北朝鮮 日本人埋葬地の“開発”再開で収容困難に

 「週刊金曜日」2016年7月1日号に、私が行った朝鮮外務省への単独インタビューの記事を掲載した。

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 朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は6月22日、中距離弾道ミサイル「火星(ファソン)10号」の発射実験を成功させた。このミサイルは米軍基地があるグアムまで届くと推定されており、金正恩(キム・ジョウン)委員長は「米国を攻撃できる確実な能力を持った」と述べている。「国連安全保障理事会」は、この発射を非難する「報道声明」を23日に発表した。

外務省日本担当
朝鮮外務省の趙炳哲・日本担当研究員(2016年6月1日撮影)

 これに先立つ6月1日、朝鮮外務省の趙炳哲(チョ・ビョンチョル)日本担当研究員が平壌(ピョンヤン)市内の「高麗(コリョ)ホテル」で単独インタビューに応じた。

 日朝関係だけでなく米国・韓国との関係や「6カ国協議」復帰についても回答があったが、オフレコとされた。「朝日関係は2014年5月の『ストックホルム合意』前よりも悪い状態になり、死んだのも同然です。原因は日本が『安保理』制裁だけでなく、独自制裁も実施し、『合意』を守らなかったことです。人工衛星打ち上げを、日本だけがミサイル発射として非難したのはわが国を主権国家として認めていないということです。それに耐えかねて(日本人調査のための)『特別調査委員会』を解体しました」

 朝鮮は1月6日に核実験、2月7日に人工衛星打ち上げのためのロケット発射を行った。それに対して日本政府は、独自制裁の強化を2月10日に発表。その二日後に「特別調査委員会」を解体した。責任は日本政府にあるという。

 そして趙研究員は、日本政府の独自制裁強化で交渉の環境が完全に失われたことへの怒りを何度も口にし「独自制裁を撤廃しない限り、日本との対話はあり得ない」と断言した。朝鮮は、交渉のハードルを上げたのである。次に核開発を続ける理由について述べた。

 「米国が(朝鮮半島)南半部と日本に軍事基地を置いているので、核兵器を開発してきました。わが国を、ここまで押しやったのは米国です。このことを日本政府は認識すべきなのに、米国よりもっとひどい対応をしています」

 そして日本への警告ともいえる厳しい発言をした。
「朝米が軍事衝突すると、日本はそれに巻き込まれます。わが国の核とミサイルはどこへ飛んで行くのか。潜水艦で、日本の沖合からも発射できます。日本は惨めな状態になるでしょう」

 米国との戦争になれば、米軍基地がある日本への核攻撃もあり得るというのだ。そして「日本は米国の朝鮮敵視政策にぶら下がるのをやめて、自主外交路線をとるべきです」と語った。

日本人埋葬地消失の危機

 趙研究員は話を終えると部屋を出て行こうとしたので、私は強く引き止めて喫茶室へ入った。まだ、聞かなければならないことがあるからだ。

 朝鮮外務省は12年から、朝鮮各地に残る日本人埋葬地への日本からの墓参団を受け入れてきた。遺族だけでなくメディア各社の多人数による取材も許可。二つの団体が12回の墓参を実施した。こうした積み重ねの上に「ストックホルム合意」が生まれた。

 墓参団受け入れを担当した趙研究員に、日本人遺骨問題の今後について質した。すると、「特別調査委員会」解体で拉致被害者を含む日本人に関する調査をすべて中止したことにより、保留していた日本人埋葬地での果樹園建設などの開発計画は再開されるとした。つまり確認されている集団埋葬地も破壊され、遺骨収容ができなくなる可能性が出てきたのだ。そして今後の墓参団の受け入れについては、明確な返事がなかった。

 朝鮮外務省だけでなく、外国人観光客を受け入れている「朝鮮国際旅行社」でも日本担当者の人数が減っているという。今回の取材で政府機関や多数の事業所で話を聞いていて、日本への関心が急速に低くなっていることを痛感した。日本政府の長期にわたる制裁によって「ヒト・モノ・カネ」だけでなく、文化や技術交流さえ遮断され続けたためだろう。

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北朝鮮からの郵便物が開封された!

 郵便受けに、見たことのない封書が入っていた。日本ではほとんど使われていない濃い茶色の封筒。不審なのはそのことではなく、封書の一辺に細かな文字を刷り込んだ透明なテープが貼られていることだ。開封した箇所に、封をしているのだ。

開封された郵便物
開封された郵便物

 送り主は「朝鮮民主主義人民共和国放送委員会」と書かれている。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で、出版・放送を担当している政府機関である。私はまったく面識がない。

 封筒のサイズは28センチ×15センチ。テープが貼られているのと反対側を開封する。中に入っていたのは、英字紙「PyongYang Times」。平壌(ピョンヤン)で発行されている週刊紙で、27×39センチメートルのタブロイド版で、カラー印刷8ページ。手紙は入っていない。

 開封箇所に貼られたテープには「税関検査のため開封されたものを、弊社にて再装しました」「日本郵便株式会社」とある。税関検査のために開封されたのだ。これは異常事態である。

 私はこの数年間だけでも、海外の多くの国へたくさんの大型の郵便物を発送したし、受け取ったこともある。韓国とは封書だけでなく、小包のやり取りもしている。だが、それらが開封されたことは1度もない。にもかかわらず、北朝鮮からの郵便物が開封されたのだ。

 「憲法」第21条第2項において、通信の秘密は個人として生きていく上で必要不可欠な権利として保障されている。そして「郵便法」では、第8条で郵便物の検閲を禁止し、第9条第1項・第2項に秘密の保護が明記されている。

 また「郵便局」のウェブサイトには「ラベルを確認し、郵送禁止物品の疑いのあるものやラベルの記載のないもの等は、X線を通して確認したり、開封して確認します。基本的には手紙は開封することはございません」との記載がある。

 私への郵便物は「郵送禁止物品の疑い」をかけられたのか、手紙ではないと判断されたために開封されたことになる。だが私に届いた封書は、外から触っただけでも中はわずかな量の紙だということが分かるし、X線検査をすれば変わった物が入っていないことは容易に判断できたはずだ。

 にもかかわらず私への郵便物は開封されて中を調べられたが、その理由が分からない。封書の表には白い小さな紙が貼られていて、「川崎東郵便局第3国際郵便部」との記載がある。そこへ電話することにする。

 外国からの郵便物についての担当だという総務部長と話す。
 「国内6箇所の郵便局が、外国からの郵便物を扱っている。開封検査は、日本郵便社員の立ち会いのもとに税関が実施している。検査が終わったものに日本郵便が封をして配送している」

 つまり「日本郵便」は税関による開封検査に立ち会い、開封された郵便物の再包装をしているだけだというのだ。「川崎東郵便局」での検査は「横浜税関」が担当しているというので次にそこへ電話する。

 「横浜税関」総務課長の話によれば、開封は「税関法」第76条に基づいて実施したという。第76条は次のようだ。
「税関長は、輸出され、又は輸入される郵便物中にある信書以外の物について、政令で定めるところにより、税関職員に必要な検査をさせるものとする」

 そして課長は「北朝鮮からの貨物は輸入禁止になっているので、どういう内容か検査しなくてはならない。信書以外で輸入が認められるのは新聞や本くらい」と言う。私への封書は開封した結果、新聞だったので「輸入」が認められたという。


 「信書しか入っていないのが明らかなものでも開封するのか」と私が聞くと、「信書かどうかは現場の判断」と言う。私へ届いた封書には長い手紙だけが入った「信書」だった可能性もある。だが税関は、信書ではないと判断して開封した。
「開封」は「通信の秘密」の権利に触れる重大な行為であるにもかかわらず、その基準は極めてあいまいなのだ。

 税関による基準が明確でない検査は、北朝鮮へ出入国する日本人・在日朝鮮人に対する日本の空港での荷物検査でも行われてきた。日朝関係が極度に緊張した時には日本出国時に、北朝鮮へ向かう乗客の荷物を、税関職員が厳しい検査をした。しかもその場所は航空会社のチェックインカウンター横であるため、通行人が見たり撮影したりできる状態でトランクを開けて入念な検査をしたのだ。個人のプライバシーなどまったく考えていない。

 また北朝鮮から日本へ戻った人への、空港での厳しい検査が続けられてきた。アントニオ猪木が、切手・新聞・タオルなどを没収されたときはニュースになった。ホテルのアメニティグッズまで没収するのは、その愚かさを嘲笑すれば良いだけのことだ。しかし、朝鮮学校の子どもたちのみやげ物を取り上げるのは、幼い心を傷つける非人間的行為である。

 日本政府は、北朝鮮へ制裁しようとしても打つ手がない。そのため北朝鮮とのやり取りや行き来をする個人に対し、陰湿な嫌がらせや腹いせを続けているのだ。それは市民の人権と権利を大きく侵害する行為であるにもかかわらず、その自覚がまったくない。「人権後進国・日本」の姿がここにもある。

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危機は「北朝鮮の挑発」によるものなのか?

 朝鮮半島は、憂慮すべき危険な事態に陥っている。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と韓国・米国との間で、いつ偶発的な戦闘が起きてもおかしくない。

非武装地帯と韓国軍陣地
非武装地帯とその中にある韓国軍陣地(2007年8月19日撮影)

 北朝鮮は3月3日にロケット弾、10日に短距離弾道ミサイル、15日に弾道ミサイルの大気圏再突入の模擬実験、18日に中距離弾道ミサイルの発射実験を実施。これら一連の実験は、7日から始まった米韓合同軍事演習に対抗したものだ。

 韓国軍は21日には、北朝鮮の重要施設を攻撃する訓練を実施。北朝鮮の戦闘機を撃墜した上で爆撃し、輸送機で特殊部隊を送り込むという。韓国国防省報道官は「北の挑発を抑えるための訓練」とした。

 これに対し、北朝鮮の「祖国平和統一委員会」は23日に「重大報道」を発表。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記ら指導部を狙った訓練は容認できないとし、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領を「この地から除去する」ための「正義の報復戦に向かう」とした。

 こうした事態は、毎年のように繰り返されてきた。その原因は、3月上旬から約2カ月間にわたって実施してきた最新兵器を投入した米韓合同の大規模軍事演習である。「北の挑発を抑える」との名目の軍事演習が、北朝鮮の軍事行動を招いているのだ。

 つまり、「北朝鮮の挑発」によってこの危険な状況が引き起こされたとはいえない。どの国家でも敵対国に対して、相手の挑発を理由に自らの軍事行動を正当化する。

 国家はそうであっても、国家間の過熱したやり取りを冷静に捉えて報道するのがメディアの役割だ。ところが日本のマスメディアはそれを放棄し、政府発表をそのまま流している。

 日本と直接的な関係がない国での出来事については、まだ自らの視点による冷静な報道が出来ている。ところが北朝鮮についてそうならないのは、「反北朝鮮」を前提としているからだ。

 「北朝鮮を批判しないような記事は掲載できない」と、ある編集者は私にはっきりと語った。北朝鮮に関する出来事への客観的な判断を放棄し、「大本営発表」を流し続けるならば、ジャーナリズムの墓穴を掘ることになると認識すべきだ。

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北朝鮮で取材した日本軍性奴隷被害者の番組を放送

 韓国のインターネット放送「ニュース打破(タパ)」で、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の日本軍性奴隷被害者(日本軍「慰安婦」)と、今も残る「日本軍慰安所」についての番組「悲しい帰郷」(第1部・第2部)を放送している。
第1部
第2部
第1部予告編
第2部予告編

朴英深
中国・昆明の捕虜収容所で、米軍撮影の被害女性たちの写真を持つ朴英深(パク・ヨンシム)さん。右端が本人(2000年9月13日撮影)

 私は韓国・北朝鮮・フィリピン・インドネシアなどで、多くの性奴隷被害者を取材してきた。それらは多くの雑誌に掲載したもののテレビでの放送は限られていが、まとまった形で発表することができた。

 インターネット放送「ニュース打破」は、韓国のテレビ局KBSとMBCから解職された記者らによって運営されている。日本軍性奴隷被害者に関するいくつもの番組を制作している。
日本軍慰安婦を記録した日本人
故金学順ハルモニの最後の証言

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さらに被害を受ける在日朝鮮人

 私が『週刊金曜日』2016年2月19日号に執筆した記事「日本政府が朝鮮民主主義人民共和国への独自制裁を強化 さらに被害を受ける在日朝鮮人」を掲載する。

万景峰92号
朝鮮・元山(ウォンサン)港に係留されたままの「万景峰92号」

 日本政府は今月10日、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に対する独自制裁措置の強化を決定した。

 そして韓国政府は同日、南北協力事業である「開城(ケソン)工業団地」の操業を全面中断すると発表。それに対して朝鮮は同団地を「軍事統制区域」とし、韓国企業124社の資産を凍結。残っていた韓国人関係者約280人を追放した。

 また米国は、制裁法案を10日に上院、12日に下院で可決している。「核・ミサイル」だけでなくサイバー攻撃や人権侵害などに関わった個人・企業の資産凍結といった厳しい内容である。これら日米韓の独自制裁は、国連安全保障理事会決議にもとづく制裁が中国・ロシアの慎重姿勢によって決まらないため、連携して踏み切ったものだ。

 米国・韓国の制裁は朝鮮そのものへダメージを与えるのが目的だが、日本のものには大きな違いがある。日本による独自制裁は、拉致問題での朝鮮への圧力として2004年6月の「特定船舶入港禁止法」成立から始まった。06年7月の朝鮮によるロケット発射でそれが実施され、次第に項目を増やした。

 「ヒト」への制限としては、朝鮮当局者の日本入国禁止、朝鮮総連幹部の日本への再入国禁止、航空機チャーター便の乗り入れ禁止、そして朝鮮への渡航の自粛要請。「モノ」については「万景峰(マンギョンボン)92号」を含む朝鮮籍船舶の入港禁止と輸出入の全面禁止。「カネ」では朝鮮への10万円を超える現金の持ち出しと300万円を超える送金の届け出義務という内容だった。

 とりわけ輸出入の禁止は、米国・韓国でも実施しなかった厳しい措置だ。日本の朝鮮からの輸入は06年11月から、輸出は09年7月からまったくなくなった。平壌(ピョンヤン)市内の商店で輸入品を探すと、日本製ばかりだったのが、今では中国やEU諸国のものが取って代わっている。

 制裁で深刻な被害を受けたのは、朝鮮との貿易や朝鮮で事業をしていた在日朝鮮人らの企業で、その多くが廃業せざるを得なくなった。また税関検査が厳しくなり、朝鮮から戻った乗客への空港での朝鮮製品の没収が相次いだ。1月に筆者へ届いた朝鮮からの郵便物は、税関によって開封されていた。

 朝鮮へ親族・祖国訪問をした在日朝鮮人は、制裁前の05年は4000人近くいたが、制裁後はその約半分にまで減少。その最大の理由は「万景峰92号」での往来ができなくなったからだ。航空便は中国かロシアを経由するため、費用は船での2倍近くの約25万円かかり、高齢者は乗り換えでの肉体的負担が大きい。朝鮮へ直接的に制裁する方法がない日本は、代わりに在日朝鮮人いじめをしてきたのである。

 14年5月29日の「日朝ストックホルム合意」で、人的往来・送金についての報告の規制と人道目的の朝鮮籍船舶の入港禁止が解除。しかしそれから現在までに、送金や人道目的での入港が1件もなかったことからわかるように、重要ではないものばかりの解除だった。

●制裁の破綻は明らか
 今回の制裁強化策では、一昨年の解除項目を復活させ、人道目的かつ10万円以下を除く送金と朝鮮へ寄港した第三国籍船舶の入港の禁止、再入国禁止対象を拡大して在日外国人の「核・ミサイル」技術者への適用などを追加。これは、昨年6月に自民党が作成した制裁案にほぼ沿った内容である。すでに、訪朝を予定していた朝鮮総聯副議長の再入国許可が取り消された。

 朝鮮はこの日本の制裁強化に対して12日、拉致被害者を含む日本人調査の中止と同委員会の解体を表明。日朝関係は、過去最悪の危険な状況に陥った。

 制裁開始からの10年間を振り返れば、制裁強化で朝鮮が屈することは考えられない。もはや圧力路線が破綻したのは明白だ。日本は米国と異なり、朝鮮との間で解決すべき多くの重要課題を抱える。政府は戦略的視点に立って「核・ミサイル」問題を切り離した独自の対話路線へ転換するとともに、米国に対して朝鮮戦争の休戦協定を平和条約にするよう働きかけるべきだ。

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北朝鮮への制裁の破綻が明確に

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2月7日午前9時(日本時間午前9時30分)に、東倉里(トンチャンリ)にある「西海衛星発射場」から「光明星(クァンミョンソン)4号」ロケットを打ち上げた。

ロケット模型
「金日成・金正日花展示館」のロケット模型(2012年4月14日撮影)

 米国国防総省・韓国国防省や中谷元・防衛相は、飛翔体が宇宙空間の軌道に乗ったと判断。「北米航空宇宙防衛司令部」は、軌道を回る2個の物体に「41332」と「41333」の衛星カタログ番号をつけた。打ち上げは成功したようである。

 2012年12月に実施された前回の発射時と同じように、日本政府はあまりにも過剰な対応をした。「破壊措置命令」を出して、地対空ミサイル「PAC3」や海上配備型迎撃ミサイル「SM3」を搭載したイージス艦を配置。
 そして発射直後には、地方自治体へ「エムネット」や「Jアラート」で情報を伝えた。沖縄県では防災行政無線が注意を呼びかけたり、携帯電話の緊急速報メールが一斉に鳴ったりした。

 2013年1月に韓国が打ち上げた「羅老(ナロ)3号」ロケットも日本の上空を通過したが、日本政府は北朝鮮の打ち上げに対するような措置を取っていない。

 異常な空騒ぎをしたのは政府だけではない。発射直後には、テレビ各社は通常番組を中断して臨時ニュースを流し、号外を出した新聞社もある。マスメディアも、危機を煽り続ける安倍政権に完全に踊らされている。

 日本政府は、独自制裁策を近く発表するとしている。また韓国は、中国が反発している「高高度防衛ミサイル」の配備に向けて米国との協議を始めると発表した。

 1月6日の核実験と今回のロケット発射で明らかになったことがある。国連安保理や日米韓などによる独自制裁は10年間も続けられてきたにもかかわらず、北朝鮮の核開発を止めることはできなかった。それを継続しても、効果はまったくないということだ。

 もし、北朝鮮への石油や食糧を絶つような強力な制裁を実施したならば、おそらく数百万人の民間人の餓死・凍死者が出るだろう。そして、戦争や大規模な軍事衝突の危険性が一気に高まるのは確かだ。

 米国のオバマ政権は、「戦略的忍耐」という名のもとに北朝鮮に対して何もしなかった。東北アジアの平和のためには、米国が直接対話に踏み出し、北朝鮮の体制保障と引き換えの核廃棄という方法しかもはや残されていない。

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北朝鮮の「衛星管制指揮所」を突撃取材!

 先を争って建物に駆け込むと、小銃を持った二人の兵士が立っていた。金日成(キム・イルソン)主席と金正日(キム・ジョンイル)総書記を描いた大きな肖像画を、なだれ込んだ外国人から警護しているのだ。その前を走り過ぎて狭い階段を上る。撮影機材が重い。

指揮所前
レーダーが設置された「衛星管制総合指揮所」の建物と世界各国からのメディア(2012年4月11日撮影)

 2階からは、1階の体育館のように広い空間を見下ろすことができるようになっている。良い場所はカメラマンですでにいっぱいなので、一瞬ためらったもののソファーの上に靴のままで立つ。

 続けてやって来たたくさんのカメラマンと記者が、前に出ようとグイグイと押してくる。またたく間に、まったく身動きできなくなる。1階へ転落しないように気をつけながら、吹き出す汗を拭く余裕もないまま写真とビデオの撮影を始めた。

管制室内
「指揮所」内部とモニターに映し出されたロケット(2012年4月11日撮影)

 最初に目に入ったのは、正面の巨大モニターに映された映像。それは、発射台に据えつけられたロケットである。発射場のある東倉里(トンチャンリ)から送られてきたライブ映像のようだ。室内にはたくさんの管制卓が整然と並び、白衣を着た人たちがその前に座っている。

 ここは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌(ピョンヤン)市郊外にある「衛星管制総合指揮所」。2012年4月11日、世界各国からやって来たメディア約170人に、ロケット発射の準備作業が公開された時のようすだ。

 1月29日に日本政府は、北朝鮮に「長距離弾道ミサイル」の発射準備を進めている兆候があるとして、その迎撃を可能とする「自衛隊法」に基づく「破壊措置命令」を出した。

 これを受けて防衛省は、地対空ミサイル「PAC3」を東京・市谷の同省敷地内に搬入し、北朝鮮の方角へ向けて設置。北朝鮮の「ミサイル」が飛来する恐れがある沖縄や都市部にも部隊を配置するという。また防衛省は、海上配備型迎撃ミサイル「SM3」を搭載したイージス艦を日本周辺海域に配置した。

 そもそも、北朝鮮が発射しようとしているものを「長距離弾道ミサイル」と決めつけていることが間違いである。どの国の人工衛星打上げロケットであっても、その技術を弾道ミサイルに転用できる。

 「弾道ミサイルも人工衛星も、ロケットエンジンを使って飛ばす技術・構造は基本的に同じで、先端の搭載物が弾頭か衛星かの違い」(「毎日新聞」2012年12月12日付)

 しかし、北朝鮮が今までに実施した打ち上げはロケットばかりである。2012年12月に発射されたものによって人工衛星が軌道に乗ったことを、北朝鮮だけでなく「北米航空宇宙防衛司令部」も発表。この発射を海外メディアは「ロケット」としたが、日本メディアだけが「ミサイル」とした。

 「米国防総省当局者は28日(現地時間)、AFP通信に『北朝鮮が何らかの発射を準備しているように見える情況がある』とし『人工衛星、あるいは(人工衛星を搭載した)宇宙発射体である可能性もある。様々な推測がある』と明らかにした。この当局者は、発射の動きが『弾道ミサイルと関連している』兆しは何も見られないと付け加えた」(「the hankyoreh」1月30日付)

 このように、米国防総省や韓国メディアは冷静に判断している。今の時点では、ミサイルが打ち上げられると断定できる情報はなく、どちらかなのかはまったく分からないのだ。

 日本を戦争ができる国にしようとしている安倍政権は、北朝鮮に対する恐怖心をこの発射で煽ろうとしているのだろう。

 だが日本のどのマスメディアもそのお先棒を担ぎ、まるで北朝鮮が日本に向けて「ミサイル」を撃ち込む可能性があるかのような報道をしている。こうしたことは、今までにもあった。客観的な判断による報道を完全に放棄していることに、疑問を抱かないのだろうか。

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北朝鮮の日本軍「慰安婦」問題は放置されたまま

 12月28日にソウルで日韓外相会談が行われ、「合意」文書が発表された。岸田文雄外相は、政府予算から10億円程度を拠出して設立する新たな「財団」による被害女性への支援は「賠償ではない」と明言した。

 安倍政権と朴槿恵(パク・クネ)政権の双方が大きな譲歩をした最大の理由は、日米韓の軍事同盟強化をはかる米国の強い圧力によるものだ。

 この「合意」での日本政府の姿勢をひと言でいえば、再び金を出すので韓国は2度とこの問題を蒸し返すなということだ。そもそも被害女性たちは、韓国の政府・地方自治体などによるさまざまな支援を受けており、日本からの金を必要としているような人はいない。

 日本政府は1995年、「アジア女性基金」を発足させ民間からの募金を被害女性たちに渡す事業を実施。だが日本政府の謝罪の気持が伝わらない「基金」は、韓国やフィリピンでは受け取り拒否が続出。

 そればかりか、名乗り出てからは互いに慰めあって暮していた被害女性たちに深刻な分裂をもたらした。にもかかわらず、財団の運用は韓国政府がおこなうものの、日本政府は再び中途半端な事業をしようとしている。

 韓国政府に登録された被害女性は238人で、生存者はもはや46人しかいない。死を目前にした彼女たちは、日本政府からの明確な謝罪を受けることで心安く死を迎えたいという思いなのだ。

 そのため、「謝罪」は首相の「手紙」などではなく、国会決議といった日本の国家としての意思を示す形で行われるべきだ。韓国国内では、大きな妥協をした朴槿恵大統領への大きな批判が起こるだろう。

 私は、韓国で金学順(キム・ハクスン)さんが名乗り出た1992年から、韓国・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)・台湾・フィリピン・インドネシアなどをひんぱんに訪れ、約90人の被害女性たちを取材。

朴英深さん
北朝鮮で名乗り出た朴英深(パク・ヨンシム)さん。中国・昆明の捕虜収容所で米軍が撮影した記録写真の右端に写っている(2000年9月12日撮影)

 日韓間では、内容に大きな問題があるにせよ日本軍「慰安婦」問題が協議された。ところが、日本政府がまったく無視しているのが北朝鮮である。

 「アジア女性基金」の北朝鮮での実施について、受け入れを打診するためにある民間人が訪朝したことはあるが、日本政府は協議さえ行なわなかった。北朝鮮と同じように国交のない台湾に対しては、「アジア女性基金」や被爆者への援護措置は実施されている。

 つまり日本政府は、北朝鮮に対しては何もしようとしていないのである。これは政策というよりも、敵対する国家である北朝鮮との厄介な外交交渉を、政権・政治家と官僚が後回しにしているということだろう。その姿勢は「拉致問題」にも表れている。

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北朝鮮・テロ対策と警察国家

 2016年5月の「伊勢志摩サミット」と2020年の「東京オリンピック」開催のためとして、テロ対策の訓練がさまざまな場所で連日のように実施されている。

国旗
平壌(ピョンヤン)の街に掲げられた北朝鮮国旗(2015年6月18日撮影)

 日本は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)や中国の軍事的「脅威」を口実に、軍備を着実に強化してきた。外交的にそれらの国との関係改善をはかるべきだが、偏狭な安倍政権の外交政策がうまくいくはずもない。

 ひたすら米国に追従する安倍政権は、日本を「イスラム国」の攻撃対象にしてしまった。その責任を取ることもなく、次にテロ対策として社会的自由を制限し警察国家にしようとしている。この暴走に対して、マスメディアによる批判はほとんどない。

 「国防」や「治安対策」の名のもとに、自衛隊や警察の予算は増え組織は強大になる。そして、それに群がる「死の商人」などの大企業が多額の利益を得る。こうした政治が行き着く先は、間違いなく“戦争”しかないだろう。

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北朝鮮で見たたくさんの木造船

 多くのマスメディアが、日本への木造船の漂着について報じている。10月と11月で11隻にもなり、その船内には25人の遺体があった。この2年間では、175隻の木造船が見つかっているという。

木造漁船
清津港に係留されているたくさんの木造の漁船(2012年8月31日撮影)

 私は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の清津(チョンジン)港を見下ろす展望台から、港にびっしりと係留された木造の漁船を見たことがある。それらの船の中には、日本へ流れ着いたものとほぼ同じ外観のものがある。

 漂着した船には、国旗の一部が残っていたり「朝鮮人民軍」と書かれた標識があったりするため、北朝鮮からのものばかりなのは確かだ。

 軍隊が漁業をしていることを、経済や食糧事情が悪いためとする報道がある。それは「朝鮮人民軍」についての理解が足りない。この軍隊は戦闘をするためだけのものではなく、農業や漁業による食糧生産や建設作業も行う組織である。

 またどのマスメディアも、船が木造であることや機械設備が古いといったことを強調している。それが一因となって、多くの海難事故が起きているのは残念なことである。

 だが外国が置かれている現状を、日本と単純に比較するのは間違いだ。どの国も政治や経済の状況はさまざまである。それを冷ややかに指摘することに、ごう慢さを感じる。またどの報道にも、亡くなった多くの漁民を悼むという視線がない。

 まだ「大国」である日本がすべきことは、隣国の漁民たちが少しでも安全な漁が出来るように支援することがではないか。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(4)

  『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

羅津「慰安所」跡
羅津の「慰安所」と思われる日本家屋跡(2015年6月22日撮影)

●新たな「慰安所」跡か
 清津市の羅南(ラナム)区域に陸軍の「慰安所」地区が見つかったと聞いて訪ねたのは2002年。羅南は陸軍が新たに建設した都市で、「第19師団」の施設が市街地の多くを占める。

 その郊外の、小高い山と鉄道の高架に四方を囲まれた場所に「美輪の里」が造られた。民間人が運営する十数棟の「遊郭」に、日本人・朝鮮人を合わせ約120~200人弱の女性がいた。そのうち、朝鮮人は約60人とする文献もある。

 この「美輪の里」の近くで、1941年から4年間暮らした京都府在住の男性(1929年-)に、この取材へ出る直前に話を聞いた。
 「私は子どもでしたので『美輪の里』の中を自由に行き来していました。日曜日になると、道路が兵隊でいっぱいになったほどです。ここは軍人のための『慰安所』というかね。民間人が使うことはなかったですよ」
 「美輪の里」は「遊郭」だったものの、軍の「慰安所」としての役割を果たしていたようだ。

 朝鮮の最北端にある羅先(ラソン)特別市。その「人民委員会」が、羅津(ラジン)地区安和洞(アンファドン)に残る「慰安所」跡へ案内してくれた。地元では、以前から存在は知られていたという。

 車から降りると、この近くで暮らしている金明姫(キムミョンヒ)さん(1948年-)が、孫を伴って待ち構えていた。二人は先頭に立って細い坂道を登って行く。市街地を見下ろす傾斜地に、建物の基礎部分だけが残っている。金さんは、亡くなった父親から聞いたということを話し始めた。

 「この建物のすぐ下に日本軍将校の住宅地があって、そこから将校たちが階段を上がって来たそうです。朝鮮戦争での米軍の爆撃で、建物の上の部分が失われました」
 建物中央にコンクリートの通路があり、その両側に同じ広さの小部屋が並んでいるのがはっきりと分かる。直線距離で約13キロメートル離れた芳津の「慰安所」と、極めて似た構造である。この近くには他にも「慰安所」があったという。この日本家屋跡が「慰安所」だった可能性はある。だが目撃者はもういないため、これ以上のことは分からなかった。金さんは次のように語る。

 「父親は、日本の罪悪を忘れないためにこの『慰安所』跡を後世に残すべきだと言い続けていました。私も、子や孫にここの話をしています」

 芳津と羅南に残る「慰安所」の建物の風化は進み、撤去されてしまったものもある。この事について「咸鏡北道人民委員会対外事業局」の二人から話があった。韓成虎(カンソンホ)課長は率直に語る。
 「朝鮮は日本に対し過去の清算を要求していますが、日本による加害の歴史の証拠である『慰安所』の保存に関心を持たずにいました」

 日本は敗戦後生まれが80パーセントを越えたが、朝鮮でも植民地支配を知らない世代が増えている。尹国燮(ユングクソプ)副局長は48歳。
 「今まで、性奴隷被害者のことにそれほど関心はありませんでした。今回、伊藤先生の取材を受け入れるため、芳津と羅南の『慰安所』へ初めて行き、その実態を知りました。日本との間で、こうした不幸な歴史が再び繰り返されないように願っています」

●過去の清算と国交正常化
 平壌へ戻ると「平壌6月9日竜北(リョンブ)高級中学校」へ行った。学んでいるのは14~16歳。歴史の授業をしている教室へ入ると「日帝の朝鮮占領と反日義兵闘争・愛国文化運動」とホワイトボードに書かれている。授業後、学生たちに話を聞いた。

歴史の授業
「平壌6月9日竜北高級中学校」での授業(2015年6月29日撮影)

 「日本は、朝鮮人の名前と文字を奪ったあくどい侵略者であることが分かった」と女子学生。「大変残念なことだが、日本は目的を達成するにはいかなる行為もいとわない勢力」と男子学生が語る。韓慇姫(ハンウンヒ)先生にもインタビューをする。

 「日帝の朝鮮侵略を教えるカリキュラムは、3年間で33時間です。新しい世代は、植民地支配について肌で感じることがまったくないため、すぐには理解できないこともあります。そのため、当時の品物や写真が展示されている『朝鮮革命博物館』などへも連れて行きます」

 長い時が過ぎ体験者が亡くなるにつれ、歴史的事実は風化する。加害の側はその歴史を美化し、戦争への道を再び歩むこともある。一方の被害を受けた側は体験の継承を繰り返すうちに、簡略化だけでなく誇張してしまう危険性を持つ。両者の関係改善が遅くなるほど和解はより困難になるのだ。

 昨年5月の「日朝ストックホルム合意」で、日本政府は次のように表明。
 「北朝鮮側と共に、日朝平壌宣言にのっとって、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現する意思を改めて明らかにし、日朝間の信頼を醸成し関係改善を目指すため、誠実に臨むこととした」

 植民地支配の40年間、その終焉から70年間。合わせて110年もの間、隣国との関係が不正常のままだ。日朝間の最大の課題は、植民地支配の清算である。この実現による日朝国交正常化は、東アジアに大きな安定と平和もたらすだろう。日本政府は戦略的視点から「ストックホルム合意」を大胆に前へ進めるべきだ。この機会を逃せば、再び長期にわたって日朝間のいかなる課題の解決もできないだろう。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(3)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

羅南「慰安所」
羅南地区に残る元「慰安所」の日本家屋と地元の人たち(2015年6月日撮影)

 朝鮮民主主義人民共和国でかつて見つかった日本軍「慰安所」は、今はどうなっているのか。学校では、日本による植民地支配をどのように教えているのか。15日間にわたり、平壌と地方都市で取材した。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の首都・平壌(ピョンヤン)の街には、「祖国解放70周年」の看板がいたるところに掲げられている。

 「朝鮮中央テレビ」では、「防弾壁」という抗日武装闘争についての全14話の連続ドラマを、午後8時半からのゴールデンタイムに放送。異例にも予告編を流し、日本人役の俳優に日本語を話させて朝鮮語の字幕を入れる、というほど制作に力が入っている。

●今も残る「慰安所」の建物
 日本はアジア太平洋戦争を遂行するため、植民地支配をしていた朝鮮から膨大な数の青年を本人の意思に反して連行。中でも、多くの朝鮮人女性を日本軍専用の性奴隷にしたことは、朝鮮での植民地政策の暴力性・非人間性を具現したものである。

 日本軍は「慰安所」を、軍事占領した国だけではなく朝鮮にも設けた。朝鮮半島で「慰安所」の建物が初めて確認されたのは、咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市青岩(チョンアム)区域芳津洞(パンジンドン)。

 日本支配期の芳津は約150世帯の寒村で、近くに大きな街はなかった。約1キロメートル離れた海軍基地「羅津方面特別根拠地隊」のための施設としか考えられえない。民間人が運営するものの、海軍が管理する軍人・軍属専用の「慰安所」なのは明白である(詳細は『週刊金曜日』1999年9月10日号「発見された日本海軍『慰安所』」)。

芳津「慰安所」
「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の建物(2015年6月日撮影)

 私がここを、外国人して初めて取材をしたのは16年前。それ以来の訪問である。「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の前で車を降りる。解放後は「芳津診療所」として使われており、建設時と外観はほとんど変っていないという。

 この元「慰安所」の向かいに、軍医が女性たちの性病検査をした建物の跡があったが見当たらない。少し離れた場所に残っていたもう1棟の「慰安所」である「豊海楼」跡も、畑になっている。歴史的に貴重な証拠が失われたのは、実に残念である。

 日本支配期から芳津で暮らし、この「慰安所」について詳細に説明をしてくれた人たちはすでに亡くなっていた。何人かの住民に話を聞いたが、当時の具体的な状況を知る人はもはやいない。(続く)

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(2)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

被爆者
朴文淑さん(左)と李桂先さん(2015年6月18日撮影)

●被爆者が要求する政府の謝罪と補償
 長崎で被爆した朴文淑(パクムンスク)さん(1943年-)と最初に会ったのは1998年で、今回は11回目。「毎月1~2回の心臓発作を起こし、病院へ運ばれている」と言う。

 朴さんは「朝鮮被爆者協会」の副会長を務めている。1992年に「原水禁大会」参加のために日本へ行った際、「被爆者健康手帳(手帳)」の交付を受けた。日本政府は「被爆者援護法」にもとづき、広島・長崎での被爆者に対し国籍を問わず健康管理手当支給などの援護措置を実施する義務がある。国交のない台湾を含めた海外の被爆者にも行っている。

 広島で被爆した李桂先(リ・ゲソン)さん(1941年-)と会うのは9回目。胃腸や胆嚢・すい臓が悪く、私と会うために点滴を受けてきたという。
 李さんの母親が「手帳」を取得した際の文書に、娘も一緒に被爆した旨の記載がある。そのため李さんは、申請をすれば「手帳」取得が可能と思われる。私が監督した映画「ヒロシマ・ピョンヤン」(2009年公開)の中で、李さんは「手帳は被爆の証」として取得を強く望んでいた。ところが今回、「私たちが死ぬのを待っているような日本政府には、もう何も期待をしていない」と言うのだ。それに畳み掛けるように朴さんが語った。

 「長らく多くの日本人に働きかけたものの、日本政府は何もしませんでした。今では、こちらから何か要求する気はありません」
 朝鮮には、「手帳」取得ができる可能性が高い被爆者は、李さんを含め少なくても8人いるという。そのため、取得によって在朝被爆者も援護を受けられるようにしようという民間での運動がある。また日本政府や広島県医師会が、医療支援に向けて動いた時期もあった。しかしそれらは、何ひとつ実現していないのである。そうした日本に大きな期待を持っていた朝鮮の被爆者たちは、結果として翻弄されることになった。

李福順さん
平壌市内の自宅で家族と一緒の李福順さん(左から2人目、1998年6月1日撮影)

 「広島で被爆した李福順(リ・ボクスン)さんに会いに行くと、毛細血管が破裂して顔が腫れていました。日本から謝罪と補償を受け、被爆2世のことも解決して欲しいと言われました。それを聞いた三日後に亡くなったんです」

 この話は朴さんから何度も聞かされている。よほど無念なのだろう。李さんと朴さんの今回の発言は、在朝被爆者は謝罪と補償だけを求めるとの原則的な立場へ戻った、という表明なのだろう。

 「朝鮮被爆者協会」などが2007年に実施した調査では、1911人の被爆者を確認したもののすでに1529人が死亡していた。今では、健在な人は極めて少なくなっているだろう。

美林乗馬クラブ
平壌郊外の「美林(ミリム)乗馬クラブ」で、結婚写真のためにポーズを取るカップル(2015年6月28日撮影)

●負の歴史と向き合う
 日本軍によって性奴隷にされた女性で、朝鮮において名乗り出たのは219人。そのうち名前と顔を明らかにしたのは46人で、私は14人を取材している(拙著『無窮花の哀しみ』に被害女性らの詳細な体験を収録)。だが13人がすでに死亡しており、生存している女性も会える状態ではないという。

 日本政府は、性奴隷にしたアジア諸国の女性たちに「女性のためのアジア平和国民基金」の事業を実施。民間から集めた金を支給し、国家による補償ではないこの措置は、韓国などの被害女性たちに大きな混乱をたらした。私も強く反対した事業だが、朝鮮で実施しないまま2007年に終了。日本政府はこの問題においても、朝鮮だけを除外したのである。

 今回の取材で、私が以前に会った被害者や目撃者の多くは亡くなっていることが分かった。だがそうした人が一人もいなくなったとしても、日本は負の歴史と正面から向き合って清算をしなければならない。そのことは被害者のためだけではなく、日本の未来にとって必要なことだからである。(続く)

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北朝鮮への文化財返還を「大倉集古館」が拒否

 「ホテルオークラ東京本館」(東京都港区)に隣接して中国風建築の博物館がある。現在は休館中の「大倉集古館」である。ここには、日清・日露戦争などによって富を築いた大倉喜八郎による蒐集品などを展示する。

平壌 石塔
何の説明文もなく展示されていた「平壌栗里寺址八角五重石塔」(2006年8月13日撮影)

 この博物館の裏庭には、朝鮮半島からの石造文化財がいくつも並んでいる。その中でもひときわ目立つのが「平壌(ピョンヤン)栗里寺址八角石塔」である。

 現在の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌市にかつてあった仏教寺院の石塔だ。もし北朝鮮に残っていたならば、間違いなく国宝に指定されているだろう。

 2011年3月、北朝鮮の「朝鮮仏教徒連盟」はこの石塔の返還交渉を、韓国の市民団体「文化財還収委員会」などに委任。それは、靖国神社にあった「北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)」返還で生まれた信頼関係があるからだ。

ソウルの北関大捷碑
ソウルで盛大に開催された「北関大捷碑」歓迎式典(2005年11月17日撮影)

 この石碑は1708年に、現在の北朝鮮の金策(キムチェク)市郊外に建立。朝鮮に侵攻した豊臣秀吉軍と戦った義兵が勝利したことを記念したものだ。それを、1905年に日露戦争で朝鮮北部に駐留した日本軍が持ち去った。

 この「北関大捷碑」は2005年10月、日本・韓国・北朝鮮の仏教徒の努力で靖国神社から韓国政府へ引き渡され、翌年3月にソウルから北朝鮮の開城(ケソン)へと運ばれた。私はこの一部始終を取材し、2009年10月に元の場所へ戻った石碑を撮影した。

 「朝鮮仏教徒連盟」は「文化財還収委員会」を通し、今年2月25日に東京簡易裁判所へ石碑の返還を求める民事調停を申し立てた。「連盟」は関係者の訪日を申請したものの、日本政府が入国を許可しなかった。経済制裁の一部解除によって入国は可能になったにもかかわらず、それはまったく守られていない。

 今年7月の第1回の調停では、大倉喜八郎が朝鮮総督府から石塔を譲り受けての「大倉集古館」の占有は不当と主張。今月17日の第2回調停で「大倉集古館」は返還に応じないとしたため、調停は不成立に終わった。

 「北関大捷碑」のすぐ横には「利川五層石塔」が置かれており、韓国の利川市長が先頭に立ち時間をかけて返還交渉をしてきた。しかし「大倉集古館」は、それに対しても頑なに返還を拒んでいる。朝鮮総督府の力を背景に不当に取得した文化財は、民間所有であっても返還されるべきだ。

 なお「北関大捷碑」返還については「靖国の碑は北朝鮮国宝」(TBS系列「報道特集」2006年4月2日放送)と「秀吉撃退の碑=北関大捷碑はいかにして北朝鮮に返還されたか」(講談社『現代』2006年9月号)、文化財返還については「韓国・北朝鮮からの文化財返還要求をどのように受け止めるのか」(岩波書店『世界』2008年2月号)に発表。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(1)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

清津の銅像
昨年9月に完成した清津市の銅像(2015年6月20日撮影)

 日本による朝鮮植民地支配が終焉して70年。だが日本は、いまだに朝鮮民主主義人民共和国への過去の清算を行っていない。高齢化した被害者たちの声を聞き、今も残る日本の痕跡を訪ねる旅をした。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に、日本が植民地支配をしていた時の鉄道車両が展示されている、と聞いて訪ねた。平壌(ピョンヤン)駅のすぐ近くにある「鉄道省革命事跡館」。本館に隣接する「車両館」へ入る。

満鉄の貨車
「南満州鉄道」のロゴが入った貨車。「ここを訪れる日本人は年間一人くらい」と案内人は言う(2015年6月29日撮影)

 入り口近くに置かれた緑色の旅客電車は、金剛山(クムガンサン)観光のために「金剛山電気鉄道」が導入したもの。「日本車両」で1930年頃に製造されたようだ。

 このほかに「日立製作所」製の「凸型電気機関車」や「南満州鉄道」のロゴが入った有蓋貨車が良好な保存状態で並ぶ。日本の鉄道マニアには、たまらない光景だろう。だが「事跡館」の案内人からは、厳しい言葉が出る。

 「日本は大陸侵略と、石炭や鉱石などを略奪する目的で朝鮮に鉄道を敷設しました。また鉄道技術を朝鮮人に教えるのを嫌ったばかりか、解放後には機関車などを破壊したんです」

  日本は、アジア太平洋戦争で被害を与えた国々に対して、多くの問題を残しながらも戦後処理を実施してきた。ところが、朝鮮にだけはまったく何も行っていない。
 私はアジア太平洋諸国で、日本から被害を受けた人たちを30年前から取材し、朝鮮でも1992年から続けている。今回の訪朝は33回目で、6月16~30日まで、平壌といくつかの地方都市に滞在した。

●保存されている戦前の日本家屋
 朝鮮には、日本支配期の建物はごくわずかしか残っていない。朝鮮戦争で米軍は、60万トン以上の爆弾を投下。これは日本への量の約3・7倍にもなる。しかしそれを免れた建物だけでなく、復元までして大切に保存されている日本家屋が各地に残る。それは、金日成(キム・イルソン)主席にまつわる「革命史跡地」の建物である。

日本時代の旅館
復元された日本支配期の旅館(2015年6月25日撮影)

  咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市には、いくつかのそうしたものが残る。「青岩(チョンアム)革命史跡地」には、食堂・旅館や写真館などが忠実に復元されている。
 また、コンクリートや石の部分だけが残っている場合もある。「羅南神社」跡へ行った。本殿へのコンクリート製の長い階段は、ほとんど傷みがない。上り切ったところに、丸い穴が開いた一対の石を見つけた。灯篭の礎石のようだ。このすぐ横の畑で、農作業中の年配の夫婦に話を聞く。

  「日本は朝鮮のどの都市でも、もっとも景色の美しい場所に神社を造りました。祝日になると、大勢の日本人が集まって来て騒いでいましたよ」

●軍人・軍属遺族からの厳しい批判の言葉
 私は今までに、朝鮮で約80人の植民地支配による被害者を取材。今回、そのうちの4人と会った。東京都目黒区の祐天寺には、朝鮮人の軍人・軍属らの遺骨が厚生労働省によって保管されている。朝鮮半島南側で召集された人の遺骨の、韓国への返還は進んだ。しかし、北側からの425人分は放置されたままだ。

 金元鏡(キム・ウォンギョン)さん(1937年-)と最初に会ったのは2005年。陸軍軍属だった父親の金正表(キムジョンピョ)さんは、インドネシアのセルベス島で戦死。

 2004年12月、父親をギルバート諸島で亡くした金勇虎(キム・ヨンホ)さんとともに訪日し、父親の遺骨と対面しようとした。ところが日本政府は、事実上の入国拒否をしたのである。金勇虎さんは、2010年12月に亡くなってしまった。金元鏡さんは次のように語る。

 「今でも、祐天寺へ行って遺骨を確認したいと思っています。たとえそれが父親の遺骨でなくても、朝鮮人のものであれば持ち帰り、母親の墓の隣に埋葬したいです」

 2001年に取材した金致麟(キムチリン)さんは1924年生まれ。1944年に召集され、「第4農耕勤務隊」として愛知県で農作業をさせられた。陸軍兵士なので、名簿が残っている。私は、それに記載された約2500人の中から、本人の証言と一致する本籍が「順川(スンチョン)郡」で「昭19」に召集された「金村致麟」の名を探し出していた。

父の名がある名簿
「第四農耕勤務隊留守名簿」に記載された父親の名前を指す金燦順さん(2015年6月17日撮影)

 しかし私に会いに来たのは、長女の金燦順(キム・チャンスン)さん(1959年-)だった。致麟さんは2009年に死亡していたのだ。「日本という名を聞いただけで、父の怒りを思い出します。日本は不倶戴天の敵です。父の恨みの代価を、遺族が払わせます」(続く)

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北朝鮮での15日間の単独取材の記事を発表

日本時代の車両
「鉄道省革命事績館」で展示されている日本植民地時代の電車(2015年6月29日撮影)

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で6月15日~30日に行った単独取材を、『週刊金曜日』2015年8月7日・14日合併号と21日号(いずれも同日発売)に、「朝鮮民主主義人民共和国で見た日本の朝鮮支配」と題した記事と写真を各号4ページで掲載します。

 7日・14日合併号のサブタイトルは「無念のまま消えゆく被害者たち」、21日号は「風化する『慰安所』と被害の記憶」です。

 首都・平壌(ピョンヤン)だけでなく、清津(チョンジン)・羅先(ラソン)などでも取材しています。

 日本敗戦・朝鮮解放70年という節目に、私が今まで積み重ねてきた朝鮮半島での77回の取材の上に企画した内容です。

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平壌・龍山への墓参団は予期せぬチャンス

 日本敗戦時のソ連管理下の朝鮮半島北部で亡くなり、平壌(ピョンヤン)郊外の龍山へ埋葬された人たちの遺族らが、8月13~17日に墓参のために訪朝することになりそうだ。

龍山墓地
龍山墓地で行われた発掘調査(2012年9月7日撮影)

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「朝日交流協会」からは15日、朝鮮総連中央本部からは16日に、遺族らでつくる「平壌・龍山会」へ受け入れの連絡があった。

 私は6月下旬に北朝鮮で、「ストックホルム合意」にも関わった日朝交渉関係者から話を聞いている。彼は、個人的意見としながらも次のように述べた。

 「朝日間のやり取りを見てきた者として、関係改善は間違いなく進むと思っていました。ですが、朝鮮総連議長宅への家宅捜索などで大きく状況は変わりました。これで朝日関係は動かなくなると思いました。国民は関係改善にまったく期待しなくなり、日本は叩くしかないと思うようになったのです」

 安倍政権は、日本人拉致被害者に関する報告を最初に出させようと、「圧力」のつもりで朝鮮総連議長の自宅を家宅捜索し次男を逮捕。だがそれは完全に間違った判断だったようだ。「ストックホルム合意」は、愚かな日本側の対応によって風前の灯なのである。

 そうした中で、10回の墓参団を組織した「朝鮮北部地域に残された日本人遺骨の収容と墓参を求める遺族の連絡会」ではなく、2回目の「平壌・龍山会」が墓参に行くことになった。それは、日本と北朝鮮で続いてきたさまざまな動きの結果である。

 「ストックホルム合意」は破綻状況だが、そうした中でこの墓参が実現しようとしている。日朝交渉を継続させるための、日本政府にとって予期せぬチャンスといえよう。

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北朝鮮への制裁強化は歴史的愚行

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への日本独自の経済制裁を強化しようという与野党の動きが活発である。

 昨年5月のストックホルムでの日朝政府間協議で「日本人調査」実施に合意したことにより、日本政府は制裁の一部を解除。それは、北朝鮮にとってあまり重要でない項目ばかりだった。

 北朝鮮の「特別調査委員会」からの調査報告を巡り、日本政府は拉致被害者を最優先にすることに固執。5月下旬にも北京で非公式協議が行われたが、妥協点を見出すには到らなかったようだ。

 こうした状況の中で、北朝鮮に圧力をかけるために経済制裁が持ち出されている。5月29日、民主党の「拉致問題対策本部」は、解除した経済制裁の復活を求める談話を発表した。

 そして自民党の「対北再制裁プロジェクトチーム」はさらに踏み込み、人の往来を全面的に禁止しようという案を検討している。

 「現在の案では(1)在日朝鮮人に対し北朝鮮への渡航に関し再入国の全面不許可(2)日本人に対しては旅券の適応先から北朝鮮を除き、北朝鮮渡航希望者には審査の上、特別旅券を発行―などとなっており、適用対象は▽核・ミサイル技術者▽不正輸入業者▽「よど号」グループの子弟▽総連幹部―が挙げられている」(「産経新聞」2015年6月1日)

040426新潟港の万景峰号
新潟港の「万景峰92号」(2004年4月26日撮影)

 経済制裁によって「万景峰92号」の日本入国が禁止されたことで人数は大きく減ったものの、在日朝鮮人の北朝鮮で暮らす親族への訪問は続いている。

 北朝鮮へ渡航した在日朝鮮人が日本へ戻るのを認める「再入国許可」は、戦後の長い歴史の中で少しずつ認められてきた。それを「全面不許可」にするというのは、極めて非人道的措置である。

 「このパスポートは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)以外の全ての国と地域に有効」

 こうした表示が1991年3月まで、日本で発給されるパスポートにはあった。それまでの北朝鮮への渡航には、「1次旅券」という1回しか使用できないパスポートを取得する必要があったのだ。

 自民党の「特別旅券」案は、適用対象を限定しているものの四半世紀前の状態にまで戻そうというものである。

 今年2月に外務省は、シリアへ渡航しようとしていた新潟県在住のフリージャーナリストにパスポートを強制的に返納させた。

 戦後の日本は、さまざまな権利を少しずつ積み上げ民主主義社会を育ててきた。その時の政府の思惑で、重要な権利である「往来の自由」を否定しようとするのは、歴史を大きく後退させる愚かな行為だ。

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北朝鮮との軍事的危機を高める「安保法案」

 政府は5月15日、集団的自衛権を行使できるようにするための安全保障関連法案を衆議院へ提出した。

 「自衛隊の」海外派兵をいつでも可能にするための「国際平和支援法案」と10の法案を束ねた「平和安全法制整備法案」だ。戦争・戦闘をしやすくするための法案であるにもかかわらず、「平和」の文字をつけるなど極めて欺瞞的なネーミングである。

 安倍首相は14日の記者会見で、法案提出の背景を説明した。

 「もはや一国のみで、どの国も自国の安全を守ることはできない時代であります。この2年、アルジェリア、シリア、そしてチュニジアで日本人がテロの犠牲となりました。北朝鮮の数百発もの弾道ミサイルは日本の大半を射程に入れています。そのミサイルに搭載できる核兵器の開発も深刻さを増しています。我が国に近づいてくる国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルの回数は、10年前と比べて実に7倍に増えています。これが現実です。そして、私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません」

120411衛星管制総合指揮所
平壌市内の「衛星管制総合指揮所」を取材する海外メディア(2012年4月11日撮影)

 このように、「安保法案」が「朝鮮半島有事」を強く念頭に置いたものであることは明白である。

 政府は、北朝鮮の「特別調査委員会」からの報告が遅れていることに対し、経済制裁の再延長や朝鮮総連に対する強圧的な姿勢で応えた。

 これによって日朝関係は最悪な事態に戻りつつある。この法案提出は、それを決定的なものにするだろう。

 戦後70年の今、北朝鮮とだけでなく中国や韓国との関係も悪化したままだ。これは極めて異常な状況であり、明らかに日本の外交政策の失敗である。

 提出された法案はそのことを隠蔽し、国際紛争を軍事的に解決する道へと大きく踏み出そうとするものだ。

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厚労省死亡者名簿にある北朝鮮の埋葬現場

 厚生労働省は4月30日、日本敗戦直後にソ連(ソビエト連邦)によって抑留されて死亡した日本人1万723人の名簿を新たに公表した。

興南の街並
日本時代の建物も残る興南の街並(2012年9月2日撮影)

 そのうち、朝鮮半島北側(現在の北朝鮮)や樺太(現在のサハリン)の北緯50度以南など、シベリア以外の死亡者は2130人。朝鮮半島北側では、興南(フンナム)地区1853人、元山(ウォンサン)地区11人の氏名と死亡年月日が公表された。

 私は、2012年8月~9月に北朝鮮で実施された日本のNGOによる日本人埋葬地調査への同行取材をした。

 1945年8月の日本敗戦によって、日本軍将兵を中心にした約57万5000人がソ連によって収容所ヘ送られた。その多くは日本人だが、日本軍にいた朝鮮人や先住民族のウィルタとニブヒも含まれていた。

 連行された人たちは、飢えと寒さといった過酷な状況の中で森林伐採や鉄道敷設などの重労働に従事させられ、約5万5000人が死亡した。ソ連には、このことへの大きな責任がある。

興南での発掘
興南の埋葬地で調査のための発掘作業をする住民たち(2012年9月2日撮影)

 朝鮮半島北側を管理下に置いたソ連は、そこで暮らしていたり中国東北地方から逃げ込んだりした日本人について、民間人であっても帰国を認めなかった。また、シベリアで労働ができなくなった病弱の将兵たちを朝鮮半島北側の収容所へ送った。

 私の推計では、朝鮮半島北側での民間人・将兵を合せた死亡者は4万人近く。公表された今回の名簿は、そのごく一部でしかない。

 厚労省は、今回の死亡者名簿を2000年以降に入手していたにも関わらず公表しなかった。これは明らかに怠慢である。塩崎厚労相は公表が遅れたことを謝罪したが、高齢化している遺族のことを思えばその責任は大きい。

 日本政府は、2010年に成立した「シベリア特別措置法」によって、抑留された人たちに最高150万円の特別給付金を支給しているが、北朝鮮と樺太は対象外になっている。これは早急に是正すべきである。

興南での法要
見つかった遺骨を前に法要をする日本人僧侶たち(2012年9月2日撮影)

 なお、北朝鮮にある日本人埋葬地についての拙稿は、2012年の『週刊金曜日』6月15日号「日本人墓地訪問と遺骨収集」、『週刊金曜日』9月14日号「戦後初の墓参で遺骨に手を合わす遺族の願い」、『世界』12月号「北朝鮮に残る日本人遺骨」などがある。

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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