北朝鮮との戦争の覚悟を求める安倍政権

 日朝は、さらに敵対関係が進みつつある。今までそれはおもに政府間でのものだったが、安倍政権は国民レベルまで積極的に拡大させようとしている。

平壌風景
平壌市内(2017年4月12日撮影)

 日本政府は4月21日、都道府県の危機管理担当者を集めて説明会を開催し、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)からの弾道ミサイルに対する住民の避難訓練を行うよう指示した。それに従い、各地で訓練が次々と実施されている。

 内閣官房の「国民保護ポータルサイト」で着弾情報が流れた場合の行動を示している。
(1)屋外にいる場合は頑丈な建物や地下街に避難
(2)建物がない場合は物陰に身を隠すか地面に伏せて頭部を守る
(3)屋内にいる場合は窓から離れるか窓のない部屋に移動

 このサイトは、昨年2月以降は月30万~40万件だったが、今年4月には約930万件もアクセスがあったという。

 アジア太平洋戦争中、「防空訓練」が日常的に実施された。総務省のウェブサイトには下記の記載がある。
 「防空訓練は中国と戦争を始めたころから定期的に行われていましたが、太平洋戦争に入ってからは日常化し、家庭の主婦までが参加させられるようになりました。訓練は焼夷弾の処理や消化訓練、防毒マスクのつけ方など実戦的な内容でした。しかし、B29爆撃機による焼夷弾の大量投下の前には日ごろの訓練はほとんど役に立ちませんでした。火を消そうとしてかえって、逃げ遅れてしまい犠牲者の数を増やす結果になってしまったのです」

 現在、日本政府が地方自治体に実施させている訓練はこの70数年前と同じ内容である。さすがに、「竹槍訓練」までやれとは言わないだろうが・・・。

 今年4月・5月、米国による北朝鮮への軍事攻撃が実施される寸前までになった。しかしその時の日本国内には、突如として米朝戦争に巻き込まれるかも知れないことへの驚きと動揺が広がった。

 今月16日には山口県下関市が、韓国の姉妹都市への小学生派遣の中止を明らかにした。朝鮮半島情勢の緊迫化がその理由だという。

 日本政府が全国で実施させようとしている避難訓練は、言葉だけでなく実際に行動させることによって、北朝鮮への恐怖心を感じさせようとするものだ。戦争が出来る国にするため次々と立法を強引に行った安倍政権は、市民に北朝鮮との戦争への覚悟を求めようとしているようだ。

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「拉致問題」で切り捨てられた帰国への思い

「週刊金曜日」2017年6月2日に号へ掲載した記事を紹介する。

 日本敗戦時の混乱で、朝鮮半島北側から帰国できなかった「残留日本人」。そして帰国事業で朝鮮人の夫とともに海を渡った「日本人妻」が取材に応じた。日本政府は、彼女ら朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)で暮らす日本人の帰国や里帰りへの取り組みをやめている。

荒井
荒井琉璃子さん(2017年4月13日撮影)

 1945年8月15日の日本敗戦で、朝鮮半島は北緯38度線で南北に分断。北側を管理したソ連は、そこに居住していたり中国東北地方から逃げ込んだりした日本人の帰国を認めなかった。その年から翌年にかけ、飢えと寒さと伝染病で民間人約2万4000人、将兵約1万600人が死亡。その極限状態の中で親から朝鮮人に託されたり、肉親とはぐれたりした子どもたちがいた。また工場などを動かすために、技術者とその家族が留め置かれた。

 朝鮮半島北側から引揚げた日本人は約32万人。ソ連管理下での日本政府による引揚げ事業は、46年12月から48年7月まで実施された。厚生労働省によると「未帰還者」として家族から届けられているのは1442人。その内訳は男性が約1000人で半数が軍人・軍属、女性は約400人。だが実際は、この数字を大きく上回ると予想される。

 48年9月に建国した朝鮮と、残留日本人帰国のための交渉が始まったのは54年1月。「日本赤十字社」と「朝鮮赤十字会」とのさまざまなやり取りの結果、56年4月にわずか36人が帰国。これ以降は実現していない。

 これまで残留日本人を日本のメディアが取材したことはなく、その実態はまったく分からなかった。だが断片的な情報はあった。清津(チョンジン)市で暮らしてきた日本名・丸山節子さんは、日本の家族と頻繁に手紙のやり取りをし、5回にわたって弟が訪朝。私は丸山さんへの取材を何度か申請したものの「取材を受けるだけの体力がない」として断られていた。

調査は済んでいた
 忘れ去られそうになっていた残留日本人に再び注目が集まったのは2014年5月の「日朝ストックホルム合意」である。それに基づき朝鮮は「特別調査委員会」を設置し「日本人遺骨」「残留日本人・日本人配偶者」と「拉致被害者・行方不明者」について調査することになった。

 私は4月13日に「日本研究所」の曺喜勝(チョ・ヒスン)上級研究員にインタビューをした。「3年前の残留日本人調査の時、私が会ったのは3人ですが9人いました」と流ちょうな日本語で語った。「特別調査委員会」は、発足直後に調査をしていたのだ。

 「その時、朝鮮の赤十字会とメディアが丸山節子さんと会い、テレビで紹介しました。ですが日本からは何の反応もなかった。(日本人埋葬地への)墓参と同じように、日本の問題なのに放置したままです。地方の埋葬地では、開発で失われてしまった場所もあると聞いています」

 19日に、1人の残留日本人が取材に応じてくれることになった。歴史の闇の中に消えようとしていた日本人の朝鮮への残留。その重大な出来事の当事者と会えることに私は興奮した。
その残留日本人が暮らすのは咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市。案内されたのは、建設からかなり年月の経ったアパートだった。リ・ユグムさんの日本名は「荒井琉璃子(あらい・るりこ)」で、1933年1月生まれ。日本語は話せない。

 「咸鏡北道(ハムギョンブクド)会寧(フェリョン)で暮らしていた時に父が徴兵され、間もなく解放を迎えました。家族は日本へ引き揚げるため南へ向かったものの、咸興で汽車から降ろされたんです。ここで私は家族とはぐれ、朝鮮人に育てられて結婚しました」
連絡を取ったことのある残留日本人はいないのかと私が尋ねると「自分のような境遇の人はいない」と言う。他の残留日本人の存在を知らずに生きてきたのだ。

 午後からは、市内中心部にある新興山(シンフンサン)ホテルで「咸興にじの会」の人たちと会う。リ・ユグムさんが会長で、他の5人は「日本人妻」だ。「咸鏡南道人民委員会」の担当者が、概要を説明してくれた。
「この咸鏡南道には、残留日本人が24人と、帰国事業で朝鮮人男性とやってきた日本人妻と子ども308人がいました。今は(合わせて)39人が残っています」

里帰りを望む日本人妻
 日本は朝鮮植民地支配において、朝鮮人を天皇に忠実な「日本人」にしようと「皇民化政策」を実施。その一つとして、日本人と朝鮮人との「内鮮結婚(ないせんけっこん)」を奨励した。その多くが日本人女性と朝鮮人男性との結婚だった。そうした日本人妻が、韓国と朝鮮で暮らしている。
 韓国の場合は、日本敗戦後も生活基盤のある朝鮮半島南側へ残った人や、生活していた日本から帰国する朝鮮人の夫とともに渡った人だ。私が取材した90年代半ばの推定で約1000人。朝鮮は韓国と異なり、59年から84年まで行われた帰国事業で夫とともに渡った人で、その数は約1800人である。

 74年に日本において、朝鮮で暮らす日本人妻の里帰り(一時帰国)を求める動きが始まる。それが実現したのは97年になってからで、2000年まで3回にわたり43人が里帰りをした。そこには2人の残留日本人も含まれていた。99年に村山富市元首相を団長とする超党派訪朝団が、里帰りの継続について朝鮮労働党と合意。だが日朝関係の悪化によって中断されてしまった。

 こうした状況の中で、咸鏡南道で暮らす日本人たちが「咸興にじの会」を設立した。日本と朝鮮との間に虹の橋を架けたいとして名付けたという。昨年11月から活動を開始し、会員は11人。新興山ホテル内に事務室まで設けている。熊本県出身のリ・エイスンさんは日本語で次のように語った。

 「2002年の第4回里帰りに参加することになり荷造りまでしていたのに、日本政府が中止にしてしまったんです。どれだけ泣いたのか分かりません。両親の墓参りに日本へ行きたいし、一日でも早く日朝国交正常化を実現してほしいのです」

 残留日本人と日本人妻の帰国については、日本が朝鮮へ長年にわたり強く要求してきたことである。ところが1990年代に拉致問題が浮上すると、これらは顧みられなくなる。それどころか、これらへの取り組みは拉致問題解決の足を引っ張るかのような主張が溢れた。

 2015年の日朝非公式協議において、日本人妻について朝鮮側が「具体的に帰国させる人物を特定してきたが、日本側は応じていない」(「朝日新聞」15年9月23日付)ということがあった。日本政府は「拉致被害者・行方不明者」で満足できる報告がなければ、他のことは完全に無視するという姿勢なのだ。

 14年8月、「特別調査委員会」が丸山節子さんを訪ね、帰国の意思があるかどうかを聞いたという。日本政府が決断すれば、すぐにでも帰国ができる状況だった。ところが丸山さんは15年1月に86歳で亡くなってしまう。

 朝鮮を極端に敵視する安倍政権は、日朝間には拉致問題しか存在しないかのような政策を行い、残留日本人と日本人妻などを切り捨ててきた。そうしている間に朝鮮で暮らす日本人は亡くなり、日本人遺骨の収容は困難になりつつある。

 朝鮮がこうした人道問題を日朝関係改善の糸口にしようとしているのは確かだ。しかしそうであっても、これらの課題に取り組まないというのは棄民政策である。日本政府は、朝鮮で暮らす日本人の帰国と、政府支援による遺族の墓参を早急に実現するべきだ。

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北朝鮮が「反米」を掲げる理由とは

「週刊金曜日」2017年5月19日号に掲載した記事を紹介する。

朝鮮が米国に求め続けてきたのは平和条約の締結

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)が5月14日早朝、新型弾道ミサイルを発射した。朝鮮はなぜ、「反米」を掲げ、核・ミサイル開発を続けるのか。緊張が高まり始めた4月、14日間に及ぶ現地取材を敢行したジャーナリストがその理由に迫った。

軍事パレードの兵士
軍事パレードでの一糸乱れぬ行進(2017年4月15日撮影)

 地面が振動で小刻みに揺れている。さまざまな軍服の兵士集団が、高く振り上げた足で地面を叩きながら行進しているからだ。2017年4月15日、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の首都・平壌(ピョンヤン)。金日成(キム・イルソン)主席生誕105年の祝賀行事での最大の見せ場として、軍事パレード(閲兵式)が行われた。

 パレード後半では、米国本土まで到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)とみられる新型ミサイルなど最新兵器が公開された。朝鮮外務省が、祝賀行事の取材のために入国を認めた海外メディアは123人。そのうちの最多は23人の米国である。今回のパレードは、米国・トランプ政権への強力な威嚇として行われた。

 だが平壌だけでなく地方都市でも、軍事的緊張や制裁の影響はまったく感じられない。それどころか、車で通り過ぎたほとんどの地方都市では、図書館など公共施設の建設工事が盛んに行われている。また、地方の幹線道路をたくさんの大型トレーラーが行き来しているのも見た。舗装状態が悪い道路は多いが、物流は活発に行われているようだ。

反米教育のための博物館

 昨年11月8日の米国大統領選挙でドナルド・トランプ氏が当選。私は新大統領への朝鮮の評価を取材するため、昨年12月初旬と年明けに取材申請をしたものの認められなかった。今回、4月8日~21日までの許可が出たのは、トランプ政権への評価が定まったからだ。

信川博物館
「信川の血の教訓を忘れるな!」とのスローガンを掲げた信川博物館(2017年4月14日撮影)

 朝鮮には、米国をどのように捉えているのかが明確に分かる場所がある。米国との歴史について展示しているいくつかの博物館だ。

 そのうちの一つの「信川(シンチョン)博物館」は黄海南道(ファンヘナムド)信川郡にあり、平壌市から車で約90分。雨の中を女性の解説員が出迎えてくれた。
 「この博物館は反帝・反米教育の重要拠点の一つです。金日成主席は(朝鮮)戦争休戦の17日後にこの信川を軍服姿で訪れました。そして米国の蛮行を暴露する博物館を建てるようにと指導され、1960年6月に開館しました」。

 朝鮮戦争は1950年 6 月25日に始まり、53 年7月27日に休戦。米軍が一時的に占領した38度線以北の数多くの場所で、住民が集団虐殺されたという。そのうち、もっとも死者が多いのは信川である。米軍占領下の50年10月17日から12月7日までの間に、3万5383人が殺されたという。パブロ・ピカソが51年に発表した「朝鮮の虐殺」という絵は、この事件を描いたものだ。

 「信川博物館」の年間参観者は国内からは30~40万人で、海外からは約2万人。朝鮮戦争をともに戦った中国やロシア(当時はソ連)だけでなく、米国・英国・オーストラリアなどの「敵国」だった国からも訪れるという。

 「金正恩(キム・ジョンウン)委員長は2014年11月、新しい時代の反帝・反米教育をするため立派に建て直すようにと現地指導されました。翌年2月に着工してから4カ月間足らずで完成したんです」
 このことに、金委員長の米国との対決姿勢が明確に表われている。「信川博物館」と同じように米国に関する展示をしている「朝鮮革命博物館」(1948年開館)と「祖国解放戦争勝利記念館」(53年開館)も建物の老朽化がひどかった。だが金正恩時代になると、全面的な改装・改築を実施。米国との敵対関係の解消にはまだ長い時間がかかるとの判断と、大国に翻弄されてきた歴史を若い世代へ伝承することが理由だろう。

 以前の「信川博物館」には、何カ所もある虐殺現場での発掘時の写真や人々の遺品が数多く展示されていた。新博物館はそれに加え、非常にリアルな人形を使った精巧なジオラマを多用して凄惨な事件現場を再現している。

 展示は、信川での住民虐殺は「米軍による戦争犯罪」との主張が貫かれている。だが韓国には、社会主義政権と対立していた住民らによるものとの説がある。また77年に平壌で出版された『アメリカ帝国主義は朝鮮戦争の挑発者』には、信川を占領した米軍司令官が「反動的地主、悪質宗教者、高利貸業者、やくざ者など人間の屑をかき集めて、虐殺蛮行にかり立てた」と記している。私は解説員に、米軍と民間人のどちらによる虐殺が多かったのかと聞くと「キリスト教徒による虐殺の事実もあるが、基本的に米軍が張本人」との答えだった。米国との敵対関係が長期に及ぶ中で、「米軍による虐殺」と単純化されてきたようだ。

 どの博物館も「朝鮮人民の不倶戴天の敵」として米国を徹底的に批判し「反米」を煽っている。それは米国と友好的な関係になる日まで、この国を守るために必要なのだろう。

米国との対決の歴史

 朝鮮が米国と決定的な敵対関係になったのは、朝鮮戦争で激しく戦ったからである。朝鮮側の死者は、軍民合わせた約250万人と中国軍の約100万人。韓国側は軍民約150万人と米軍の約5万人と推定される。また物的被害は、米軍による徹底した無差別の空爆・砲撃により38度線以北は完全に焦土と化した。そして米軍は細菌兵器も使用。日本陸軍「731部隊」が行なった細菌戦研究を利用し、コレラ菌・ペスト菌などで汚染させた昆虫を詰めた爆弾を各地に投下したと非難している。

 米国はその後も、朝鮮への軍事攻撃を何度も実行しようとした。68年1月、米国海軍の情報収集艦「プエブロ号」が朝鮮人民軍によって拿捕。米国は報復として70キロトンの原爆を投下することを検討した。93年、朝鮮は「国際原子力機関」による特別査察を拒否。そして「核拡散防止条約」と「国際原子力機関」からの脱退を表明した。これに対して米国・クリントン政権は、寧辺(ニョンビョン)の核施設への空爆を準備。だが朝鮮による反撃で、米韓軍と民間人150万人以上が死亡すると推計されたために攻撃は断念された。

 朝鮮にすれば、少しでも油断したら圧倒的な軍事力を持つ米韓によって核兵器を含む攻撃を受け占領されるという状況が続いてきた。そのためそれを防ぐ「最強の抑止力」として、核兵器とその運搬手段の開発を進めているという。昨年6月にインタビューした朝鮮外務省の趙炳哲(チョ・ビョンチョル)研究員は「わが国が核兵器開発をしなければならないよう押しやったのは米国である」と述べた。

 朝鮮が米国に求め続けてきたのは、朝鮮戦争の「休戦協定」を「平和条約」にすること。それによって、米国からの日常的な軍事的脅威をなくしたいのだ。このごく当然な要求を、朝鮮戦争休戦から64年間も米国は拒み続けてきた。米国は朝鮮戦争で、多大な人的被害を出しながらも朝鮮に勝てなかった。そして「プエブロ号」事件では、謝罪文に調印するという敗北を味わった。この「屈辱の歴史」が、朝鮮戦争の終結に米国が取り組まなかったことの背景にある。

 現在の米朝の軍事的緊張は、第2の朝鮮戦争を引き起こしかねない。明確な朝鮮政策のないトランプ政権は、最大の軍事的威嚇を実施。対する朝鮮は、戦争を覚悟して米国との交渉実現のための賭けに打って出た。5月14日には、新型の中距離弾道ミサイル「火星(ファソン)12型」を発射した。韓国では朝鮮との対話路線を打ち出す文在寅(ムン・ジェイン)大統領が誕生し、5月8日~9日に米朝が非公式協議。そのことで生まれた緊張緩和の期待に冷水を浴びせた。朝鮮は、核・ミサイル開発が完成した状態での米国との交渉でなければ目的を達成できないと考えているのだろう。

日本の対米追随を批判

 4月20日に単独インタビューした宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使は、米国に関係しても積極的な発言をした。
 「15日の閲兵式で登場した戦車などには『朝鮮人民の敵である米帝を徹底的に消滅しよう』と書かれていました。他国は米国の脅しに屈することがあっても、わが国は米国ととことんやるという立場です。その状況は成熟しています」

 このような米国への強気の発言に続けて日本について言及した。
「問題は日本が米国に追随していること。米国よりも先に、日本を攻撃してもおかしくないのが今の状況です。我が国が忍耐強く我慢しているのは、朝日人民の友好を大切にしているからです」

 安倍政権はこの状況においても「北朝鮮の脅威」を煽り、トランプ政権による朝鮮への軍事的冒険に積極的な支持と自衛隊による軍事協力をしている。その極めて軽率で危険な行為に対し、マスメディアは積極的な批判をせず、広汎な市民運動も起きていない。日本がするべきことは、トランプ政権の朝鮮への強硬姿勢を制止し、朝鮮との対話へ踏み出すように働きかけることだ。そして日朝間の諸問題を解決するために、朝鮮との独自の外交交渉を始めるべきだろう。

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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