北朝鮮で予防隔離を受けた!(中)

 2003年4月24日、ロシアのウラジオストクで新潟からの航空便を高麗(コリョ)航空271便・平壌(ピョンヤン)行きへと乗り継ぐ。客席は3分の2ほど埋まっていて、そのほとんどは帰国する朝鮮人のようだ。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌国際空港へ到着したのは、ほぼ定刻の午後8時12分。機体はターミナルビルの前で止まったものの、乗客を降ろす気配がない。電源車からの電力供給がないため、機内の照明はすぐに消えた。
 しばらくするとドアが開き、窓からの薄明かりしかない機内に何人かが入って来た。そして乗客たちへ、手にした箱から小さな棒状のものを取り出して手渡し始めたのである。私には、それは筆記具のように見えた。近づいて来たその人たちが、マスクをして白衣を着ていることに気づく。手渡されたのは体温計だった。

 2002年11月に中国の広東省で発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)は、一気に感染を拡大。致死率は約15%で、最終的には774人が死亡した。「世界保健機構(WHO)」は2003年3月12日に警報を出す。私が平壌へ着いたのはその翌月の24日で、感染者が急増している時期だった。平壌へ乗り入れている航空便は、北京・瀋陽からのものはすでに運休になっており、このウラジオストクからのものが最後だった。機内での検温は、海外からの渡航者に発症者がいないかどうかを調べるためのものだった。

ウラジオストクの高麗航空機
ウラジオストク空港で撮影した高麗航空機(2003年5月撮影)

 機内に発熱している人はいなかったようで、乗客全員は空港ターミナルへ移動して入国審査を受けた。ところが私だけが、入国審査官に事務所へ連れて行かれたのである。朝鮮入国のためのビザを持っていなかったためだ。
 私のビザは、ナホトカにある朝鮮領事館がいつもと同じように空港へ持って来ることになっていた。ところが、それが届いていなかったのである。おそらく領事館は、このような大変な状況の中で訪朝する日本人などいないと勝手に判断したのだろう。

 長い取り調べの結果、始末書を取られたものの何とか入国が認められた。ようやくターミナルビルを出ると、そこで待ち受けていたのは大型バスだった。すべての乗客は、10日間の予防隔離を受けることになったというのである。この措置はWHOの指導に従ったものだという。朝鮮は、食糧不足によって人々の免疫力は低下し、医薬品と医療機器も足りない。そうした状況で感染者が入国すれば、またたくまに広がってしまうからだ。この2003年より状況はかなり改善されたものの、エボラ出血熱への厳しい措置も同じ理由による。

 外国人と朝鮮人とは別の場所で隔離されるとのことで、指示されたバスに乗り込む。外国人を乗せたバスは、空港から北の方へ走り出した。車窓から見えるのは、明かりがほとんどない風景ばかり・・・。今までさまざまな国で「冒険旅行」をしてきた私だが、待ち受けているこれからの事態を考えていたら、不安な気持ちが一気に押し寄せてきた。(続く)

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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