北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(1)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

清津の銅像
昨年9月に完成した清津市の銅像(2015年6月20日撮影)

 日本による朝鮮植民地支配が終焉して70年。だが日本は、いまだに朝鮮民主主義人民共和国への過去の清算を行っていない。高齢化した被害者たちの声を聞き、今も残る日本の痕跡を訪ねる旅をした。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に、日本が植民地支配をしていた時の鉄道車両が展示されている、と聞いて訪ねた。平壌(ピョンヤン)駅のすぐ近くにある「鉄道省革命事跡館」。本館に隣接する「車両館」へ入る。

満鉄の貨車
「南満州鉄道」のロゴが入った貨車。「ここを訪れる日本人は年間一人くらい」と案内人は言う(2015年6月29日撮影)

 入り口近くに置かれた緑色の旅客電車は、金剛山(クムガンサン)観光のために「金剛山電気鉄道」が導入したもの。「日本車両」で1930年頃に製造されたようだ。

 このほかに「日立製作所」製の「凸型電気機関車」や「南満州鉄道」のロゴが入った有蓋貨車が良好な保存状態で並ぶ。日本の鉄道マニアには、たまらない光景だろう。だが「事跡館」の案内人からは、厳しい言葉が出る。

 「日本は大陸侵略と、石炭や鉱石などを略奪する目的で朝鮮に鉄道を敷設しました。また鉄道技術を朝鮮人に教えるのを嫌ったばかりか、解放後には機関車などを破壊したんです」

  日本は、アジア太平洋戦争で被害を与えた国々に対して、多くの問題を残しながらも戦後処理を実施してきた。ところが、朝鮮にだけはまったく何も行っていない。
 私はアジア太平洋諸国で、日本から被害を受けた人たちを30年前から取材し、朝鮮でも1992年から続けている。今回の訪朝は33回目で、6月16~30日まで、平壌といくつかの地方都市に滞在した。

●保存されている戦前の日本家屋
 朝鮮には、日本支配期の建物はごくわずかしか残っていない。朝鮮戦争で米軍は、60万トン以上の爆弾を投下。これは日本への量の約3・7倍にもなる。しかしそれを免れた建物だけでなく、復元までして大切に保存されている日本家屋が各地に残る。それは、金日成(キム・イルソン)主席にまつわる「革命史跡地」の建物である。

日本時代の旅館
復元された日本支配期の旅館(2015年6月25日撮影)

  咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市には、いくつかのそうしたものが残る。「青岩(チョンアム)革命史跡地」には、食堂・旅館や写真館などが忠実に復元されている。
 また、コンクリートや石の部分だけが残っている場合もある。「羅南神社」跡へ行った。本殿へのコンクリート製の長い階段は、ほとんど傷みがない。上り切ったところに、丸い穴が開いた一対の石を見つけた。灯篭の礎石のようだ。このすぐ横の畑で、農作業中の年配の夫婦に話を聞く。

  「日本は朝鮮のどの都市でも、もっとも景色の美しい場所に神社を造りました。祝日になると、大勢の日本人が集まって来て騒いでいましたよ」

●軍人・軍属遺族からの厳しい批判の言葉
 私は今までに、朝鮮で約80人の植民地支配による被害者を取材。今回、そのうちの4人と会った。東京都目黒区の祐天寺には、朝鮮人の軍人・軍属らの遺骨が厚生労働省によって保管されている。朝鮮半島南側で召集された人の遺骨の、韓国への返還は進んだ。しかし、北側からの425人分は放置されたままだ。

 金元鏡(キム・ウォンギョン)さん(1937年-)と最初に会ったのは2005年。陸軍軍属だった父親の金正表(キムジョンピョ)さんは、インドネシアのセルベス島で戦死。

 2004年12月、父親をギルバート諸島で亡くした金勇虎(キム・ヨンホ)さんとともに訪日し、父親の遺骨と対面しようとした。ところが日本政府は、事実上の入国拒否をしたのである。金勇虎さんは、2010年12月に亡くなってしまった。金元鏡さんは次のように語る。

 「今でも、祐天寺へ行って遺骨を確認したいと思っています。たとえそれが父親の遺骨でなくても、朝鮮人のものであれば持ち帰り、母親の墓の隣に埋葬したいです」

 2001年に取材した金致麟(キムチリン)さんは1924年生まれ。1944年に召集され、「第4農耕勤務隊」として愛知県で農作業をさせられた。陸軍兵士なので、名簿が残っている。私は、それに記載された約2500人の中から、本人の証言と一致する本籍が「順川(スンチョン)郡」で「昭19」に召集された「金村致麟」の名を探し出していた。

父の名がある名簿
「第四農耕勤務隊留守名簿」に記載された父親の名前を指す金燦順さん(2015年6月17日撮影)

 しかし私に会いに来たのは、長女の金燦順(キム・チャンスン)さん(1959年-)だった。致麟さんは2009年に死亡していたのだ。「日本という名を聞いただけで、父の怒りを思い出します。日本は不倶戴天の敵です。父の恨みの代価を、遺族が払わせます」(続く)

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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