北朝鮮 里帰りを熱望する在朝日本人妻たち

 『週刊金曜日』2018年6月8日号に掲載した記事を紹介する。

 朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と米国との激しい駆け引きが続いている。一方で、朝鮮敵視政策を続けてきた日本政府は、交渉の糸口さえ見いだせずにいる。そうしたなか、日本への里帰りを強く望む人たちが朝鮮にいる。在朝日本人妻7人と1人の遺族を、首都・平壌(ピョンヤン)と地方都市で時間をかけた取材をした。

在朝日本人
咸興(ハムフン)で暮らす在朝日本人たち(2018年2月22日撮影)

 半年後に、こうした形で「再会」するとは思っていなかった。昨年8月にこの部屋でインタビューした時には、寡黙ながらも日本へ再び里帰りする希望を語っていた。その人は今、小さな額縁の中におさまっている。岩瀬藤子(朝鮮名:リ・ミヒョン)さんが亡くなったのは今年1月3日。偶然にも、その日は78歳の誕生日だった。
 岩瀬さんの息子のキム・テソンさん(40歳)は「『日本は地理的に近いが遠くて行けない国』とお母さんが言ったことがあります。高齢になって、故郷を思い出したのだと思います」と語る。1人の日本人が、望郷の念を抱きながら亡くなってしまった。
 朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市は、首都・平壌から車で5時間以上かかる。私はそこを、昨年4月からの1年間に4回も訪ねた。この地に、たくさんの日本人女性が暮らしているからだ。彼女たちは「咸興にじの会」という日本人の親睦団体を結成し、岩瀬さんは副会長をしてきた。この会は建設現場へ支援物資を送る活動もしている。「お礼の返事はあるのか」と私が質問すると、「くる時もあれば、こない時もある」と岩瀬さんがぶっきらぼうに答えたので、その場にいた日本人妻たちと大笑いをした。
 この「咸興にじの会」の会長は、日本敗戦前から朝鮮で暮らしてきた85歳の荒井琉璃子(朝鮮名:リ・ユグム)さん(『週刊金曜日』「大国に翻弄され続けた“最後の朝鮮残留日本人”」2017年12月8日号参照)。
 「亡くなってすぐに家へ行き、顔を撫でてあげました。本当に寂しいですね。残念です。1人また1人と亡くなってしまうので・・・」
荒井さん宅に集まった3人の日本人妻が、その言葉にうなずく。咸興ではこの半年で、岩瀬さんの他にもう1人亡くなったという。
私が今年2月に取材を予定していた日本人妻4人のうち、2人も死亡していることが平壌へ着いてからわかった。それが岩瀬さんと、日本へ帰国したものの朝鮮へ戻った平島筆子(朝鮮名:アン・ピルファ)さん(79歳で死亡)である(『週刊金曜日』「日朝関係に翻弄された劇的な人生」18年3月16日号参照)。

●帰国事業と日本人妻
 1959年12月から在日朝鮮人の帰国事業が始まり、9万3340人が朝鮮へ渡る。その中の日本国籍者は6679人。朝鮮人と結婚していた日本人配偶者はそのうちの1831人で、ほとんどが女性だった。なぜそれほど多くの日本人女性が、見ず知らずの国へ渡る決断をしたのだろうか。
 日本の植民地支配によって、朝鮮半島から膨大な数の朝鮮人が日本へ渡ってきた。過酷な植民地政策によって生活できなくなった家族や、本人の意思に反して「徴用」などによる労働者として玄界灘を越えてきた。日本で暮らす朝鮮人は、もっとも多かった44年には約194万人にもなる。45年8月に祖国が解放されても、約30%の人たちが日本へ残った。だが在日朝鮮人の多くは、民族差別と失業による貧困で苦しむ。59年ごろには生活保護受給者は約8万1000人にも達し、年間経費は約16億9000万円にもなっていた。
 外務省から「日本赤十字社(日赤)」へ派遣された外事部長は「日本政府は、はっきり云えば、厄介な朝鮮人を日本から一掃することに利益を持つ」(『在日朝鮮人帰国問題の真相』井上益太郎)とした。日本政府は財政負担を減らすために、在日朝鮮人を追放したいと考えていたのだ。「日赤」は54年1月に「朝鮮赤十字会(朝赤)」へ文書を送る。
 「もし帰国が許されるならば、その便船を利用し、日本にある貴国人にして帰国を希望するものを帰国に帰すことを本社は援助したい」(『日本赤十字社社史稿』第6巻)
 つまり、朝鮮残留日本人の帰国と在日朝鮮人の帰国をセットで進めようという提案なのだ。このように、帰国事業が始まるきっかけは、日本側がつくっていた。
 一方の朝鮮は、中国とソ連の対立が深刻化する中でそれらの国と距離を置き、日本との関係改善を模索していた。55年2月には南日(ナム・イル)外務大臣が国交正常化を呼びかける。そして58年9月に金日成(キム・イルソン)首相(当時)は「共和国政府は在日同胞が帰国して新しい生活ができるようにすべての条件を保障する」と表明。こうして両国政府の思惑が一致し、熱気を帯びた大規模な帰国運動へと発展していった。しかも『産経新聞』や『読売新聞』を含むマスメディアは、朝鮮戦争による廃墟から急速に復興する朝鮮を褒め称え、帰国運動の後押しをした。
 帰国する在日朝鮮人のほとんどは、出身地が朝鮮半島南側だった。しかし韓国では李承晩(イ・スンマン)大統領による軍事独裁政権が続いていたため、社会主義体制の朝鮮半島北側へ渡ることを決断した人も多い。

●未知の国への渡航
 「日本では、朝鮮人への差別があったんです。今でもそうですか?  選挙で朝鮮人は投票できないので、夫に申し訳ないと思いながら私一人で投票所へ行きました。そしてお腹の子どもは、学校で日本人の子どもたちからいじめられ、思うように勉強できないだろうと思ったんです」
 このように中本愛子(朝鮮名:キム・エスン)さん(86歳)は、民族差別から逃れるために朝鮮行きを決断したという。他の日本人妻や帰国者も、子どもの教育のために一家揃ってとか、学費がなくて断念した大学で学ぶために朝鮮へ渡ったと語る。私は中本さんに、両親が渡航に反対しなかったのか聞いた。
 「お父さんは『嫁ぎ先のいうことを聞かないといけないので行きなさい』と言いました。ですがお母さんは、病身だったこともあり長女の私を頼っていたので泣きながら反対しました。私は『3年したら里帰りできる』となだめたんです」
 岩瀬さんも「3年経ったら日本と朝鮮を行き来することができるという話があり、別れることを深刻に思う人はいませんでした」という。取材したどの日本人妻たちも「3年で里帰り」という話を聞いたというが、その出所はわからない。
 59年8月に「日赤」と「朝赤」は、インドのカルカッタ(現コルコタ)で帰国事業についての協定に調印。その年の12月14日、最初の帰国船が新潟港から清津(チョンジン)港へ向かった。
 「わたしたち帰国者は歓迎の人たちと接した埠頭で、またショックを受けた。彼らのほとんどはやせていた。(略)男性が身に着けていた服装ときたら、眺めているだけで悲しくなるほど粗末である」(『帰国船』鄭箕海)
 そしてここで、中本さんが目撃した光景がある。
 「日本人妻の中には、船から降りた埠頭で朝鮮人の夫と喧嘩した人がいます。『私を騙した。すぐに日本に帰してくれ』と言って・・・」。
 しかしこうしたようすを見ても、中本さんは何の不安もなかったという。朝鮮は、朝鮮戦争での米軍による攻撃で焦土と化した。最初の帰国船が出たのはその休戦からわずか6年後。復興は始まったばかりであり、食料・日用品や住宅の不足は深刻な状況だった。過剰な宣伝によりつくり上げられた「地上の楽園」と現実との落差に失望した人もいれば、どのようなことでも受け入れようと覚悟して渡った人もいるのだ。
 帰国事業は84年7月の第187次船まで続いたが、帰国者の80%にあたる7万4779人は61年末までの約2年間に渡航。そのため帰国船は、月に3~4回も清津へ入港した。朝鮮では、押し寄せるようにやって来る人々への対応が追いつかない状態に陥る。帰国者たちは、清津や咸興での数日間の滞在中に行き先が決まった。だがこうした状況から、自分の希望と異なる地域や職場・学校へ配置される人たちが出たのである。しかも帰国希望者を、審査や選別することなく無条件ですべて受け入れたため、渡航してきた帰国者の半数以上は財産をほとんど持っていなかった。また、世話をする多数の人員を用意する必要があった。十分な対応ができるような状況ではなかったのだ。

新井好江さん
日本人妻の新井好江さん(2018年2月28日撮影)

●生活はさまざまな
 「来た当時は朝鮮の言葉も文字もわからないし、日本人はいじめられるのではと不安でたまりませんでした。ところがみんな優しくて親切で、お店へ行くと『日本から来たのだから最初に買いなさい」と言ってくれたんです」
 中本さんはこう語る。同じような話は他の日本人妻からも聞いた。彼女たちが朝鮮へ渡った時期は、まだ朝鮮戦争の傷跡が残っていた。
 「田んぼに爆弾の大きな穴が空いていて、不発弾が見えたのでウワーと思ったんです。戦争復興のために私も動員され、初めてスコップを持って作業をしました」
 しばらくそのようなことをしていた中本さんは、働きに出ることにした。
「編み機でセーターを編む職場です。ノルマを200%達成したのでみんなから栄誉だと言われ、温泉旅行にも行かせてもらいました」。
 在日朝鮮人帰国者やその日本人妻が、「脱北」してから書いた手記がいくつか出版されている。差別されて社会的に低い地位に置かれている、収容所へ入れられたり行方不明になったりした人がいる、地方都市で貧しい生活をしているなどと書かれている。それらによって、日本では朝鮮に対する極めて悪いイメージがつくられた。率直に話をしてくれる中本さんに、そうしたことがあるのかと聞いた。
 「私の夫は朝鮮へ来てからも日本と同じ運転手でしたが、商売してお金を持ってきた人はここでも裕福な生活をしていました。日本の都会から来て、やったこともない農業をした人は苦労したでしょう。だけど、日本人だからといってそうしたんではないですよ。それは運なので、仕方ないんです」
 帰国者の生活水準は、日本の親族による送金や訪問があるかないかでも大きく異なっている。私は取材で平壌や地方都市の個人宅を数十回訪ねており、差があることははっきりとわかった。また帰国者は10万人近くいたのであり、その中には日本とまったく異なる社会体制を受け入れることが出来なかった人もかなりいただろう。
 日本人妻は帰国事業の犠牲者のようにいわれてきたが、それは正確ではない。社会的に大きな評価を受けている帰国者や日本人妻もいる。取材先で、そういった人と偶然出会うことがたびたびあった。農業や歴史の研究機関で働く学者、病院の医師、大規模なインフラ整備を担当する行政機関の幹部、そして海外との交流をする機関の責任者とさまざまだ。
 日本人妻の新井好江(朝鮮名:シン・チョンホ)さん(85歳)は、日本では病気になっても病院へ行くことができないほど貧しかった。夫とともに子ども4人を連れて、何の財産も持たずに朝鮮へ渡る。そしてすぐに、「平壌日用品総合工場」で夫婦揃って働き始めた。新井さんの作業はカバン製造だった。
 「工場で働いていた87年11月に、住んでいる船橋(ソンギョ)区域の人民委員会から呼び出されました。そして、この区域の『出版物普及所』の所長に任命されたんです。図書を、企業や学校へ配布する機関です。それまでの仕事とまったく違いましたが、69歳まで張り合いのある仕事ができました」
 朝鮮で日本人妻が置かれた社会的状況は実にさまざまである。家庭生活や仕事がうまくいき幸せだと思っている人もいれば、ここでの生活に馴染めなくて失敗したと思った人もいるのだ。
 「脱北」して日本へ帰国したものの再び朝鮮へ戻った人は平島筆子さんだけではない。石川一二三さんは在日朝鮮人のト・サンダルさんの三女で、60年に両親とともに朝鮮へ。2003年10月に「脱北」して日本で暮らしていたが、07年6月に朝鮮へ戻った。平島さんと同じように、再び朝鮮の家族と暮らすために支援者の説得を振り切って戻ったという。別れて暮らす日本の肉親、新しく築いた朝鮮の家族との間を行き来できないために起きたことだ。
 日本人妻や在日朝鮮人帰国者は、国交正常化が実現すれば日朝間を自由に往来できると信じていた。ところが国交は、朝鮮植民地支配の終焉から73年たっても結ばれていない。日本人妻たちの苦難は、日朝に国交がなく日本が朝鮮を敵視していることが根本的な原因だ。

●里帰り事業は3回
 1991年1月に日朝国交正常化交渉が始まる。それにより、日本政府が要求してきた日本人妻の里帰り事業が97年11月から開始された。その第1回は15人で、98年1月に12人、2000年9月に16人の、合わせて43人が里帰りをした。
 「成田空港の記者の多さにはびっくりしちゃった。でも、嬉しかったんです。『おかえりなさーい』ってみんなが言ってくれてね」
第1回に参加した新井さんはこう語る。同じ回で岩瀬さんも里帰りし、兄弟と会ったり墓参をした。
 「37年ぶりに帰ったので『浦島太郎のような日本人妻の里帰りが実現した』って新聞に出たのを覚えていますよ。日本では慌しかったのですが、行って良かったです。気持ちの踏ん切りがつきました」
 わずか2泊3日の滞在であっても、願い続けてきた里帰りをしたことで大いに満足できたのだろう。
 だが、中本さんが参加予定の2002年10月の4回目の里帰りは「延期」と発表された。
 「やっと私も行けると、喜んでいました。17人が一緒に日本へ行くことになり、飛行機に乗る日も決まっていました。この少し前に小泉首相が朝鮮へ来ていたので、うまく行くだろうと安心していたんですよ。ところが、平壌で見物したりして待っていたら急に中止になったんです。日本の方で来るなと言ったんです。なぜ里帰りさせてくれないのかと、恨んで恨んで泣きました」
 当時を知る外務省関係者が、その理由を明かしてくれた。02年9月の小泉純一郎首相の訪朝によって朝鮮が拉致を認めたことで日本の世論が悪化し、実施できなくなったという。この第4回目の延期は、そのまま里帰り事業の中止になってしまった。「一緒に行くことになっていた人のうち、5~6人がすでに亡くなってしまった」と中本さんは悔しそうに語った。
 この後、99年に村山富市元首相を団長とした超党派訪朝団が里帰り事業の再開を要請。朝鮮労働党と合意したものの、日朝関係がさらに悪化したために実施されなかった。

●唯一の日本人組織
 日本人妻たちの話からすると、朝鮮へ渡った日本人6679人のかなりがすでに亡くなっているのは確かだ。またその消息は、帰国者とその配偶者である日本人妻の世話をしている「海外同胞事業局」でも、もはや全体を把握できていないようである。
 そうした状況の中で、しかも地方都市の咸興において日本人妻11人が集まり、16年11月に残留日本人を会長に「咸興にじの会」を結成。これは朝鮮にある唯一の日本人組織であり、極めて異例なことだ。
ともに積極的な生き方をしてきた荒井さんと岩瀬さん・中本さんは、姉妹のように仲良くしてきた。子や孫の世話になるようになって時間ができ、この3人が行政機関に働きかけた。
 「日本人に何の差別もなく良くしてくれたこの国のために、何かしようということで『にじの会』をつくりました。月1回は集まって、話しをしたりごはん食べたりして過ごしています。これが楽しくて、時間を忘れるほどなんですよ」
 このように中本さんは語る。だがこの会は高齢者ばかりなので、岩瀬さんの息子の妻のキム・ウンスクさんが事務をしている。「新興山(シンフンサン)ホテル」内の立派な事務所で「設立目的」を説明してくれた。
① 咸鏡南道で暮らす在朝日本人(残留日本人と日本人妻)の融和と親睦を推進する
② 在朝日本人を差別なく待遇し、すべての生活を保障している朝鮮政府に報いるために社会活動を行なう
③ 朝鮮の政治・社会主義制度などを、日本人民に広く紹介するための活動を行なう
④ 日本政府に、朝鮮敵視政策の撤回と過去の清算をさせるための活動を行なう
⑤ 在朝日本人の自由な里帰りの実現のために努力し、朝鮮内の日本人遺骨と墓参問題の解決のための活動で朝日関係改善に寄与する
 会員たちが高齢であるのに大きな目標を掲げていることを聞くと、その子どもたちの入会を進めているという。
何人かの日本人妻は、日本は植民地支配の清算をすべきと語った。岩瀬さんからは、日本人遺骨の話が出た。
「いっぱい埋まっている日本人の遺骨を早く探し、日本へ持っていってあげるのが本当じゃないのですか? 日本政府に言いたいのは、昔のことをきれいに清算してほしいということです」
 45年8月9日に、中国東北地方や朝鮮半島北部などをソ連軍が攻撃。それを逃れてきた日本人が、ソ連管理下の朝鮮半島北部で4万人近く死亡。咸興とその周辺には、何カ所もの大規模な埋葬地がある(『週刊金曜日』「戦後初の墓参で遺骨に手を合わす遺族の願い」2012年9月14日号参照)。農作業で見つかった遺骨10体の埋葬に、「にじの会」の人たちが立ち会った。身近なところに、日本人遺骨が放置されていることに心を痛めているのだ。

●2時間でも故郷へ
 日本人妻たちに、日本の親族との現在の関係を聞くと誰もが口を濁す。現在でも、手紙や電話で連絡が取れている人はほとんどいないようだ。新井さんは「私は今も日本の兄弟へ年賀状を出しています。『私は生きています』って知らせるためです。ただ3年前に、返事は止まっちゃったけどね」と少し寂しそうに語る。
 中本さんも、兄弟からの手紙が届かなくなって久しい。「生きているのかどうか、それだけでもわかればいいのに。手紙の一つでもくれればと思うんですよ。このまま死ぬのかなあ・・・」と寂しそうだ。そして、51年前に妹から送られてきた古ぼけた手紙を見せてくれた。「宝物です。私が死んだとき、これを一緒に棺へ入れてもらうんです」と語る。
 私が岩瀬さんの写真アルバムを複写していると、日本へ里帰りした時に撮影した兄弟の写真があった。「この写真が日本で公表されたら本人たちの仕事に支障があるので、絶対に出さないでほしい」と岩瀬さんは慌てて手で隠した。
 両親がともに亡くなると、兄弟は連絡を絶つことが多い。日本の肉親たちは最悪の日朝関係が長く続く中で、朝鮮に身内がいることを隠している人がほとんどなのだ。日本へ里帰りした日本人妻で、肉親から会うことを拒否された人もいるという。それにもかかわらず日本人妻たちは、日本の親族に迷惑がかからないように気遣っている。
 高齢化した日本人女性には、動けなくなって寝込んでいる人も多いという。荒井さんは私が訪ねる10日前に転倒し、腰を強打して自分で歩くことが出来なくなっていた。「いっそ死んでしまいたいよ」と荒井さんが言うと、1歳年上の中本さんが「何でそんなこと言うの、弱音を言わないで」とたしなめた。その中本さんは、次のように願いを語る。
 「お父さんとお母さんが亡くなったとき、長女なのに行けなかったんです。せめて1回でも、『やっと今、長女が会いに来ました』と墓前で言うことができたら、いつ死んでも思い残すことはありません。故郷に1泊できなくても、2時間でも帰りたいです」

●人道問題で関係改善を
 14年5月、ノルウェーで日朝政府間協議が行われ「ストックホルム合意」が発表された。「日本側は、北朝鮮側に対し、1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を要請した」(日本外務省ウェブサイト)
 この合意にもとづいて朝鮮は「特別調査委員会」を立ち上げて調査を開始。残留日本人の荒井さんや日本人妻たちも調査を受けた。「特別調査委員会に『(永住)帰国はしたいか』と聞かれたので『そういう気持ちはないが、死ぬ前に墓参りして兄弟に会えれば思い残すことはない』と答えたんです」と新井さんは言う。
 こうした動きに日本人妻の誰もが、里帰り事業が再開されるのではと期待したという。だが日本政府は拉致被害者を優先し、他の項目については調査報告の受け取りさえ拒んだという。非人道的対応である。
 そして朝鮮が16年1月に核実験を行なうと、日本政府はすぐに追加制裁を実施。そのため朝鮮は「特別調査委員会」の解体を宣言し、それ以降は日朝間の政府間協議は止まったままだ。
 朝鮮と韓国・中国との首脳会談により、米朝交渉がどのようになろうとも、昨年と同じ危機的状況に戻ることはない。一方、日朝交渉は、拉致問題がネックとなってまったく進展しない状況が続く。日本政府は、拉致問題「解決」の着地点を明示する必要があるだろう。
 高齢になった在朝日本人は誰もが「死ぬ前に里帰りしたい」と強く望んでいる。日朝交渉の進展と関係なく、すぐに取り組むことができる残留日本人と日本人妻の里帰りを実施すべきだ。もはやその対象者は極めて少なくなっており、過去に里帰りした人も含めるのが現実的である。
 新井さんは次のように語る。
 「地図で見ると、日本と朝鮮は本当に近いところにあるのにね。理解して仲良くなれば、お互いに利益があるんじゃないかと思うんです。戦争にならないわけでしょ。できるなら、私たち日本人妻が日本と朝鮮のかけ橋になりたいです」

米朝首脳会談の日に北朝鮮監視衛星を打ち上げた日本

 6月12日の歴史的な米朝首脳会談の共同声明では、「トランプ大統領は北朝鮮への安全保障の提供を決意。金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化への揺るぎない固い決意を再確認」としている。トランプ大統領はその後の記者会見で、米韓合同軍事演習の中止や拉致問題を提起したとも言及した。

万寿台の銅像
平壌の万寿台(マンスデ)に建つ最高指導者の銅像(2018年3月2日撮影)

 首脳会談の報道をテレビで見ていたら「北朝鮮側の状況について現地からの中継です」と某テレビ局のキャスターが言う。てっきり平壌(ピョンヤン)からだと思ったら、その「現地」とはシンガポールだった。

 実は私は、今日の歴史的な米朝首脳会談を平壌で取材する予定だった。あるテレビのキー局から、その会談を北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の首都で取材して欲しいとの急な依頼があった。

 シンガポールからだけでなく、北朝鮮からも首脳会談についての市民の声などを発信するべきとの話に私は共感。平壌から中継などをするために、北朝鮮へ直ちに申請をした。結局、手続きのための時間がなさすぎるとの理由で実現しなかった。

 雑誌・テレビからの私への協力や取材依頼が続いている。その中には、驚くようなとんでもない企画もある。記者などの、会って話を聞きたいという連絡も多くとても対応できない。米朝関係が大きく変わりつつあるため、日本のマスメディアは北朝鮮報道のスタンスを変えようとしているのだ。

 ところが日本の政府の方は、拉致問題解決のために日朝首脳会談を模索しているというが、とてもそれが本気だとは思えない。今日の午後1時20分に、北朝鮮の核・ミサイル施設を監視するための偵察衛星を種子島宇宙センターから打ち上げた。また6月1日には、北朝鮮からのミサイルへの防衛システムのイージス・アショアを配備する自治体への説明を開始している。

 このように、日本政府の北朝鮮への敵視姿勢はまったく変更されていないのだ。これでは、とても話し合いの環境ではないのは確かだ。安倍首相は異常なまでの強硬姿勢で走り続けてきたため、軌道修正をすることができないようだ。

北朝鮮 知られざる在朝日本人妻の実態

 『週刊金曜日』2018年6月8日号(同日発売)に「里帰りを熱望する在朝日本人妻たち」と題した記事を6ページで掲載する。

在朝日本人たち
咸興市で暮らす在朝日本人たち(2018年2月24日撮影)

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、米国との歴史的な関係改善に大きく踏み出そうとしている。そうした中、異常なまでの朝鮮敵視政策を続けてきた日本は交渉の糸口さえ見いだせず、首相と外相はなり振りかまわず米国詣でを続けている。北朝鮮や韓国・中国との関係改善を怠ってきた日本外交の破たんが見事に表れた。

 日朝関係だけが置き去りになっている中で、日本への里帰りを強く望む人たちが北朝鮮にいる。「差別されて社会的に低い地位に置かれている、収容所へ入れられたり行方不明になったりした人がいる、地方都市で貧しい生活をしている」といわれてきた日本人妻。

 この取材のために、車で5時間かかる咸興(ハムフン)市まで1年間に4回も出かけた。在朝日本人妻7人と一人の遺族を、首都・平壌(ピョンヤン)と地方都市で時間をかけた取材をおこない、その実態を明らかにした。

「トランプタワー平壌」建設の可能性

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と米国は互いに牽制しながら、6月12日の首脳会談での合意内容を固めようとしている。そうした中で、米朝関係改善後のさまざまな話が流れている。

 その中に、平壌(ピョンヤン)に「トランプタワー」を建設するという話がある。4月26日、韓国の文正仁(ムン・ジョンイン)大統領統一外交安保特別補佐官は「北朝鮮が望む体制保障は、大同江(テドンガン)に「トランプタワー」が建ち、平壌市内にマクドナルドが開店することだ」と語った。米国資本の商業施設ができれば、北朝鮮は米国の軍事攻撃を受けないための担保を得ることになるというのだ。

 北朝鮮の首都に、米国資本の高層ビルが造られることなどあり得ないと誰もが思うだろう。ところがかつて、同じような計画があったのだ。

北関大捷碑
吉州へ戻った北関大捷碑(2009年10月18日撮影)

 私は2005年から翌年にかけて、北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)という石碑の返還の一部始終を取材した。豊臣秀吉による朝鮮侵略の際、朝鮮北部の吉州(キルジュ)において地元で組織された義勇軍が加藤清正軍を撃退。この石碑は、それを記念して1709年に建立された。

 これを日露戦争で朝鮮へ派兵された日本軍が持ち帰り、靖国神社の境内に置かれてきた。それを韓国の研究者が見つけ、返還への動きが始まる。靖国神社所有の文化財を、北朝鮮へ帰そうという無謀とも思える計画だ。

 当時は南北関係が良かったため、日本・韓国・北朝鮮の仏教者たちが連絡を取り合った。私は、日本の窓口になっている僧侶をたびたび取材。その中で、1枚の文書を見せられて驚いた。返還のため、靖国神社と北朝鮮との仲介について記された「世界貿易センター連合」のトゾリ総裁によるものだった。

 総裁が北朝鮮と強いつながりを持つようになったのは、平壌に「世界貿易センタービル」を建設する計画があったからである。石碑の返還を決断した靖国神社に対し、トゾリ総裁からは感謝状が贈られたという。

 このように米国資本は、北朝鮮への大規模な経済的進出のチャンスを狙い続けてきた。日本は朝鮮植民地支配時に北朝鮮の豊かな鉱物資源について詳細な調査をしており、米国は最近も東京の「国立国会図書館」でそれを閲覧したという。

 極めて勤勉な労働力と豊かで多様な鉱物資源がある北朝鮮。トランプ大統領は、北朝鮮との関係改善が実現すれば、怒涛のように経済援助と投資を進めるのは確かだ。この巨大な利益の前には、異常なまでの北朝鮮バッシングの結果としてまったく身動きできなくなった安部首相など見捨てるだろう。

北朝鮮 日朝交渉には新たな首相が必要

 6月12日の米朝首脳会談に向けて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が次々と行動を起こしている。南北首脳会談、2度の中朝首脳会談、そして今月23日~25日には豊渓里(プンゲリ)の核実験場を廃棄すると5月12日に発表した。

バス停と人々
平壌市内のバス停の人々(2018年3月2日撮影)

 その廃棄作業の透明性を示すため、中国・ロシア・米国・英国、そして韓国のマスメディアの現地取材を認めた。米国メディアなどは、そのようすを現場から衛星中継する準備をしている。

 北朝鮮が取材を認めたのはこの5カ国だけで、日本は入っていない。つまり排除されたのだ。2008年6月27日の、寧辺(ニョンビョン)の核施設にある黒鉛減速炉の冷却塔爆破では日本のメディアも取材している。北朝鮮における国家の重要行事に外国メディアを招き入れる際には日本も必ず入っていたので、今回の措置は異例だ。

 そして同じ12日に「朝鮮中央通信」は日本に関する論評を発表。これでも「日本外し」の姿勢がはっきりとしている。
「全世界が近づいた朝米首脳の対面と会談を朝鮮半島の肯定的な情勢発展を促し、立派な未来を建設するための第一歩として積極的に支持し、歓迎している時に唯一、日本だけがひねくれている」

 このように制裁を言い続ける日本の姿勢を批判した上で、「日本の反動層がすでに解決済の『拉致問題』をまたもや持ち出して世論化するのは、国際社会が一致して歓迎している朝鮮半島の平和気流をあくまでも阻んでみようとする稚拙で愚かな醜態だ」としている。

 拉致問題について日朝首脳会談で談判しようとしていた安倍首相に、強烈なパンチを食らわせた形だ。朝鮮半島が非核化に向かい、東アジアの政治情勢が大きく変わろうとしている時に、日本はまったく身動きできなくなってしまった。

 こうした事態を招いた責任は安倍首相にある。拉致問題を理由に、「日朝平壌(ピョンヤン)宣言」に明記された日本による朝鮮植民地支配の清算にまったく取り組もうとしなかった。日本からの補償を求めていた被害者たちは、その多くが亡くなってしまった。

 そして、「日朝ストックホルム合意」で拉致問題と同時に調査項目になっていた残留日本人・日本人妻・日本人遺骨については、拉致に関する調査結果が日本の満足できるものでないことを理由に報告書さえ受け取らなかったという。そうした日本政府の対応によって、里帰りを期待していた残留日本人・日本人妻や、政府事業による墓参を希望していた遺族がどれほど涙を流したことだろうか。

 このような非人道的な政策が、安倍首相によって拉致問題を利用して政権を維持するために行われてきた。北朝鮮からすれば、米国以上にバッシングをしてきた日本と容易には対話できないだろう。

 現在の日本が置かれた状況をみれば、安倍首相によって日本の「国益」が大きく損なわれた。安部晋三氏が首相になった時、日本をこの人物に任せるととんでもないことになるのではないか⁉ そうした漫然とした不安は、見事に的中したようだ。日朝交渉をするには、新たな首相が必要なようだ。
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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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