還された遺骨では、DNA検査によって米兵だけでなく韓国兵の身元が判明したケースもあり、遺族へ返還されている。

 ホノルル訪問中の河野太郎外相は8月22日、「DPAA」を訪れて遺骨調査のようすを視察した。「河野外相は、研究所の責任者に『我々の戦士についても確認作業をしていただいていることに感謝します』と語った」(「朝日新聞デジタル」8月23日付)という。遺骨の中に日本の将兵のものがあるかどうか、調査依頼をしているということのようだ。

 だが、米兵遺骨の中から日本兵のものが見つかることなどありえない。そう思っているのなら、北朝鮮の大地に眠る日本人遺骨の状況を、外務省はまったく理解していないということだ。

 1945年8月の日本敗戦によって、ソ連管理下に置かれた朝鮮半島の北緯38度線北側に日本の民間人と日本軍将兵が残された。その年から翌年にかけて伝染病や寒さと栄養失調で、民間人約2万4000人、将兵約1万600人の合計約3万4600人が死亡。実際にはもっと多いと思われる。

 日本への引き揚げ時に持ち帰られた遺骨は約1万3000人分といわれており、それ以外の約2万1600人分は今も北朝鮮各地に残っている。判明している埋葬地だけでも71カ所もある。

 民間人と将兵は各地の収容所へ入れられ、死亡するとそこへ埋葬された。私は2012年8月に5カ所で行われた発掘調査を取材。どこも、大きな壕に遺骨が隙間なく並んでいた。墓地の形になっているのは、平壌(ピョンヤン)郊外の龍山(リョンサン)だけである。

 ソ連軍の捕虜となった日本軍将兵が収容されたのは平壌近郊の三合里・美勒洞・秋乙、地方都市では古茂山・富寧・宣徳・富平・五老里・咸興・興南。規模の大小はあるものの、それぞれに埋葬地があると思われる。

 このように、日本の民間人や将兵の埋葬地はその位置がほぼ特定されている。朝鮮戦争で戦死した米兵がどのような形で埋葬されたのか不明だが、それが重なったことはあまり考えられない。それよりも、米国へ返還された遺骨の中にアジア人のものがあったならば、それは一緒に戦った韓国兵のものだろう。

 2012年からの北朝鮮への日本からの墓参団は、12回で約100人の遺族らが参加。同行取材したマスメディアはその数を上回る。こうしたことがあったにもかかわらず、日本政府は日本人埋葬地の現地調査を実施していない。

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建物建設などで見つかった日本人遺骨10人分が、最近になって移された興南の日本人「墓地」(2018年2月23日撮影)

 私は昨年8月と今年2月に興南(フンナム)の埋葬地を取材したが、2012年とすっかりようすが変わっていた。地方都市でも開発事業が進んでおり、日本人埋葬地が次々と消えようとしている。

北朝鮮ツアー 日本人拘束と押し寄せる中国人

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の中国・米国・韓国との首脳会談の結果、北朝鮮観光のツアー客が急増した。6月末にみた平壌(ピョンヤン)市の土産物店は、中国人観光客であふれていた。“爆買い”していくので、団体が三つもやって来たら商品を補充する必要があるという。

 平壌市の中心部には、朝鮮戦争に参戦した中国人民義勇軍の戦死者を追悼する「友誼塔」がある。塔の横を通りかかった際、まっ赤な花がたくさん捧げられているのが見えた。それが気になり、すぐに訪ねた。「中国人参観者は、1日200人だったのが今では500人になりました」とここの案内人は語る。

板門店の売店
板門店の売店にあふれる中国人観光客(2018年6月29日撮影)

 そればかりか、韓国と軍事的に対峙している板門店(パンムンジョム)は、溢れるほどの中国人で“観光地”と化していた。駐車場にバスが入り切らないほどだという。朝鮮戦争の休戦協定調印場で、アイスクリームを食べながら見学している中国人たちがいるのを不思議に思った。なんとそこには、テントの売店が設置されていたのだ。

 8月11日に、日本人ツアー客の拘束が報じられた。映像関係者とのことなので、それが私ではないかと何人かの知人が心配して電話してきた。拘束されているのは、映像クリエーターの杉本智之さん(39)。北朝鮮の西海岸にある港湾都市・南浦(ナムポ)で軍事施設を撮影した疑いをかけられているという。

 北朝鮮へ入国するには、いくつかの方法がある。私の場合は取材をするためなので、政府系機関から「招聘(しょうへい)状」を出してもらって入国。それ以外には、観光客として入る方法がある。北朝鮮で海外からの観光客を受けているのは「朝鮮国際旅行社」。拘束された杉本さんは、欧州系の旅行会社のツアーに参加していたという。

 政府系機関のルートでなく、観光客として入って取材している日本人の写真家や北朝鮮研究者がいる。その理由は、行動の制約が緩いからである。映像クリエーターの杉本さんが北朝鮮を訪れた理由には、北朝鮮の人々の日常を自然に描いた映画「ワンダーランド北朝鮮」の公開などがあるかも知れない。

 今回の拘束を「日本政府との交渉カード」「日本への揺さぶり」と報じているメディアもある。だが「人民軍」や警察にあたる「人民保安省」といった機関は、外国人であっても違法行為を見つければ容赦なく摘発する。いままでの米国人や日本人の拘束は、政治的思惑と関係なく行なわれてきたと思われる。

 政府系機関から「招聘」された私でも、平壌空港の入国審査と税関で調べられたことが2度もある。取り調べ室に移動し、多数の係官に取り囲まれて厳しく尋問された。私にまったく落ち度がないことがわかり、いずれも1時間ほどで解放された。

 自らが受け入れた客が取り調べを受けたり拘束されたりした場合、その機関はとりあえず弁護するだろう。しかしその力は、軍や警察に対してはあまりにも限られている。ましてや、政府機関でない旅行社には何もできないだろう。

 北朝鮮は、8月11日~9月5日まで外国人観光客の受け入れを中止すると発表。それは、押し寄せる中国人観光客の受け入れ態勢を整備するためかも知れない。また、拘束事件を起こしてしまった「朝鮮国際旅行社」へのペナルティーということも考えられる。

 「軍事施設と軍人は絶対に撮影しないように!」と、初入国の外国人は必ず言われる。朝鮮戦争は、まだ終わっていない。圧倒的軍事力を持つ米国と韓国からの攻撃に備え、北朝鮮は厳戒体制を続けてきた。緊張がゆるんだ今でも、それが継続していることを忘れてはならない。

北朝鮮 猛暑の農作物への影響は

 世界的な猛暑が続き、8月3日にはスペインのエル・グラナドでは46・4度になった。日本海(東海)の海水温が高いため、それに面する日本や朝鮮半島では高温が続いている。

水泳場の人々
平壌市内にある「紋繍(ムンス)遊泳場」で遊ぶ人たち(2018年6月27日撮影)

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「労働新聞」2日付は、7月下旬から35度を超えるなど気象観測開始以来の高温を記録し、7月30日には慈江道(チャガンド)で40・7度に達したと伝えている。「前例のない自然災害」によりイネやトウモロコシなどの農作物が被害を受け始めており「総力をあげて闘う」と宣言。

 6月下旬に、平壌市内にある「紋繍(ムンス)遊泳場」へ行ってみた。雨が降っていたので屋外プールで泳いでいる人は少なかったが、屋内は平日にもかかわらずたくさんの人でにぎわっていた。

 私は十数年前に地球温暖化による海面上昇について、マーシャル諸島・ツバル・フィジーで取材。世界の国々が自国の利益を優先して温室効果ガスの大胆な削減ができなければ、地球環境はとんでもない状況になると確信した。

ミリ島の倒れたヤシの木
マーシャル諸島の海岸が海面上昇によって侵食されている(2001年9月撮影)

 干ばつと水害が次々と襲う時代は、私の予測よりもはるかに早くやってきた。年によって差はあるものの、こうした異常気象は「日常」となるだろう。

 北朝鮮の農業は、化学肥料やポンプによる灌漑を減らすなど石油に依存しない「自力更生農業」として成果を上げてきた。しかし長期の制裁を受けてきたことで生産体制に余裕がないため、深刻な自然災害は農作物生産量を間違いなく減らすだろう。

北朝鮮 ライトアップされた高層アパートと行き交う人びと

 『週刊金曜日』2018年7月27日号(同日発売)の表紙に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌(ピョンヤン)で今年6月30日に撮影した黎明(リョミョン)通りの夜景を掲載する。

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 黎明通りは、昨年4月の金正恩(キム・ジョンウン)委員長によるテープカットの取材から何度も訪れていた。暗くなってライトアップされた高層アパートが立ち並ぶようすを、すぐそばで撮影することを計画。近くの飲食店で、外の明るさを見ながら待機した。

 停車するために、アパートの裏側へ車がゆっくりと入っていくとたくさんの人が行き来していた。アパートの1階には、商店の色の異なる明かりが並ぶ。車から降りて表通りへ移動すると、職場や学校から帰宅する人たちがあわただしく行き来している。お年寄りが、部屋から持ってきたであろう小さな椅子に座り、そのようすを眺めている・・・。

今まで平壌や地方都市の住宅地でこうした生活感のある光景を何度も見てきたが、70階建ての最新アパートでも同じであることに少し驚いた。緩やかであっても、国内経済を着実に発展させていることを強く感じさせられる光景だ。

黎明通り夜景
黎明通りの夜景(2018年6月30日撮影)

 国連安保理と日米韓による厳しい制裁を受けながらも、街を走る車の量に変化はなく、市内の主要施設での大規模なライトアップは今も続いている。他国に依存しない「自力更生」政策が、制裁に耐えられる社会にしたようである。
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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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