北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(3)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

羅南「慰安所」
羅南地区に残る元「慰安所」の日本家屋と地元の人たち(2015年6月日撮影)

 朝鮮民主主義人民共和国でかつて見つかった日本軍「慰安所」は、今はどうなっているのか。学校では、日本による植民地支配をどのように教えているのか。15日間にわたり、平壌と地方都市で取材した。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の首都・平壌(ピョンヤン)の街には、「祖国解放70周年」の看板がいたるところに掲げられている。

 「朝鮮中央テレビ」では、「防弾壁」という抗日武装闘争についての全14話の連続ドラマを、午後8時半からのゴールデンタイムに放送。異例にも予告編を流し、日本人役の俳優に日本語を話させて朝鮮語の字幕を入れる、というほど制作に力が入っている。

●今も残る「慰安所」の建物
 日本はアジア太平洋戦争を遂行するため、植民地支配をしていた朝鮮から膨大な数の青年を本人の意思に反して連行。中でも、多くの朝鮮人女性を日本軍専用の性奴隷にしたことは、朝鮮での植民地政策の暴力性・非人間性を具現したものである。

 日本軍は「慰安所」を、軍事占領した国だけではなく朝鮮にも設けた。朝鮮半島で「慰安所」の建物が初めて確認されたのは、咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市青岩(チョンアム)区域芳津洞(パンジンドン)。

 日本支配期の芳津は約150世帯の寒村で、近くに大きな街はなかった。約1キロメートル離れた海軍基地「羅津方面特別根拠地隊」のための施設としか考えられえない。民間人が運営するものの、海軍が管理する軍人・軍属専用の「慰安所」なのは明白である(詳細は『週刊金曜日』1999年9月10日号「発見された日本海軍『慰安所』」)。

芳津「慰安所」
「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の建物(2015年6月日撮影)

 私がここを、外国人して初めて取材をしたのは16年前。それ以来の訪問である。「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の前で車を降りる。解放後は「芳津診療所」として使われており、建設時と外観はほとんど変っていないという。

 この元「慰安所」の向かいに、軍医が女性たちの性病検査をした建物の跡があったが見当たらない。少し離れた場所に残っていたもう1棟の「慰安所」である「豊海楼」跡も、畑になっている。歴史的に貴重な証拠が失われたのは、実に残念である。

 日本支配期から芳津で暮らし、この「慰安所」について詳細に説明をしてくれた人たちはすでに亡くなっていた。何人かの住民に話を聞いたが、当時の具体的な状況を知る人はもはやいない。(続く)

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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