私の朝鮮報道を批判した安倍首相
総務省は3月7日、放送法が定めている「政治的公平」の解釈に関する「取扱厳重注意」とされている内部文書を公表した。2014年~15年の安倍政権下で、「解釈」について首相官邸と総務省とのやり取りが記載されている。
公開文書には、驚くべき内容がある。総務省局長が礒崎陽輔首相補佐官に「首相に話す前に菅義偉官房長官に話すことも考えられる」と語ると、礒崎補佐官は次のように恫喝したのだ。
「局長ごときが言う話ではない。この件は俺と首相が2人で決める話。俺の顔をつぶすようなことになれば首が飛ぶぞ」
礒崎補佐官のこの傲慢な態度は、安倍晋三のメディアへの高圧的な姿勢があったからできたことだ。それは、私が企画・取材してテレビ放送した番組に対するたび重なる批判にも示されている。

新潟港の「万景峰92号」(2004年4月25日撮影)
日本政府は、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に対する独自制裁として「万景峰(マンギョンボン)92号」の日本入港を禁止しようとした。そのための「特定船舶入港禁止法案」が議論されている時に、多くのメディアがこの船そのものを取材せずに「疑惑の船」だと報道。これに疑問を持った私は2004年4月に乗船取材を行なった。元山(ウォンサン)到着後は、この船の乗客である在日朝鮮人1世の親族訪問に同行した。
私がその11日間に撮影したフィルムは50本で約1800枚、ビデオテープは44本で約29時間。いくつかの雑誌と、テレビではTBS系列『報道特集』で発表した。誰もやったことのない内容のタイムリーな取材となったことで、大きな反響があった。

『報道特集』の特集「万景峰号に乗船取材・北朝鮮上陸」の一場面
すると、朝鮮への制裁を声高に主張し「特定船舶入港禁止法」成立に執着していた自民党の安倍幹事長は、私のこの取材を次々と批判した。
5月16日放送のフジテレビ系列『報道2001』の中で、朝鮮が日本のマスメディアに「万景峰92号」の取材をさせたと述べたのである。この乗船取材は私が思いついたものであり、消極的な朝鮮側と交渉を重ねて実現させたものだ。
それだけではなかった。次に安倍は、7月の徳島・岡山・大阪での街頭演説で次のように発言。
「北朝鮮は(入港禁止法を)成立させないため、いろんな圧力をかけてきた。テレビ局や新聞社、学者や評論家への工作に大変なお金を使った」(『中日新聞』2004年7月9日付)
私はこの時の取材も含め、朝鮮やその関係者から金をもらったり特別待遇を受けたりしたことは一度もない。強いて言えばこの取材で宿泊した「解放山(ヘバンサン)ホテル」が3等室料金で2等室に泊めてくれたこと。そして、請求された6日間の自動車と運転手のチャーター料800ユーロ(約10万円)を「高すぎる」と言ったら1万円安くしてくれたこと。それだけが朝鮮からの「便宜供与」である。
安部は「入港禁止法」への批判に過敏になって発言したのだろうが、責任ある与党幹事長という立場にありながら朝鮮による「圧力」と「工作」の内容について具体的な説明をしなかった。事実関係を確認もせず、自らの感情や思い込みのまま安易に批判する姿勢はその後も変わらなかった。
朝鮮への不安と怒りを徹底的に煽り、朝鮮への異常なまでの強硬姿勢を取ることによって、安倍は2006年9月に内閣総理大臣になっている。
公開文書には、驚くべき内容がある。総務省局長が礒崎陽輔首相補佐官に「首相に話す前に菅義偉官房長官に話すことも考えられる」と語ると、礒崎補佐官は次のように恫喝したのだ。
「局長ごときが言う話ではない。この件は俺と首相が2人で決める話。俺の顔をつぶすようなことになれば首が飛ぶぞ」
礒崎補佐官のこの傲慢な態度は、安倍晋三のメディアへの高圧的な姿勢があったからできたことだ。それは、私が企画・取材してテレビ放送した番組に対するたび重なる批判にも示されている。

新潟港の「万景峰92号」(2004年4月25日撮影)
日本政府は、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に対する独自制裁として「万景峰(マンギョンボン)92号」の日本入港を禁止しようとした。そのための「特定船舶入港禁止法案」が議論されている時に、多くのメディアがこの船そのものを取材せずに「疑惑の船」だと報道。これに疑問を持った私は2004年4月に乗船取材を行なった。元山(ウォンサン)到着後は、この船の乗客である在日朝鮮人1世の親族訪問に同行した。
私がその11日間に撮影したフィルムは50本で約1800枚、ビデオテープは44本で約29時間。いくつかの雑誌と、テレビではTBS系列『報道特集』で発表した。誰もやったことのない内容のタイムリーな取材となったことで、大きな反響があった。

『報道特集』の特集「万景峰号に乗船取材・北朝鮮上陸」の一場面
すると、朝鮮への制裁を声高に主張し「特定船舶入港禁止法」成立に執着していた自民党の安倍幹事長は、私のこの取材を次々と批判した。
5月16日放送のフジテレビ系列『報道2001』の中で、朝鮮が日本のマスメディアに「万景峰92号」の取材をさせたと述べたのである。この乗船取材は私が思いついたものであり、消極的な朝鮮側と交渉を重ねて実現させたものだ。
それだけではなかった。次に安倍は、7月の徳島・岡山・大阪での街頭演説で次のように発言。
「北朝鮮は(入港禁止法を)成立させないため、いろんな圧力をかけてきた。テレビ局や新聞社、学者や評論家への工作に大変なお金を使った」(『中日新聞』2004年7月9日付)
私はこの時の取材も含め、朝鮮やその関係者から金をもらったり特別待遇を受けたりしたことは一度もない。強いて言えばこの取材で宿泊した「解放山(ヘバンサン)ホテル」が3等室料金で2等室に泊めてくれたこと。そして、請求された6日間の自動車と運転手のチャーター料800ユーロ(約10万円)を「高すぎる」と言ったら1万円安くしてくれたこと。それだけが朝鮮からの「便宜供与」である。
安部は「入港禁止法」への批判に過敏になって発言したのだろうが、責任ある与党幹事長という立場にありながら朝鮮による「圧力」と「工作」の内容について具体的な説明をしなかった。事実関係を確認もせず、自らの感情や思い込みのまま安易に批判する姿勢はその後も変わらなかった。
朝鮮への不安と怒りを徹底的に煽り、朝鮮への異常なまでの強硬姿勢を取ることによって、安倍は2006年9月に内閣総理大臣になっている。
- 関連記事