北朝鮮の「衛星管制指揮所」を突撃取材!

 先を争って建物に駆け込むと、小銃を持った二人の兵士が立っていた。金日成(キム・イルソン)主席と金正日(キム・ジョンイル)総書記を描いた大きな肖像画を、なだれ込んだ外国人から警護しているのだ。その前を走り過ぎて狭い階段を上る。撮影機材が重い。

指揮所前
レーダーが設置された「衛星管制総合指揮所」の建物と世界各国からのメディア(2012年4月11日撮影)

 2階からは、1階の体育館のように広い空間を見下ろすことができるようになっている。良い場所はカメラマンですでにいっぱいなので、一瞬ためらったもののソファーの上に靴のままで立つ。

 続けてやって来たたくさんのカメラマンと記者が、前に出ようとグイグイと押してくる。またたく間に、まったく身動きできなくなる。1階へ転落しないように気をつけながら、吹き出す汗を拭く余裕もないまま写真とビデオの撮影を始めた。

管制室内
「指揮所」内部とモニターに映し出されたロケット(2012年4月11日撮影)

 最初に目に入ったのは、正面の巨大モニターに映された映像。それは、発射台に据えつけられたロケットである。発射場のある東倉里(トンチャンリ)から送られてきたライブ映像のようだ。室内にはたくさんの管制卓が整然と並び、白衣を着た人たちがその前に座っている。

 ここは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌(ピョンヤン)市郊外にある「衛星管制総合指揮所」。2012年4月11日、世界各国からやって来たメディア約170人に、ロケット発射の準備作業が公開された時のようすだ。

 1月29日に日本政府は、北朝鮮に「長距離弾道ミサイル」の発射準備を進めている兆候があるとして、その迎撃を可能とする「自衛隊法」に基づく「破壊措置命令」を出した。

 これを受けて防衛省は、地対空ミサイル「PAC3」を東京・市谷の同省敷地内に搬入し、北朝鮮の方角へ向けて設置。北朝鮮の「ミサイル」が飛来する恐れがある沖縄や都市部にも部隊を配置するという。また防衛省は、海上配備型迎撃ミサイル「SM3」を搭載したイージス艦を日本周辺海域に配置した。

 そもそも、北朝鮮が発射しようとしているものを「長距離弾道ミサイル」と決めつけていることが間違いである。どの国の人工衛星打上げロケットであっても、その技術を弾道ミサイルに転用できる。

 「弾道ミサイルも人工衛星も、ロケットエンジンを使って飛ばす技術・構造は基本的に同じで、先端の搭載物が弾頭か衛星かの違い」(「毎日新聞」2012年12月12日付)

 しかし、北朝鮮が今までに実施した打ち上げはロケットばかりである。2012年12月に発射されたものによって人工衛星が軌道に乗ったことを、北朝鮮だけでなく「北米航空宇宙防衛司令部」も発表。この発射を海外メディアは「ロケット」としたが、日本メディアだけが「ミサイル」とした。

 「米国防総省当局者は28日(現地時間)、AFP通信に『北朝鮮が何らかの発射を準備しているように見える情況がある』とし『人工衛星、あるいは(人工衛星を搭載した)宇宙発射体である可能性もある。様々な推測がある』と明らかにした。この当局者は、発射の動きが『弾道ミサイルと関連している』兆しは何も見られないと付け加えた」(「the hankyoreh」1月30日付)

 このように、米国防総省や韓国メディアは冷静に判断している。今の時点では、ミサイルが打ち上げられると断定できる情報はなく、どちらかなのかはまったく分からないのだ。

 日本を戦争ができる国にしようとしている安倍政権は、北朝鮮に対する恐怖心をこの発射で煽ろうとしているのだろう。

 だが日本のどのマスメディアもそのお先棒を担ぎ、まるで北朝鮮が日本に向けて「ミサイル」を撃ち込む可能性があるかのような報道をしている。こうしたことは、今までにもあった。客観的な判断による報道を完全に放棄していることに、疑問を抱かないのだろうか。

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北朝鮮の日本軍「慰安婦」問題は放置されたまま

 12月28日にソウルで日韓外相会談が行われ、「合意」文書が発表された。岸田文雄外相は、政府予算から10億円程度を拠出して設立する新たな「財団」による被害女性への支援は「賠償ではない」と明言した。

 安倍政権と朴槿恵(パク・クネ)政権の双方が大きな譲歩をした最大の理由は、日米韓の軍事同盟強化をはかる米国の強い圧力によるものだ。

 この「合意」での日本政府の姿勢をひと言でいえば、再び金を出すので韓国は2度とこの問題を蒸し返すなということだ。そもそも被害女性たちは、韓国の政府・地方自治体などによるさまざまな支援を受けており、日本からの金を必要としているような人はいない。

 日本政府は1995年、「アジア女性基金」を発足させ民間からの募金を被害女性たちに渡す事業を実施。だが日本政府の謝罪の気持が伝わらない「基金」は、韓国やフィリピンでは受け取り拒否が続出。

 そればかりか、名乗り出てからは互いに慰めあって暮していた被害女性たちに深刻な分裂をもたらした。にもかかわらず、財団の運用は韓国政府がおこなうものの、日本政府は再び中途半端な事業をしようとしている。

 韓国政府に登録された被害女性は238人で、生存者はもはや46人しかいない。死を目前にした彼女たちは、日本政府からの明確な謝罪を受けることで心安く死を迎えたいという思いなのだ。

 そのため、「謝罪」は首相の「手紙」などではなく、国会決議といった日本の国家としての意思を示す形で行われるべきだ。韓国国内では、大きな妥協をした朴槿恵大統領への大きな批判が起こるだろう。

 私は、韓国で金学順(キム・ハクスン)さんが名乗り出た1992年から、韓国・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)・台湾・フィリピン・インドネシアなどをひんぱんに訪れ、約90人の被害女性たちを取材。

朴英深さん
北朝鮮で名乗り出た朴英深(パク・ヨンシム)さん。中国・昆明の捕虜収容所で米軍が撮影した記録写真の右端に写っている(2000年9月12日撮影)

 日韓間では、内容に大きな問題があるにせよ日本軍「慰安婦」問題が協議された。ところが、日本政府がまったく無視しているのが北朝鮮である。

 「アジア女性基金」の北朝鮮での実施について、受け入れを打診するためにある民間人が訪朝したことはあるが、日本政府は協議さえ行なわなかった。北朝鮮と同じように国交のない台湾に対しては、「アジア女性基金」や被爆者への援護措置は実施されている。

 つまり日本政府は、北朝鮮に対しては何もしようとしていないのである。これは政策というよりも、敵対する国家である北朝鮮との厄介な外交交渉を、政権・政治家と官僚が後回しにしているということだろう。その姿勢は「拉致問題」にも表れている。

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北朝鮮・テロ対策と警察国家

 2016年5月の「伊勢志摩サミット」と2020年の「東京オリンピック」開催のためとして、テロ対策の訓練がさまざまな場所で連日のように実施されている。

国旗
平壌(ピョンヤン)の街に掲げられた北朝鮮国旗(2015年6月18日撮影)

 日本は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)や中国の軍事的「脅威」を口実に、軍備を着実に強化してきた。外交的にそれらの国との関係改善をはかるべきだが、偏狭な安倍政権の外交政策がうまくいくはずもない。

 ひたすら米国に追従する安倍政権は、日本を「イスラム国」の攻撃対象にしてしまった。その責任を取ることもなく、次にテロ対策として社会的自由を制限し警察国家にしようとしている。この暴走に対して、マスメディアによる批判はほとんどない。

 「国防」や「治安対策」の名のもとに、自衛隊や警察の予算は増え組織は強大になる。そして、それに群がる「死の商人」などの大企業が多額の利益を得る。こうした政治が行き着く先は、間違いなく“戦争”しかないだろう。

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北朝鮮で見たたくさんの木造船

 多くのマスメディアが、日本への木造船の漂着について報じている。10月と11月で11隻にもなり、その船内には25人の遺体があった。この2年間では、175隻の木造船が見つかっているという。

木造漁船
清津港に係留されているたくさんの木造の漁船(2012年8月31日撮影)

 私は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の清津(チョンジン)港を見下ろす展望台から、港にびっしりと係留された木造の漁船を見たことがある。それらの船の中には、日本へ流れ着いたものとほぼ同じ外観のものがある。

 漂着した船には、国旗の一部が残っていたり「朝鮮人民軍」と書かれた標識があったりするため、北朝鮮からのものばかりなのは確かだ。

 軍隊が漁業をしていることを、経済や食糧事情が悪いためとする報道がある。それは「朝鮮人民軍」についての理解が足りない。この軍隊は戦闘をするためだけのものではなく、農業や漁業による食糧生産や建設作業も行う組織である。

 またどのマスメディアも、船が木造であることや機械設備が古いといったことを強調している。それが一因となって、多くの海難事故が起きているのは残念なことである。

 だが外国が置かれている現状を、日本と単純に比較するのは間違いだ。どの国も政治や経済の状況はさまざまである。それを冷ややかに指摘することに、ごう慢さを感じる。またどの報道にも、亡くなった多くの漁民を悼むという視線がない。

 まだ「大国」である日本がすべきことは、隣国の漁民たちが少しでも安全な漁が出来るように支援することがではないか。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(4)

  『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

羅津「慰安所」跡
羅津の「慰安所」と思われる日本家屋跡(2015年6月22日撮影)

●新たな「慰安所」跡か
 清津市の羅南(ラナム)区域に陸軍の「慰安所」地区が見つかったと聞いて訪ねたのは2002年。羅南は陸軍が新たに建設した都市で、「第19師団」の施設が市街地の多くを占める。

 その郊外の、小高い山と鉄道の高架に四方を囲まれた場所に「美輪の里」が造られた。民間人が運営する十数棟の「遊郭」に、日本人・朝鮮人を合わせ約120~200人弱の女性がいた。そのうち、朝鮮人は約60人とする文献もある。

 この「美輪の里」の近くで、1941年から4年間暮らした京都府在住の男性(1929年-)に、この取材へ出る直前に話を聞いた。
 「私は子どもでしたので『美輪の里』の中を自由に行き来していました。日曜日になると、道路が兵隊でいっぱいになったほどです。ここは軍人のための『慰安所』というかね。民間人が使うことはなかったですよ」
 「美輪の里」は「遊郭」だったものの、軍の「慰安所」としての役割を果たしていたようだ。

 朝鮮の最北端にある羅先(ラソン)特別市。その「人民委員会」が、羅津(ラジン)地区安和洞(アンファドン)に残る「慰安所」跡へ案内してくれた。地元では、以前から存在は知られていたという。

 車から降りると、この近くで暮らしている金明姫(キムミョンヒ)さん(1948年-)が、孫を伴って待ち構えていた。二人は先頭に立って細い坂道を登って行く。市街地を見下ろす傾斜地に、建物の基礎部分だけが残っている。金さんは、亡くなった父親から聞いたということを話し始めた。

 「この建物のすぐ下に日本軍将校の住宅地があって、そこから将校たちが階段を上がって来たそうです。朝鮮戦争での米軍の爆撃で、建物の上の部分が失われました」
 建物中央にコンクリートの通路があり、その両側に同じ広さの小部屋が並んでいるのがはっきりと分かる。直線距離で約13キロメートル離れた芳津の「慰安所」と、極めて似た構造である。この近くには他にも「慰安所」があったという。この日本家屋跡が「慰安所」だった可能性はある。だが目撃者はもういないため、これ以上のことは分からなかった。金さんは次のように語る。

 「父親は、日本の罪悪を忘れないためにこの『慰安所』跡を後世に残すべきだと言い続けていました。私も、子や孫にここの話をしています」

 芳津と羅南に残る「慰安所」の建物の風化は進み、撤去されてしまったものもある。この事について「咸鏡北道人民委員会対外事業局」の二人から話があった。韓成虎(カンソンホ)課長は率直に語る。
 「朝鮮は日本に対し過去の清算を要求していますが、日本による加害の歴史の証拠である『慰安所』の保存に関心を持たずにいました」

 日本は敗戦後生まれが80パーセントを越えたが、朝鮮でも植民地支配を知らない世代が増えている。尹国燮(ユングクソプ)副局長は48歳。
 「今まで、性奴隷被害者のことにそれほど関心はありませんでした。今回、伊藤先生の取材を受け入れるため、芳津と羅南の『慰安所』へ初めて行き、その実態を知りました。日本との間で、こうした不幸な歴史が再び繰り返されないように願っています」

●過去の清算と国交正常化
 平壌へ戻ると「平壌6月9日竜北(リョンブ)高級中学校」へ行った。学んでいるのは14~16歳。歴史の授業をしている教室へ入ると「日帝の朝鮮占領と反日義兵闘争・愛国文化運動」とホワイトボードに書かれている。授業後、学生たちに話を聞いた。

歴史の授業
「平壌6月9日竜北高級中学校」での授業(2015年6月29日撮影)

 「日本は、朝鮮人の名前と文字を奪ったあくどい侵略者であることが分かった」と女子学生。「大変残念なことだが、日本は目的を達成するにはいかなる行為もいとわない勢力」と男子学生が語る。韓慇姫(ハンウンヒ)先生にもインタビューをする。

 「日帝の朝鮮侵略を教えるカリキュラムは、3年間で33時間です。新しい世代は、植民地支配について肌で感じることがまったくないため、すぐには理解できないこともあります。そのため、当時の品物や写真が展示されている『朝鮮革命博物館』などへも連れて行きます」

 長い時が過ぎ体験者が亡くなるにつれ、歴史的事実は風化する。加害の側はその歴史を美化し、戦争への道を再び歩むこともある。一方の被害を受けた側は体験の継承を繰り返すうちに、簡略化だけでなく誇張してしまう危険性を持つ。両者の関係改善が遅くなるほど和解はより困難になるのだ。

 昨年5月の「日朝ストックホルム合意」で、日本政府は次のように表明。
 「北朝鮮側と共に、日朝平壌宣言にのっとって、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現する意思を改めて明らかにし、日朝間の信頼を醸成し関係改善を目指すため、誠実に臨むこととした」

 植民地支配の40年間、その終焉から70年間。合わせて110年もの間、隣国との関係が不正常のままだ。日朝間の最大の課題は、植民地支配の清算である。この実現による日朝国交正常化は、東アジアに大きな安定と平和もたらすだろう。日本政府は戦略的視点から「ストックホルム合意」を大胆に前へ進めるべきだ。この機会を逃せば、再び長期にわたって日朝間のいかなる課題の解決もできないだろう。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(3)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

羅南「慰安所」
羅南地区に残る元「慰安所」の日本家屋と地元の人たち(2015年6月日撮影)

 朝鮮民主主義人民共和国でかつて見つかった日本軍「慰安所」は、今はどうなっているのか。学校では、日本による植民地支配をどのように教えているのか。15日間にわたり、平壌と地方都市で取材した。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の首都・平壌(ピョンヤン)の街には、「祖国解放70周年」の看板がいたるところに掲げられている。

 「朝鮮中央テレビ」では、「防弾壁」という抗日武装闘争についての全14話の連続ドラマを、午後8時半からのゴールデンタイムに放送。異例にも予告編を流し、日本人役の俳優に日本語を話させて朝鮮語の字幕を入れる、というほど制作に力が入っている。

●今も残る「慰安所」の建物
 日本はアジア太平洋戦争を遂行するため、植民地支配をしていた朝鮮から膨大な数の青年を本人の意思に反して連行。中でも、多くの朝鮮人女性を日本軍専用の性奴隷にしたことは、朝鮮での植民地政策の暴力性・非人間性を具現したものである。

 日本軍は「慰安所」を、軍事占領した国だけではなく朝鮮にも設けた。朝鮮半島で「慰安所」の建物が初めて確認されたのは、咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市青岩(チョンアム)区域芳津洞(パンジンドン)。

 日本支配期の芳津は約150世帯の寒村で、近くに大きな街はなかった。約1キロメートル離れた海軍基地「羅津方面特別根拠地隊」のための施設としか考えられえない。民間人が運営するものの、海軍が管理する軍人・軍属専用の「慰安所」なのは明白である(詳細は『週刊金曜日』1999年9月10日号「発見された日本海軍『慰安所』」)。

芳津「慰安所」
「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の建物(2015年6月日撮影)

 私がここを、外国人して初めて取材をしたのは16年前。それ以来の訪問である。「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の前で車を降りる。解放後は「芳津診療所」として使われており、建設時と外観はほとんど変っていないという。

 この元「慰安所」の向かいに、軍医が女性たちの性病検査をした建物の跡があったが見当たらない。少し離れた場所に残っていたもう1棟の「慰安所」である「豊海楼」跡も、畑になっている。歴史的に貴重な証拠が失われたのは、実に残念である。

 日本支配期から芳津で暮らし、この「慰安所」について詳細に説明をしてくれた人たちはすでに亡くなっていた。何人かの住民に話を聞いたが、当時の具体的な状況を知る人はもはやいない。(続く)

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(2)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

被爆者
朴文淑さん(左)と李桂先さん(2015年6月18日撮影)

●被爆者が要求する政府の謝罪と補償
 長崎で被爆した朴文淑(パクムンスク)さん(1943年-)と最初に会ったのは1998年で、今回は11回目。「毎月1~2回の心臓発作を起こし、病院へ運ばれている」と言う。

 朴さんは「朝鮮被爆者協会」の副会長を務めている。1992年に「原水禁大会」参加のために日本へ行った際、「被爆者健康手帳(手帳)」の交付を受けた。日本政府は「被爆者援護法」にもとづき、広島・長崎での被爆者に対し国籍を問わず健康管理手当支給などの援護措置を実施する義務がある。国交のない台湾を含めた海外の被爆者にも行っている。

 広島で被爆した李桂先(リ・ゲソン)さん(1941年-)と会うのは9回目。胃腸や胆嚢・すい臓が悪く、私と会うために点滴を受けてきたという。
 李さんの母親が「手帳」を取得した際の文書に、娘も一緒に被爆した旨の記載がある。そのため李さんは、申請をすれば「手帳」取得が可能と思われる。私が監督した映画「ヒロシマ・ピョンヤン」(2009年公開)の中で、李さんは「手帳は被爆の証」として取得を強く望んでいた。ところが今回、「私たちが死ぬのを待っているような日本政府には、もう何も期待をしていない」と言うのだ。それに畳み掛けるように朴さんが語った。

 「長らく多くの日本人に働きかけたものの、日本政府は何もしませんでした。今では、こちらから何か要求する気はありません」
 朝鮮には、「手帳」取得ができる可能性が高い被爆者は、李さんを含め少なくても8人いるという。そのため、取得によって在朝被爆者も援護を受けられるようにしようという民間での運動がある。また日本政府や広島県医師会が、医療支援に向けて動いた時期もあった。しかしそれらは、何ひとつ実現していないのである。そうした日本に大きな期待を持っていた朝鮮の被爆者たちは、結果として翻弄されることになった。

李福順さん
平壌市内の自宅で家族と一緒の李福順さん(左から2人目、1998年6月1日撮影)

 「広島で被爆した李福順(リ・ボクスン)さんに会いに行くと、毛細血管が破裂して顔が腫れていました。日本から謝罪と補償を受け、被爆2世のことも解決して欲しいと言われました。それを聞いた三日後に亡くなったんです」

 この話は朴さんから何度も聞かされている。よほど無念なのだろう。李さんと朴さんの今回の発言は、在朝被爆者は謝罪と補償だけを求めるとの原則的な立場へ戻った、という表明なのだろう。

 「朝鮮被爆者協会」などが2007年に実施した調査では、1911人の被爆者を確認したもののすでに1529人が死亡していた。今では、健在な人は極めて少なくなっているだろう。

美林乗馬クラブ
平壌郊外の「美林(ミリム)乗馬クラブ」で、結婚写真のためにポーズを取るカップル(2015年6月28日撮影)

●負の歴史と向き合う
 日本軍によって性奴隷にされた女性で、朝鮮において名乗り出たのは219人。そのうち名前と顔を明らかにしたのは46人で、私は14人を取材している(拙著『無窮花の哀しみ』に被害女性らの詳細な体験を収録)。だが13人がすでに死亡しており、生存している女性も会える状態ではないという。

 日本政府は、性奴隷にしたアジア諸国の女性たちに「女性のためのアジア平和国民基金」の事業を実施。民間から集めた金を支給し、国家による補償ではないこの措置は、韓国などの被害女性たちに大きな混乱をたらした。私も強く反対した事業だが、朝鮮で実施しないまま2007年に終了。日本政府はこの問題においても、朝鮮だけを除外したのである。

 今回の取材で、私が以前に会った被害者や目撃者の多くは亡くなっていることが分かった。だがそうした人が一人もいなくなったとしても、日本は負の歴史と正面から向き合って清算をしなければならない。そのことは被害者のためだけではなく、日本の未来にとって必要なことだからである。(続く)

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北朝鮮への文化財返還を「大倉集古館」が拒否

 「ホテルオークラ東京本館」(東京都港区)に隣接して中国風建築の博物館がある。現在は休館中の「大倉集古館」である。ここには、日清・日露戦争などによって富を築いた大倉喜八郎による蒐集品などを展示する。

平壌 石塔
何の説明文もなく展示されていた「平壌栗里寺址八角五重石塔」(2006年8月13日撮影)

 この博物館の裏庭には、朝鮮半島からの石造文化財がいくつも並んでいる。その中でもひときわ目立つのが「平壌(ピョンヤン)栗里寺址八角石塔」である。

 現在の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌市にかつてあった仏教寺院の石塔だ。もし北朝鮮に残っていたならば、間違いなく国宝に指定されているだろう。

 2011年3月、北朝鮮の「朝鮮仏教徒連盟」はこの石塔の返還交渉を、韓国の市民団体「文化財還収委員会」などに委任。それは、靖国神社にあった「北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)」返還で生まれた信頼関係があるからだ。

ソウルの北関大捷碑
ソウルで盛大に開催された「北関大捷碑」歓迎式典(2005年11月17日撮影)

 この石碑は1708年に、現在の北朝鮮の金策(キムチェク)市郊外に建立。朝鮮に侵攻した豊臣秀吉軍と戦った義兵が勝利したことを記念したものだ。それを、1905年に日露戦争で朝鮮北部に駐留した日本軍が持ち去った。

 この「北関大捷碑」は2005年10月、日本・韓国・北朝鮮の仏教徒の努力で靖国神社から韓国政府へ引き渡され、翌年3月にソウルから北朝鮮の開城(ケソン)へと運ばれた。私はこの一部始終を取材し、2009年10月に元の場所へ戻った石碑を撮影した。

 「朝鮮仏教徒連盟」は「文化財還収委員会」を通し、今年2月25日に東京簡易裁判所へ石碑の返還を求める民事調停を申し立てた。「連盟」は関係者の訪日を申請したものの、日本政府が入国を許可しなかった。経済制裁の一部解除によって入国は可能になったにもかかわらず、それはまったく守られていない。

 今年7月の第1回の調停では、大倉喜八郎が朝鮮総督府から石塔を譲り受けての「大倉集古館」の占有は不当と主張。今月17日の第2回調停で「大倉集古館」は返還に応じないとしたため、調停は不成立に終わった。

 「北関大捷碑」のすぐ横には「利川五層石塔」が置かれており、韓国の利川市長が先頭に立ち時間をかけて返還交渉をしてきた。しかし「大倉集古館」は、それに対しても頑なに返還を拒んでいる。朝鮮総督府の力を背景に不当に取得した文化財は、民間所有であっても返還されるべきだ。

 なお「北関大捷碑」返還については「靖国の碑は北朝鮮国宝」(TBS系列「報道特集」2006年4月2日放送)と「秀吉撃退の碑=北関大捷碑はいかにして北朝鮮に返還されたか」(講談社『現代』2006年9月号)、文化財返還については「韓国・北朝鮮からの文化財返還要求をどのように受け止めるのか」(岩波書店『世界』2008年2月号)に発表。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(1)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

清津の銅像
昨年9月に完成した清津市の銅像(2015年6月20日撮影)

 日本による朝鮮植民地支配が終焉して70年。だが日本は、いまだに朝鮮民主主義人民共和国への過去の清算を行っていない。高齢化した被害者たちの声を聞き、今も残る日本の痕跡を訪ねる旅をした。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に、日本が植民地支配をしていた時の鉄道車両が展示されている、と聞いて訪ねた。平壌(ピョンヤン)駅のすぐ近くにある「鉄道省革命事跡館」。本館に隣接する「車両館」へ入る。

満鉄の貨車
「南満州鉄道」のロゴが入った貨車。「ここを訪れる日本人は年間一人くらい」と案内人は言う(2015年6月29日撮影)

 入り口近くに置かれた緑色の旅客電車は、金剛山(クムガンサン)観光のために「金剛山電気鉄道」が導入したもの。「日本車両」で1930年頃に製造されたようだ。

 このほかに「日立製作所」製の「凸型電気機関車」や「南満州鉄道」のロゴが入った有蓋貨車が良好な保存状態で並ぶ。日本の鉄道マニアには、たまらない光景だろう。だが「事跡館」の案内人からは、厳しい言葉が出る。

 「日本は大陸侵略と、石炭や鉱石などを略奪する目的で朝鮮に鉄道を敷設しました。また鉄道技術を朝鮮人に教えるのを嫌ったばかりか、解放後には機関車などを破壊したんです」

  日本は、アジア太平洋戦争で被害を与えた国々に対して、多くの問題を残しながらも戦後処理を実施してきた。ところが、朝鮮にだけはまったく何も行っていない。
 私はアジア太平洋諸国で、日本から被害を受けた人たちを30年前から取材し、朝鮮でも1992年から続けている。今回の訪朝は33回目で、6月16~30日まで、平壌といくつかの地方都市に滞在した。

●保存されている戦前の日本家屋
 朝鮮には、日本支配期の建物はごくわずかしか残っていない。朝鮮戦争で米軍は、60万トン以上の爆弾を投下。これは日本への量の約3・7倍にもなる。しかしそれを免れた建物だけでなく、復元までして大切に保存されている日本家屋が各地に残る。それは、金日成(キム・イルソン)主席にまつわる「革命史跡地」の建物である。

日本時代の旅館
復元された日本支配期の旅館(2015年6月25日撮影)

  咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市には、いくつかのそうしたものが残る。「青岩(チョンアム)革命史跡地」には、食堂・旅館や写真館などが忠実に復元されている。
 また、コンクリートや石の部分だけが残っている場合もある。「羅南神社」跡へ行った。本殿へのコンクリート製の長い階段は、ほとんど傷みがない。上り切ったところに、丸い穴が開いた一対の石を見つけた。灯篭の礎石のようだ。このすぐ横の畑で、農作業中の年配の夫婦に話を聞く。

  「日本は朝鮮のどの都市でも、もっとも景色の美しい場所に神社を造りました。祝日になると、大勢の日本人が集まって来て騒いでいましたよ」

●軍人・軍属遺族からの厳しい批判の言葉
 私は今までに、朝鮮で約80人の植民地支配による被害者を取材。今回、そのうちの4人と会った。東京都目黒区の祐天寺には、朝鮮人の軍人・軍属らの遺骨が厚生労働省によって保管されている。朝鮮半島南側で召集された人の遺骨の、韓国への返還は進んだ。しかし、北側からの425人分は放置されたままだ。

 金元鏡(キム・ウォンギョン)さん(1937年-)と最初に会ったのは2005年。陸軍軍属だった父親の金正表(キムジョンピョ)さんは、インドネシアのセルベス島で戦死。

 2004年12月、父親をギルバート諸島で亡くした金勇虎(キム・ヨンホ)さんとともに訪日し、父親の遺骨と対面しようとした。ところが日本政府は、事実上の入国拒否をしたのである。金勇虎さんは、2010年12月に亡くなってしまった。金元鏡さんは次のように語る。

 「今でも、祐天寺へ行って遺骨を確認したいと思っています。たとえそれが父親の遺骨でなくても、朝鮮人のものであれば持ち帰り、母親の墓の隣に埋葬したいです」

 2001年に取材した金致麟(キムチリン)さんは1924年生まれ。1944年に召集され、「第4農耕勤務隊」として愛知県で農作業をさせられた。陸軍兵士なので、名簿が残っている。私は、それに記載された約2500人の中から、本人の証言と一致する本籍が「順川(スンチョン)郡」で「昭19」に召集された「金村致麟」の名を探し出していた。

父の名がある名簿
「第四農耕勤務隊留守名簿」に記載された父親の名前を指す金燦順さん(2015年6月17日撮影)

 しかし私に会いに来たのは、長女の金燦順(キム・チャンスン)さん(1959年-)だった。致麟さんは2009年に死亡していたのだ。「日本という名を聞いただけで、父の怒りを思い出します。日本は不倶戴天の敵です。父の恨みの代価を、遺族が払わせます」(続く)

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北朝鮮での15日間の単独取材の記事を発表

日本時代の車両
「鉄道省革命事績館」で展示されている日本植民地時代の電車(2015年6月29日撮影)

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で6月15日~30日に行った単独取材を、『週刊金曜日』2015年8月7日・14日合併号と21日号(いずれも同日発売)に、「朝鮮民主主義人民共和国で見た日本の朝鮮支配」と題した記事と写真を各号4ページで掲載します。

 7日・14日合併号のサブタイトルは「無念のまま消えゆく被害者たち」、21日号は「風化する『慰安所』と被害の記憶」です。

 首都・平壌(ピョンヤン)だけでなく、清津(チョンジン)・羅先(ラソン)などでも取材しています。

 日本敗戦・朝鮮解放70年という節目に、私が今まで積み重ねてきた朝鮮半島での77回の取材の上に企画した内容です。

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平壌・龍山への墓参団は予期せぬチャンス

 日本敗戦時のソ連管理下の朝鮮半島北部で亡くなり、平壌(ピョンヤン)郊外の龍山へ埋葬された人たちの遺族らが、8月13~17日に墓参のために訪朝することになりそうだ。

龍山墓地
龍山墓地で行われた発掘調査(2012年9月7日撮影)

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「朝日交流協会」からは15日、朝鮮総連中央本部からは16日に、遺族らでつくる「平壌・龍山会」へ受け入れの連絡があった。

 私は6月下旬に北朝鮮で、「ストックホルム合意」にも関わった日朝交渉関係者から話を聞いている。彼は、個人的意見としながらも次のように述べた。

 「朝日間のやり取りを見てきた者として、関係改善は間違いなく進むと思っていました。ですが、朝鮮総連議長宅への家宅捜索などで大きく状況は変わりました。これで朝日関係は動かなくなると思いました。国民は関係改善にまったく期待しなくなり、日本は叩くしかないと思うようになったのです」

 安倍政権は、日本人拉致被害者に関する報告を最初に出させようと、「圧力」のつもりで朝鮮総連議長の自宅を家宅捜索し次男を逮捕。だがそれは完全に間違った判断だったようだ。「ストックホルム合意」は、愚かな日本側の対応によって風前の灯なのである。

 そうした中で、10回の墓参団を組織した「朝鮮北部地域に残された日本人遺骨の収容と墓参を求める遺族の連絡会」ではなく、2回目の「平壌・龍山会」が墓参に行くことになった。それは、日本と北朝鮮で続いてきたさまざまな動きの結果である。

 「ストックホルム合意」は破綻状況だが、そうした中でこの墓参が実現しようとしている。日朝交渉を継続させるための、日本政府にとって予期せぬチャンスといえよう。

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北朝鮮への制裁強化は歴史的愚行

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への日本独自の経済制裁を強化しようという与野党の動きが活発である。

 昨年5月のストックホルムでの日朝政府間協議で「日本人調査」実施に合意したことにより、日本政府は制裁の一部を解除。それは、北朝鮮にとってあまり重要でない項目ばかりだった。

 北朝鮮の「特別調査委員会」からの調査報告を巡り、日本政府は拉致被害者を最優先にすることに固執。5月下旬にも北京で非公式協議が行われたが、妥協点を見出すには到らなかったようだ。

 こうした状況の中で、北朝鮮に圧力をかけるために経済制裁が持ち出されている。5月29日、民主党の「拉致問題対策本部」は、解除した経済制裁の復活を求める談話を発表した。

 そして自民党の「対北再制裁プロジェクトチーム」はさらに踏み込み、人の往来を全面的に禁止しようという案を検討している。

 「現在の案では(1)在日朝鮮人に対し北朝鮮への渡航に関し再入国の全面不許可(2)日本人に対しては旅券の適応先から北朝鮮を除き、北朝鮮渡航希望者には審査の上、特別旅券を発行―などとなっており、適用対象は▽核・ミサイル技術者▽不正輸入業者▽「よど号」グループの子弟▽総連幹部―が挙げられている」(「産経新聞」2015年6月1日)

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新潟港の「万景峰92号」(2004年4月26日撮影)

 経済制裁によって「万景峰92号」の日本入国が禁止されたことで人数は大きく減ったものの、在日朝鮮人の北朝鮮で暮らす親族への訪問は続いている。

 北朝鮮へ渡航した在日朝鮮人が日本へ戻るのを認める「再入国許可」は、戦後の長い歴史の中で少しずつ認められてきた。それを「全面不許可」にするというのは、極めて非人道的措置である。

 「このパスポートは、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)以外の全ての国と地域に有効」

 こうした表示が1991年3月まで、日本で発給されるパスポートにはあった。それまでの北朝鮮への渡航には、「1次旅券」という1回しか使用できないパスポートを取得する必要があったのだ。

 自民党の「特別旅券」案は、適用対象を限定しているものの四半世紀前の状態にまで戻そうというものである。

 今年2月に外務省は、シリアへ渡航しようとしていた新潟県在住のフリージャーナリストにパスポートを強制的に返納させた。

 戦後の日本は、さまざまな権利を少しずつ積み上げ民主主義社会を育ててきた。その時の政府の思惑で、重要な権利である「往来の自由」を否定しようとするのは、歴史を大きく後退させる愚かな行為だ。

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北朝鮮との軍事的危機を高める「安保法案」

 政府は5月15日、集団的自衛権を行使できるようにするための安全保障関連法案を衆議院へ提出した。

 「自衛隊の」海外派兵をいつでも可能にするための「国際平和支援法案」と10の法案を束ねた「平和安全法制整備法案」だ。戦争・戦闘をしやすくするための法案であるにもかかわらず、「平和」の文字をつけるなど極めて欺瞞的なネーミングである。

 安倍首相は14日の記者会見で、法案提出の背景を説明した。

 「もはや一国のみで、どの国も自国の安全を守ることはできない時代であります。この2年、アルジェリア、シリア、そしてチュニジアで日本人がテロの犠牲となりました。北朝鮮の数百発もの弾道ミサイルは日本の大半を射程に入れています。そのミサイルに搭載できる核兵器の開発も深刻さを増しています。我が国に近づいてくる国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルの回数は、10年前と比べて実に7倍に増えています。これが現実です。そして、私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません」

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平壌市内の「衛星管制総合指揮所」を取材する海外メディア(2012年4月11日撮影)

 このように、「安保法案」が「朝鮮半島有事」を強く念頭に置いたものであることは明白である。

 政府は、北朝鮮の「特別調査委員会」からの報告が遅れていることに対し、経済制裁の再延長や朝鮮総連に対する強圧的な姿勢で応えた。

 これによって日朝関係は最悪な事態に戻りつつある。この法案提出は、それを決定的なものにするだろう。

 戦後70年の今、北朝鮮とだけでなく中国や韓国との関係も悪化したままだ。これは極めて異常な状況であり、明らかに日本の外交政策の失敗である。

 提出された法案はそのことを隠蔽し、国際紛争を軍事的に解決する道へと大きく踏み出そうとするものだ。

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厚労省死亡者名簿にある北朝鮮の埋葬現場

 厚生労働省は4月30日、日本敗戦直後にソ連(ソビエト連邦)によって抑留されて死亡した日本人1万723人の名簿を新たに公表した。

興南の街並
日本時代の建物も残る興南の街並(2012年9月2日撮影)

 そのうち、朝鮮半島北側(現在の北朝鮮)や樺太(現在のサハリン)の北緯50度以南など、シベリア以外の死亡者は2130人。朝鮮半島北側では、興南(フンナム)地区1853人、元山(ウォンサン)地区11人の氏名と死亡年月日が公表された。

 私は、2012年8月~9月に北朝鮮で実施された日本のNGOによる日本人埋葬地調査への同行取材をした。

 1945年8月の日本敗戦によって、日本軍将兵を中心にした約57万5000人がソ連によって収容所ヘ送られた。その多くは日本人だが、日本軍にいた朝鮮人や先住民族のウィルタとニブヒも含まれていた。

 連行された人たちは、飢えと寒さといった過酷な状況の中で森林伐採や鉄道敷設などの重労働に従事させられ、約5万5000人が死亡した。ソ連には、このことへの大きな責任がある。

興南での発掘
興南の埋葬地で調査のための発掘作業をする住民たち(2012年9月2日撮影)

 朝鮮半島北側を管理下に置いたソ連は、そこで暮らしていたり中国東北地方から逃げ込んだりした日本人について、民間人であっても帰国を認めなかった。また、シベリアで労働ができなくなった病弱の将兵たちを朝鮮半島北側の収容所へ送った。

 私の推計では、朝鮮半島北側での民間人・将兵を合せた死亡者は4万人近く。公表された今回の名簿は、そのごく一部でしかない。

 厚労省は、今回の死亡者名簿を2000年以降に入手していたにも関わらず公表しなかった。これは明らかに怠慢である。塩崎厚労相は公表が遅れたことを謝罪したが、高齢化している遺族のことを思えばその責任は大きい。

 日本政府は、2010年に成立した「シベリア特別措置法」によって、抑留された人たちに最高150万円の特別給付金を支給しているが、北朝鮮と樺太は対象外になっている。これは早急に是正すべきである。

興南での法要
見つかった遺骨を前に法要をする日本人僧侶たち(2012年9月2日撮影)

 なお、北朝鮮にある日本人埋葬地についての拙稿は、2012年の『週刊金曜日』6月15日号「日本人墓地訪問と遺骨収集」、『週刊金曜日』9月14日号「戦後初の墓参で遺骨に手を合わす遺族の願い」、『世界』12月号「北朝鮮に残る日本人遺骨」などがある。

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拉致問題解決を投げ出した安倍首相

 3月26日、神奈川県警・京都府警・山口県警・島根県警の合同捜査本部は「外為法」違反容疑で貿易会社「東方」の社長と社員を逮捕した。

 この2人は2010年9月に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)産のマツタケ1200キログラムを中国・上海経由で日本へ輸入したという。
 このことが、2006年から日本政府が実施している北朝鮮への経済制裁の一環である「輸入の全面禁止」に違反しているというのが逮捕理由だ。

 またこの事件に関係した疑いがあるとして、朝鮮総連中央本部の許宗萬(ホ・ジョンマン)議長と南昇祐(ナム・スンウ)副議長の自宅など6カ所を家宅捜索した。

 昨年5月にはこの事件に関し、京都府警などが朝鮮総連の傘下企業・商社20社への家宅捜索を実施。葬儀中の個人宅で8時間もの捜索をするなど、徹底したものだった。今回の家宅捜索はそれに続くものである。

 議長宅への捜索は「マツタケ事件密輸事件」の「関係先」として行われたが、その根拠は明らかにされていない。押収物は、議長宅では何ひとつなく、副議長宅からは写真数枚と妻のノートパソコン1台などが押収されただけだという。

 総連中央本部統一国際局は私の取材に対し「この不当捜索で、日本政府は『対話と圧力』の方針を『圧力』へと大きく転換した」と述べた。

 昨年5月、日朝政府間で拉致被害者を含む日本人調査について合意。それが進まないことに対して圧力をかけるのを目的とした、極めて政治的な家宅捜索である。

 政府はこの家宅捜索と同じ日に、総連が中央本部ビルを継続使用できるようになった経緯について調査に乗り出す方針を固めたという。

 そして政府は、4月に期限を迎える日本独自で実施している北朝鮮への経済制裁の2年間延長の方針をすでに固め、近く閣議決定する予定だ。

 転売資金の捻出に総連の資金が使われていたならば、金融庁は「整理回収機構(RCC)」を通じて支払いを求める方針だ。今回の家宅捜索は、そのための情報収集の可能性もある。

 日本で北朝鮮大使館のような役割を果たしてきた総連のトップであり、北朝鮮の国会にあたる「最高人民会議」の代議員でもある議長宅への家宅捜索。総連だけでなく、北朝鮮政府も極めて強く反発するのを承知での決断だ。

 総連中央常任委員会の声明は「両国の政府間合意を日本側が一方的に破棄したのも同然」としている。北朝鮮の「特別調査委員会」による日本人調査の継続は、風前の灯になってしまった。

 安倍政権は、拉致問題解決の唯一の方策である北朝鮮との対話方針を投げ出し、以前の圧力一辺倒政策に戻りつつある。それは、政権末期の米国・オバマ政権が北朝鮮問題への関心をさらに失ったことが影響しているのだろう。

 かつては、日本の食卓を賑わした香りが良くい安価な北朝鮮産マツタケ。北朝鮮への経済制裁措置によって、その輸入を“重大犯罪”としていることが異常である。

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北朝鮮「特別調査委員会」の拉致調査に大きな動き

 2月28日、北朝鮮で行われている拉致調査に大きな動きがあった。「特別調査委員会」は「よど号グループ」から提出を受けていた資料を当事者たちへ返却し、「すべて目を通したので、あなたたちの調査を始めたい」と伝えたという。

 北朝鮮に残る「グループ」は6人。そのうちの3人が、ヨーロッパでの日本人3人への拉致に関与している疑いがあるとして警視庁から国際手配されている。「グループ」は、それを否定するための膨大な資料を提出していた。
 
 「グループ」のスポークスマンである若林盛亮さんは、「来週(3月1日以降)くらいから調査が始まるのではないかと思う」としている。

 「特別調査委員会」の「日本人」調査の活動内容は断片的にしか伝わって来ないが、「よど号グループ」に対しては積極的に取り組んでいるようだ。

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北朝鮮になぜ残留日本人がいるのか

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の清津(チョンジン)市で暮らしてきた「残留日本人」の丸山節子さん(86)歳が、1月16日に自宅で家族に看取られながら亡くなったことが分かった。

清津市
清津市の「高秣山展望台」から見た市街地と港(2012年8月31日撮影)

 私は、北朝鮮に残る日本人埋葬地についての取材を2006年に開始。2012年8月には、「全国清津会」が実施した現地調査への同行取材をした。この日本人埋葬地の取材の中で、北朝鮮に「残留日本人」が生存しているとの情報を得た。

 1945年8月8日、ソ連(ソビエト連邦)は日本に対して宣戦布告。「満州」(中国東北地方)・樺太(サハリン)南部・千島列島、そして朝鮮の日本軍に猛攻撃を行った。

 「満州」などに駐屯していた「関東軍」は総崩れになり、そこで暮らしていた日本人のうち約10万人は朝鮮半島へ逃げ込んだ。また、ソ連軍との戦闘があった清津などの朝鮮北部にいた日本人も避難をした。

 その結果、敗戦後のソ連軍管理下の北朝鮮で、日本の民間人と将兵約3万4600人(厚生労働省)が飢えと寒さ、伝染病で死亡。実際には4万人近くになると思われる。

 「中国残留日本人」と同じように、子どもを死なせないために朝鮮人に預けるといったこともあった。また、朝鮮人と結婚していて北朝鮮に残った日本人もいる。

 厚生労働省によれば、日本の家族から「未帰還者」として届け出があったのは1440人。そのうちの43人が「戦時死亡宣告」を受けていないため、今も消息調査の対象となっている。

 丸山節子さんの一家は、開城(ケソン)で果樹園を営みながら暮らしていた。父親が節子さんと妹を連れて「満州」へ行っていた時に敗戦。母親と節子さんの弟・毅さんら兄弟2人は、1946年冬の最後の帰国船に乗った。

 1952年になり、節子さんの消息が分かった。節子さんは、北朝鮮の男性と結婚して9人の子どもを産んだ。毅さんは、2010年9月と2014年9月に訪朝し、節子さんと会うことが出来た。日本への帰国を望んでいたという。

 私は2013年と2014年に、節子さんの取材を北朝鮮の関係機関へ申請。だが、病によって取材を受けることのできない状態であるとして断られた。

 昨年5月の日朝合意で「残留日本人」も調査対象とされ、節子さんは8月に北朝鮮の「特別調査委員会」に聞き取り調査を受けた。
 だがその後の日朝協議に進展がなく、節子さんの日本への里帰りが実現できなかったことが残念でならない。

 北朝鮮の「残留日本人」は、節子さんのほかにも健在な人がいることが判明している。

 日本政府は北朝鮮政府に、4月に期限の切れる独自の経済制裁の延長を検討すると通知したことが26日に分かった。
 北朝鮮による「日本人調査」は、昨年7月の「特別調査委員会」発足から1年以内に結果を報告することになっている。その期限になっていないにもかかわらず、こうした高圧的な姿勢を取ることが正しいと政府は本気で思っているのだろうか。

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北朝鮮の「キティちゃん」無断使用に日本は抗議できない

 2014年12月25日、タイ・ルーイ県に「キティリゾート」がオープンした。だが「ハローキティ」の著作権を持つ「サンリオ」は、この施設でのキャラクター使用を許諾しておらず、法的対応を検討しているという。

 TBSは今月16日の「ひるおび!」などで、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で「キティちゃん」が使われていると報じた。

 それによれば昨年11月、「朝鮮中央テレビ」の放送の中で「キティちゃん」そっくりの絵がプリントされた子ども用の茶碗・皿・などが紹介された。「サンリオ」は、北朝鮮の企業と契約したことはないという。

 だが北朝鮮が「キティちゃん」を無断で使用しても、日本は容認するしかない。この驚くべき事態を招いた責任は、日本の文部科学省にある。

平壌映画祭
「朝鮮映画輸出入社」などが隔年で開催している「平壌国際映画祭」(2004年9月16日撮影)

 2011年12月8日、最高裁判所が北朝鮮の著作物に関する重要な判決を下した。平壌(ピョンヤン)にある「朝鮮映画輸出入社」と北朝鮮映画の日本での配給権を持つ「カナリオ企画」が、北朝鮮映画を無断使用した日本テレビとフジテレビに対し、放送差し止めと損害賠償を求めて提訴。

 日本は1899年に「国際著作権条約(ベルヌ条約)」へ加盟している。原告は、「ベルヌ条約」には北朝鮮も加盟しており、被告には権利義務が発生すると主張した。

 しかし最高裁は、条約の加盟国同士であっても日本が国家として承認していない北朝鮮の著作物に対して保護義務はないとしたのだ。この判決は、文部科学省文化庁が2003年4月に出した見解に沿ったものである。

 最高裁は、北朝鮮への強硬姿勢を続ける政府方針を尊重し、国際条約を軽視した格好だ。

 ところがこの判決により、日本の著作物が保護されない事態が起こる可能性が出てきた。「ベルヌ条約」は相互主義であるため、北朝鮮は日本と同じ措置を取ることができるからだ。

 「キティちゃん」だけでなく、日本の音楽やゲームソフトなどのさまざまな著作物を北朝鮮が無断でコピーし、大量の商品を製造・販売する・・・。そうした事態になっても、何も言えないように日本政府がしてしまったのである。

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「よど号グループ」が最高裁敗訴でコメント発表

 2月8日の朝、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で暮らす「よど号グループ(かりの会)」から、私からの要請に応じてコメントが送られてきた。

 「グループ」6人のうち、森順子さん・黒田佐喜子さんは石岡亨さんと松木薫さんを、魚本公博さんは有本恵子さんを朝鮮へ連れ込んだとして警視庁が逮捕状を取り国際手配している。

 容疑をかけられた3人は「逮捕状請求は証拠の裏づけがない」として、警視庁のある東京都に対して損害賠償を求めて東京地裁・高裁、そして最高裁で争ってきた。

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「グループ」が暮らす「日本人村」のアパート(2014年9月24日撮影)

 私たちは2013年4月に「よど号拉致でっち上げ逮捕状」撤回を求め、東京都(警視庁)を被告として魚本公博、森順子、若林佐喜子の三名を原告とする国家賠償請求訴訟を東京地裁に提訴、これまで地裁、高裁いずれも棄却判決を受けましたが、これを不当として昨年秋、最高裁に上告しました。しかしながらこの度最高裁より2月5日付けで上告棄却の決定が下されました。私たちはこれを不当な判決であると考えます。

 現在、私たちは自身の拉致容疑に関して朝鮮の特別調査委員会の調査を受けており、いずれその調査結果が出てきます。にもかかわらず最高裁がそれを待つことなく早々と棄却判決を出したことに私たちは強い疑問を覚えます。

 元よりこの件に関して言えば、えん罪であり、私たちは無実です。調査委員会の調査でそれが実証されるのは確実です。権力乱用による被害を防止するという国家賠償請求というこの訴訟の性格からしても、私たちに対する逮捕状の正否を判断する上で決定的重要性を持つ調査委員会の調査結果を待つというのが司法の常識ではないでしょうか。ところが最高裁は調査結果の発表を目前にして棄却決定の判決を下しました。これははなはだ理解に苦しむことです。

 国家賠償請求という道が閉ざされた今、私たちは新たな法的措置を講じるなど対応を検討中ですが、私たちの無実がさらに明らかになり、「よど号拉致容疑逮捕状(結婚目的誘拐罪)」の不当性が暴かれるであろう有利な情勢に即した積極的な措置を取りたいと考えています。

        2015年 ピョンヤン かりの会


 北朝鮮政府は、ヨーロッパから3人の日本人を平壌(ピョンヤン)へ連れて来たのは自国の特殊機関であると日本政府へ説明しており、「グループ」の関与を明確に否定してきた。

 私の昨年9月の取材でも、「証拠」といえるようなものがないまま森順子さん・黒田佐喜子さん・魚本公博さんへ逮捕状が出されたことが明らかになった(「週刊金曜日」2014年11月7日号に詳細)。

 日朝協議は停滞気味だが、昨年の日朝政府間合意にもとづき「日本人」調査を実施している北朝鮮の「特別調査委員会」の調査結果の発表が待たれる。

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北朝鮮から届いた郵便物

 昨年10月に訪朝した際、平壌(ピョンヤン)の「高麗(コリョ)ホテル」の近くにある「切手博物館」へ行った。切手蒐集の趣味はないが、どのような切手が新しく出たのか知りたかったからだ。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の政治・社会の動きは、次々と発行される切手からも知ることができる。

 ここでは、さまざまなポストカードも販売されており、その中からもっとも“過激”な絵が描かれているものを選んで自分あてに出してみた。郵便料金は120朝鮮ウォン。9日後に自宅へ届いた。

自分宛のポストカード
「将軍様の女性衛兵たち!戦闘ごとに無敵の勇気を奮え!」と書かれている自分あてのポストカード。

 日本政府は北朝鮮への経済制裁の重要な柱として、輸出入を全面的に禁止している。そのため、観光客が北朝鮮で購入した切手のような極めて低価格のものであっても、日本の税関は帰国時に没収をしてきた。

 この措置は、ホテルのバスルームに置いてある無料のアメニティーグッズまで対象にするなど、北朝鮮への渡航者に対する陰湿な嫌がらせである。こんなことを国の政策として実施するのを、政府関係者は恥ずかしくないのだろうか。

 昨年5月の日朝合意に基づき制裁の一部は解除されたが、あまり重要でない事項ばかりだった。輸出入の禁止は継続されており、隣国との貿易がまったくないという極めて異常な状況が続いている。

 その禁止対象には郵便物も含まれている。2009年6月16日の閣議決定によって、「外国為替及び外国貿易法」に基づく北朝鮮への「禁輸貨物」に郵便物も含まれたのである。

 経済産業省の貿易経済協力局貿易管理部貿易管理課によれば、「受取人の個人的使用に供される衣料、食糧、書籍類等」は措置の例外となっている。1カ月間に1回に限り、小包を出すことができるという。

 だが郵便物への制限を実施した直後には、在日朝鮮人が北朝鮮の親族へ出した小包が日本の税関から戻されることが続いた。国際取引が禁止されていたり動物・植物検疫に引っかかったりするものはそもそも送ることはできないが、北朝鮮向けにはそれを厳格に適用したのだろう。

 また「受取人の個人的使用に供される」という条件によって、北朝鮮の政府機関や事業所あての郵便物はまったく送ることが出来ない。そうしたものに対しては、「禁輸貨物」となるので「輸出できない」との連絡が、日本の税関から差し出し人へ郵便で行われている。

年賀状
北朝鮮から届いた今年の年賀状。左手前が「よど号グループ」からのもの。

 こうした中で、北朝鮮からは今年も年賀状が届いた。昨秋に取材した「よど号グループ」、取材の窓口となっている外務省の外郭団体、そして平壌へ行ったら必ず食事に行くレストランからのものもある。消印からすると、投函されてから6日~9日間で届いている。

 日本の北朝鮮への徹底的な経済制裁は、日本での社会的自由を間違いなく奪ってきた。そのことを伝えようとしないマスメディアに、強い危機感を持つ。

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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