北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(4)

  『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

羅津「慰安所」跡
羅津の「慰安所」と思われる日本家屋跡(2015年6月22日撮影)

●新たな「慰安所」跡か
 清津市の羅南(ラナム)区域に陸軍の「慰安所」地区が見つかったと聞いて訪ねたのは2002年。羅南は陸軍が新たに建設した都市で、「第19師団」の施設が市街地の多くを占める。

 その郊外の、小高い山と鉄道の高架に四方を囲まれた場所に「美輪の里」が造られた。民間人が運営する十数棟の「遊郭」に、日本人・朝鮮人を合わせ約120~200人弱の女性がいた。そのうち、朝鮮人は約60人とする文献もある。

 この「美輪の里」の近くで、1941年から4年間暮らした京都府在住の男性(1929年-)に、この取材へ出る直前に話を聞いた。
 「私は子どもでしたので『美輪の里』の中を自由に行き来していました。日曜日になると、道路が兵隊でいっぱいになったほどです。ここは軍人のための『慰安所』というかね。民間人が使うことはなかったですよ」
 「美輪の里」は「遊郭」だったものの、軍の「慰安所」としての役割を果たしていたようだ。

 朝鮮の最北端にある羅先(ラソン)特別市。その「人民委員会」が、羅津(ラジン)地区安和洞(アンファドン)に残る「慰安所」跡へ案内してくれた。地元では、以前から存在は知られていたという。

 車から降りると、この近くで暮らしている金明姫(キムミョンヒ)さん(1948年-)が、孫を伴って待ち構えていた。二人は先頭に立って細い坂道を登って行く。市街地を見下ろす傾斜地に、建物の基礎部分だけが残っている。金さんは、亡くなった父親から聞いたということを話し始めた。

 「この建物のすぐ下に日本軍将校の住宅地があって、そこから将校たちが階段を上がって来たそうです。朝鮮戦争での米軍の爆撃で、建物の上の部分が失われました」
 建物中央にコンクリートの通路があり、その両側に同じ広さの小部屋が並んでいるのがはっきりと分かる。直線距離で約13キロメートル離れた芳津の「慰安所」と、極めて似た構造である。この近くには他にも「慰安所」があったという。この日本家屋跡が「慰安所」だった可能性はある。だが目撃者はもういないため、これ以上のことは分からなかった。金さんは次のように語る。

 「父親は、日本の罪悪を忘れないためにこの『慰安所』跡を後世に残すべきだと言い続けていました。私も、子や孫にここの話をしています」

 芳津と羅南に残る「慰安所」の建物の風化は進み、撤去されてしまったものもある。この事について「咸鏡北道人民委員会対外事業局」の二人から話があった。韓成虎(カンソンホ)課長は率直に語る。
 「朝鮮は日本に対し過去の清算を要求していますが、日本による加害の歴史の証拠である『慰安所』の保存に関心を持たずにいました」

 日本は敗戦後生まれが80パーセントを越えたが、朝鮮でも植民地支配を知らない世代が増えている。尹国燮(ユングクソプ)副局長は48歳。
 「今まで、性奴隷被害者のことにそれほど関心はありませんでした。今回、伊藤先生の取材を受け入れるため、芳津と羅南の『慰安所』へ初めて行き、その実態を知りました。日本との間で、こうした不幸な歴史が再び繰り返されないように願っています」

●過去の清算と国交正常化
 平壌へ戻ると「平壌6月9日竜北(リョンブ)高級中学校」へ行った。学んでいるのは14~16歳。歴史の授業をしている教室へ入ると「日帝の朝鮮占領と反日義兵闘争・愛国文化運動」とホワイトボードに書かれている。授業後、学生たちに話を聞いた。

歴史の授業
「平壌6月9日竜北高級中学校」での授業(2015年6月29日撮影)

 「日本は、朝鮮人の名前と文字を奪ったあくどい侵略者であることが分かった」と女子学生。「大変残念なことだが、日本は目的を達成するにはいかなる行為もいとわない勢力」と男子学生が語る。韓慇姫(ハンウンヒ)先生にもインタビューをする。

 「日帝の朝鮮侵略を教えるカリキュラムは、3年間で33時間です。新しい世代は、植民地支配について肌で感じることがまったくないため、すぐには理解できないこともあります。そのため、当時の品物や写真が展示されている『朝鮮革命博物館』などへも連れて行きます」

 長い時が過ぎ体験者が亡くなるにつれ、歴史的事実は風化する。加害の側はその歴史を美化し、戦争への道を再び歩むこともある。一方の被害を受けた側は体験の継承を繰り返すうちに、簡略化だけでなく誇張してしまう危険性を持つ。両者の関係改善が遅くなるほど和解はより困難になるのだ。

 昨年5月の「日朝ストックホルム合意」で、日本政府は次のように表明。
 「北朝鮮側と共に、日朝平壌宣言にのっとって、不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、国交正常化を実現する意思を改めて明らかにし、日朝間の信頼を醸成し関係改善を目指すため、誠実に臨むこととした」

 植民地支配の40年間、その終焉から70年間。合わせて110年もの間、隣国との関係が不正常のままだ。日朝間の最大の課題は、植民地支配の清算である。この実現による日朝国交正常化は、東アジアに大きな安定と平和もたらすだろう。日本政府は戦略的視点から「ストックホルム合意」を大胆に前へ進めるべきだ。この機会を逃せば、再び長期にわたって日朝間のいかなる課題の解決もできないだろう。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(3)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

羅南「慰安所」
羅南地区に残る元「慰安所」の日本家屋と地元の人たち(2015年6月日撮影)

 朝鮮民主主義人民共和国でかつて見つかった日本軍「慰安所」は、今はどうなっているのか。学校では、日本による植民地支配をどのように教えているのか。15日間にわたり、平壌と地方都市で取材した。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の首都・平壌(ピョンヤン)の街には、「祖国解放70周年」の看板がいたるところに掲げられている。

 「朝鮮中央テレビ」では、「防弾壁」という抗日武装闘争についての全14話の連続ドラマを、午後8時半からのゴールデンタイムに放送。異例にも予告編を流し、日本人役の俳優に日本語を話させて朝鮮語の字幕を入れる、というほど制作に力が入っている。

●今も残る「慰安所」の建物
 日本はアジア太平洋戦争を遂行するため、植民地支配をしていた朝鮮から膨大な数の青年を本人の意思に反して連行。中でも、多くの朝鮮人女性を日本軍専用の性奴隷にしたことは、朝鮮での植民地政策の暴力性・非人間性を具現したものである。

 日本軍は「慰安所」を、軍事占領した国だけではなく朝鮮にも設けた。朝鮮半島で「慰安所」の建物が初めて確認されたのは、咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市青岩(チョンアム)区域芳津洞(パンジンドン)。

 日本支配期の芳津は約150世帯の寒村で、近くに大きな街はなかった。約1キロメートル離れた海軍基地「羅津方面特別根拠地隊」のための施設としか考えられえない。民間人が運営するものの、海軍が管理する軍人・軍属専用の「慰安所」なのは明白である(詳細は『週刊金曜日』1999年9月10日号「発見された日本海軍『慰安所』」)。

芳津「慰安所」
「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の建物(2015年6月日撮影)

 私がここを、外国人して初めて取材をしたのは16年前。それ以来の訪問である。「銀月楼」と呼ばれた元「慰安所」の前で車を降りる。解放後は「芳津診療所」として使われており、建設時と外観はほとんど変っていないという。

 この元「慰安所」の向かいに、軍医が女性たちの性病検査をした建物の跡があったが見当たらない。少し離れた場所に残っていたもう1棟の「慰安所」である「豊海楼」跡も、畑になっている。歴史的に貴重な証拠が失われたのは、実に残念である。

 日本支配期から芳津で暮らし、この「慰安所」について詳細に説明をしてくれた人たちはすでに亡くなっていた。何人かの住民に話を聞いたが、当時の具体的な状況を知る人はもはやいない。(続く)

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北朝鮮軍事パレード、満席で訪朝できず 残念!

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では、10月10日は朝鮮労働党創建70年の記念日。最大の目玉として、大規模な閲兵式(軍事パレード)が午後3時30分から2時間以上にわたって金日成(キム・イルソン)広場で行われた。

金正恩第1書記
10月10日の閲兵式での金正恩第1書記(朝鮮中央テレビより)

 金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は約25分にわたって演説し、米国と対決する決意を改めて表明した。

 私はこの一連の祝賀行事を取材するため、今年に入ってすぐに交渉を開始。やり取りの末、海外からの取材団の一員として訪朝することになった。

9月には、持参する撮影機材のリストを提出するなど手続きをすべて済ませた。あとは日程の連絡を待つだけである。

 ところが連絡があったのは9月下旬。10月8日入国・13日出国という日程である。ただちに航空券を予約しようとしたが、日本から中国、中国から北朝鮮(平壌)への便がすべて満席なのである。

 日本から中国へは、中国の国慶節の連休が重なった。中国から北朝鮮へは、世界約40カ国のメディア百数十人と各国の祝賀団が訪朝するため、臨時便まで出しても一杯だという。いろいろと方策を探ったものの、訪朝を断念せざるを得なかった。

閲兵式
10月10日の閲兵式でのミサイル(朝鮮中央テレビより)

 北京にスタッフを置き、経費のことを考えなくても良いマスメディアは、早めに入国して平壌から映像を送り出した。それをうらやましい思いで見ながらも、フリーランスのジャーナリストはマスメディアとは別の土俵で勝負するべきなのだと、自分自身に改めて言い聞かせた。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(2)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

被爆者
朴文淑さん(左)と李桂先さん(2015年6月18日撮影)

●被爆者が要求する政府の謝罪と補償
 長崎で被爆した朴文淑(パクムンスク)さん(1943年-)と最初に会ったのは1998年で、今回は11回目。「毎月1~2回の心臓発作を起こし、病院へ運ばれている」と言う。

 朴さんは「朝鮮被爆者協会」の副会長を務めている。1992年に「原水禁大会」参加のために日本へ行った際、「被爆者健康手帳(手帳)」の交付を受けた。日本政府は「被爆者援護法」にもとづき、広島・長崎での被爆者に対し国籍を問わず健康管理手当支給などの援護措置を実施する義務がある。国交のない台湾を含めた海外の被爆者にも行っている。

 広島で被爆した李桂先(リ・ゲソン)さん(1941年-)と会うのは9回目。胃腸や胆嚢・すい臓が悪く、私と会うために点滴を受けてきたという。
 李さんの母親が「手帳」を取得した際の文書に、娘も一緒に被爆した旨の記載がある。そのため李さんは、申請をすれば「手帳」取得が可能と思われる。私が監督した映画「ヒロシマ・ピョンヤン」(2009年公開)の中で、李さんは「手帳は被爆の証」として取得を強く望んでいた。ところが今回、「私たちが死ぬのを待っているような日本政府には、もう何も期待をしていない」と言うのだ。それに畳み掛けるように朴さんが語った。

 「長らく多くの日本人に働きかけたものの、日本政府は何もしませんでした。今では、こちらから何か要求する気はありません」
 朝鮮には、「手帳」取得ができる可能性が高い被爆者は、李さんを含め少なくても8人いるという。そのため、取得によって在朝被爆者も援護を受けられるようにしようという民間での運動がある。また日本政府や広島県医師会が、医療支援に向けて動いた時期もあった。しかしそれらは、何ひとつ実現していないのである。そうした日本に大きな期待を持っていた朝鮮の被爆者たちは、結果として翻弄されることになった。

李福順さん
平壌市内の自宅で家族と一緒の李福順さん(左から2人目、1998年6月1日撮影)

 「広島で被爆した李福順(リ・ボクスン)さんに会いに行くと、毛細血管が破裂して顔が腫れていました。日本から謝罪と補償を受け、被爆2世のことも解決して欲しいと言われました。それを聞いた三日後に亡くなったんです」

 この話は朴さんから何度も聞かされている。よほど無念なのだろう。李さんと朴さんの今回の発言は、在朝被爆者は謝罪と補償だけを求めるとの原則的な立場へ戻った、という表明なのだろう。

 「朝鮮被爆者協会」などが2007年に実施した調査では、1911人の被爆者を確認したもののすでに1529人が死亡していた。今では、健在な人は極めて少なくなっているだろう。

美林乗馬クラブ
平壌郊外の「美林(ミリム)乗馬クラブ」で、結婚写真のためにポーズを取るカップル(2015年6月28日撮影)

●負の歴史と向き合う
 日本軍によって性奴隷にされた女性で、朝鮮において名乗り出たのは219人。そのうち名前と顔を明らかにしたのは46人で、私は14人を取材している(拙著『無窮花の哀しみ』に被害女性らの詳細な体験を収録)。だが13人がすでに死亡しており、生存している女性も会える状態ではないという。

 日本政府は、性奴隷にしたアジア諸国の女性たちに「女性のためのアジア平和国民基金」の事業を実施。民間から集めた金を支給し、国家による補償ではないこの措置は、韓国などの被害女性たちに大きな混乱をたらした。私も強く反対した事業だが、朝鮮で実施しないまま2007年に終了。日本政府はこの問題においても、朝鮮だけを除外したのである。

 今回の取材で、私が以前に会った被害者や目撃者の多くは亡くなっていることが分かった。だがそうした人が一人もいなくなったとしても、日本は負の歴史と正面から向き合って清算をしなければならない。そのことは被害者のためだけではなく、日本の未来にとって必要なことだからである。(続く)

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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