朝鮮半島を縦断した日本人探検家(下)

 2007年8月、探検家の関野吉晴さんの朝鮮半島縦断の旅は続く。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と大韓民国(韓国)に分断されている朝鮮半島。私はその悲劇を、この旅の中で紹介する計画を立てた。

 南北に別れて暮す兄弟を、関野さんに訪ねてもらうことにした。それは、平壌市で暮す白褆寅(ペク・チェイン)さんと、韓国の慶尚南道(キョンサンナムド)の兄の白守寅(ペク・スイン)さん。

 褆寅さんは6人兄弟の次男として生まれた。1943年4月に「徴用」という名で、兵庫県の「明延鉱山」へ連行。ここは銅・鉛・亜鉛を採掘する鉱山である。

 「毎日、死を覚悟するほどの危険で過酷な労働だったため、ここから脱出しました」と褆寅さんは語った。

 戦後も日本へ残り、政治的に支持をしている北朝鮮へ1972年に帰国した。その結果、韓国にある故郷で暮す守寅さんと会うことができなくなってしまう。

 私は褆寅さんを取材したビデオ映像を、韓国のニュース専門テレビ局・YTNで放送。そのことで、2005年に守寅さんが訪朝することができ、褆寅さんと62年ぶりの再会を果したのである。

 8月15日、関野さんと共に褆寅さんのアパートを訪ねた。褆寅さんの部屋は10階にあり、エレベーターで上る。だが、そこで待っていたのは長男と次男だけだった。褆寅さんはこの年の1月に亡くなったというのだ。

霊通寺の関野吉晴
開城の霊通寺(リョントンサ)を朝鮮人青年と共に出発する関野さん(右、2007年8月)

 関野さんの旅はさらに南へ。開城(ケソン)市を経て板門店へ着く。「軍事停戦委員会」の本会議場内へは、南北のどちらから訪れた観光客でも入ることができる。テーブルの真ん中が軍事境界線だが、会議場内であれば自由に歩き回ることが認められている。

 だが、ここから韓国へ入国することは出来ない。関野さんの北朝鮮での旅はここで終わった。空路で中国を経由して韓国へ入り、旅の続きはこの同じ場所から始まった。分断された南と北が、いかに遠く離れていることか!

 関野さんは、釜山(プサン)を目指して自転車で走行。9月4日、その途中で白守寅さんを訪ねた。古い伝統的な家屋に招き入れられた。関野さんは、白褆寅さんが亡くなったことを伝え、平壌で撮影した息子たちからのビデオメッセージを見せた。

 釜山へ着いた関野さんは、対馬までカヤックを漕いで渡り、この「日本人の来た道中央ルート」の旅を終えたのである。

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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