北朝鮮 返還の米兵遺骨で明らかになった日本外務省の無知

 米朝首脳会談の合意により、朝鮮戦争(1950~53年)の休戦協定締結から65年の7月27日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)はこの戦争で死亡した米兵の遺骨55体を11年ぶりに返還。米国務省のナウアート報道官は、北朝鮮から金銭の要求はなく米国は返還費用を払っていないとした。


三合里
三合里の人民軍基地内にある日本軍将兵の埋葬地での発掘調査(2012年9月5日撮影)

 これらの遺骨は、ホノルルの「米国防総省捕虜・行方不明者調査局(DPAA)」の研究所で調査を受けている。かつて返還された遺骨では、DNA検査によって米兵だけでなく韓国兵の身元が判明したケースもあり、遺族へ返還されている。

 ホノルル訪問中の河野太郎外相は8月22日、「DPAA」を訪れて遺骨調査のようすを視察した。「河野外相は、研究所の責任者に『我々の戦士についても確認作業をしていただいていることに感謝します』と語った」(「朝日新聞デジタル」8月23日付)という。遺骨の中に日本の将兵のものがあるかどうか、調査依頼をしているということのようだ。

 だが、米兵遺骨の中から日本兵のものが見つかることなどありえない。そう思っているのなら、北朝鮮の大地に眠る日本人遺骨の状況を、外務省はまったく理解していないということだ。

 1945年8月の日本敗戦によって、ソ連管理下に置かれた朝鮮半島の北緯38度線北側に日本の民間人と日本軍将兵が残された。その年から翌年にかけて伝染病や寒さと栄養失調で、民間人約2万4000人、将兵約1万600人の合計約3万4600人が死亡。実際にはもっと多いと思われる。

 日本への引き揚げ時に持ち帰られた遺骨は約1万3000人分といわれており、それ以外の約2万1600人分は今も北朝鮮各地に残っている。判明している埋葬地だけでも71カ所もある。

 民間人と将兵は各地の収容所へ入れられ、死亡するとそこへ埋葬された。私は2012年8月に5カ所で行われた発掘調査を取材。どこも、大きな壕に遺骨が隙間なく並んでいた。墓地の形になっているのは、平壌(ピョンヤン)郊外の龍山(リョンサン)だけである。

 ソ連軍の捕虜となった日本軍将兵が収容されたのは平壌近郊の三合里・美勒洞・秋乙、地方都市では古茂山・富寧・宣徳・富平・五老里・咸興・興南。規模の大小はあるものの、それぞれに埋葬地があると思われる。

 このように、日本の民間人や将兵の埋葬地はその位置がほぼ特定されている。朝鮮戦争で戦死した米兵がどのような形で埋葬されたのか不明だが、それが重なったことはあまり考えられない。それよりも、米国へ返還された遺骨の中にアジア人のものがあったならば、それは一緒に戦った韓国兵のものだろう。

 2012年からの北朝鮮への日本からの墓参団は、12回で約100人の遺族らが参加。同行取材したマスメディアはその数を上回る。こうしたことがあったにもかかわらず、日本政府は日本人埋葬地の現地調査を実施していない。

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建物建設などで見つかった日本人遺骨10人分が、最近になって移された興南の日本人「墓地」(2018年2月23日撮影)

 私は昨年8月と今年2月に興南(フンナム)の埋葬地を取材したが、2012年とすっかりようすが変わっていた。地方都市でも開発事業が進んでおり、日本人埋葬地が次々と消えようとしている。
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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
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