北朝鮮との戦争に日本の元兵士・民間人を投入した「前科」

 朝鮮半島での戦闘・戦争を見据えた「安保法(戦争法)」が強行採決された。米国と韓国は、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ先制攻撃を行うための「5015作戦計画」を策定しており、日本が「朝鮮有事」に関わる可能性が格段に高くなった。

 その場合、韓国の同意が必要と韓国・日本政府は表明しているが、はたしてそれが守られるかどうかは疑わしい。というのは、米軍は1950年からの朝鮮戦争の際に、韓国政府の同意を得ず多数の日本の旧日本軍兵士と民間人を使ったという「前科」があるからだ。

ソウルの戦争記念館
ソウルの「戦争記念館」に展示されている朝鮮戦争で使用された兵器(2014年9月10日撮影)

 「国防部軍事編纂研究所のヤン・ヨンジョ部長は米国立文書記録管理局(NARA)の記録を引用し『1950年7月20日の大田(テジョン)戦闘に参戦した在日米軍24師団に付いてきた日本人軍労務者に小銃が支給された。彼らは北朝鮮4師団精鋭部隊の奇襲攻撃を受け数人が死亡した』と話した。当時ロイター通信の従軍記者として活動したチ・ガプチョン国連韓国参戦軍協会長(88)も、『米軍は日帝時代に韓半島で列車の機関士として働いていた本土の日本人を招集し米軍輸送列車を運転させた』と証言した。
 1950年に主に退役軍人で構成された日本の海上保安庁隊員1200人余りが54隻の掃海艇に乗り元山(ウォンサン)上陸作戦と鎮南浦(チンナンポ)、海州(ヘジュ)、群山(クンサン)近海の機雷除去作戦に投入された事実はすでに学界で確認されている」(「中央SUNDAY」2015年9月27日)


 今までもさまざまな噂はあったが、朝鮮戦争が休戦状態のままの中でこうした不都合な事実は隠され続けてきた。

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北朝鮮への文化財返還を「大倉集古館」が拒否

 「ホテルオークラ東京本館」(東京都港区)に隣接して中国風建築の博物館がある。現在は休館中の「大倉集古館」である。ここには、日清・日露戦争などによって富を築いた大倉喜八郎による蒐集品などを展示する。

平壌 石塔
何の説明文もなく展示されていた「平壌栗里寺址八角五重石塔」(2006年8月13日撮影)

 この博物館の裏庭には、朝鮮半島からの石造文化財がいくつも並んでいる。その中でもひときわ目立つのが「平壌(ピョンヤン)栗里寺址八角石塔」である。

 現在の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌市にかつてあった仏教寺院の石塔だ。もし北朝鮮に残っていたならば、間違いなく国宝に指定されているだろう。

 2011年3月、北朝鮮の「朝鮮仏教徒連盟」はこの石塔の返還交渉を、韓国の市民団体「文化財還収委員会」などに委任。それは、靖国神社にあった「北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)」返還で生まれた信頼関係があるからだ。

ソウルの北関大捷碑
ソウルで盛大に開催された「北関大捷碑」歓迎式典(2005年11月17日撮影)

 この石碑は1708年に、現在の北朝鮮の金策(キムチェク)市郊外に建立。朝鮮に侵攻した豊臣秀吉軍と戦った義兵が勝利したことを記念したものだ。それを、1905年に日露戦争で朝鮮北部に駐留した日本軍が持ち去った。

 この「北関大捷碑」は2005年10月、日本・韓国・北朝鮮の仏教徒の努力で靖国神社から韓国政府へ引き渡され、翌年3月にソウルから北朝鮮の開城(ケソン)へと運ばれた。私はこの一部始終を取材し、2009年10月に元の場所へ戻った石碑を撮影した。

 「朝鮮仏教徒連盟」は「文化財還収委員会」を通し、今年2月25日に東京簡易裁判所へ石碑の返還を求める民事調停を申し立てた。「連盟」は関係者の訪日を申請したものの、日本政府が入国を許可しなかった。経済制裁の一部解除によって入国は可能になったにもかかわらず、それはまったく守られていない。

 今年7月の第1回の調停では、大倉喜八郎が朝鮮総督府から石塔を譲り受けての「大倉集古館」の占有は不当と主張。今月17日の第2回調停で「大倉集古館」は返還に応じないとしたため、調停は不成立に終わった。

 「北関大捷碑」のすぐ横には「利川五層石塔」が置かれており、韓国の利川市長が先頭に立ち時間をかけて返還交渉をしてきた。しかし「大倉集古館」は、それに対しても頑なに返還を拒んでいる。朝鮮総督府の力を背景に不当に取得した文化財は、民間所有であっても返還されるべきだ。

 なお「北関大捷碑」返還については「靖国の碑は北朝鮮国宝」(TBS系列「報道特集」2006年4月2日放送)と「秀吉撃退の碑=北関大捷碑はいかにして北朝鮮に返還されたか」(講談社『現代』2006年9月号)、文化財返還については「韓国・北朝鮮からの文化財返還要求をどのように受け止めるのか」(岩波書店『世界』2008年2月号)に発表。

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北朝鮮で見た日本の朝鮮支配(1)

 『週刊金曜日』2015年8月7日・21日号の「朝鮮民主主義人民共和国で見た清算されていない日本の朝鮮支配」を4回に分けて掲載する。

清津の銅像
昨年9月に完成した清津市の銅像(2015年6月20日撮影)

 日本による朝鮮植民地支配が終焉して70年。だが日本は、いまだに朝鮮民主主義人民共和国への過去の清算を行っていない。高齢化した被害者たちの声を聞き、今も残る日本の痕跡を訪ねる旅をした。

 朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に、日本が植民地支配をしていた時の鉄道車両が展示されている、と聞いて訪ねた。平壌(ピョンヤン)駅のすぐ近くにある「鉄道省革命事跡館」。本館に隣接する「車両館」へ入る。

満鉄の貨車
「南満州鉄道」のロゴが入った貨車。「ここを訪れる日本人は年間一人くらい」と案内人は言う(2015年6月29日撮影)

 入り口近くに置かれた緑色の旅客電車は、金剛山(クムガンサン)観光のために「金剛山電気鉄道」が導入したもの。「日本車両」で1930年頃に製造されたようだ。

 このほかに「日立製作所」製の「凸型電気機関車」や「南満州鉄道」のロゴが入った有蓋貨車が良好な保存状態で並ぶ。日本の鉄道マニアには、たまらない光景だろう。だが「事跡館」の案内人からは、厳しい言葉が出る。

 「日本は大陸侵略と、石炭や鉱石などを略奪する目的で朝鮮に鉄道を敷設しました。また鉄道技術を朝鮮人に教えるのを嫌ったばかりか、解放後には機関車などを破壊したんです」

  日本は、アジア太平洋戦争で被害を与えた国々に対して、多くの問題を残しながらも戦後処理を実施してきた。ところが、朝鮮にだけはまったく何も行っていない。
 私はアジア太平洋諸国で、日本から被害を受けた人たちを30年前から取材し、朝鮮でも1992年から続けている。今回の訪朝は33回目で、6月16~30日まで、平壌といくつかの地方都市に滞在した。

●保存されている戦前の日本家屋
 朝鮮には、日本支配期の建物はごくわずかしか残っていない。朝鮮戦争で米軍は、60万トン以上の爆弾を投下。これは日本への量の約3・7倍にもなる。しかしそれを免れた建物だけでなく、復元までして大切に保存されている日本家屋が各地に残る。それは、金日成(キム・イルソン)主席にまつわる「革命史跡地」の建物である。

日本時代の旅館
復元された日本支配期の旅館(2015年6月25日撮影)

  咸鏡北道(ハンギョンブクド)清津(チョンジン)市には、いくつかのそうしたものが残る。「青岩(チョンアム)革命史跡地」には、食堂・旅館や写真館などが忠実に復元されている。
 また、コンクリートや石の部分だけが残っている場合もある。「羅南神社」跡へ行った。本殿へのコンクリート製の長い階段は、ほとんど傷みがない。上り切ったところに、丸い穴が開いた一対の石を見つけた。灯篭の礎石のようだ。このすぐ横の畑で、農作業中の年配の夫婦に話を聞く。

  「日本は朝鮮のどの都市でも、もっとも景色の美しい場所に神社を造りました。祝日になると、大勢の日本人が集まって来て騒いでいましたよ」

●軍人・軍属遺族からの厳しい批判の言葉
 私は今までに、朝鮮で約80人の植民地支配による被害者を取材。今回、そのうちの4人と会った。東京都目黒区の祐天寺には、朝鮮人の軍人・軍属らの遺骨が厚生労働省によって保管されている。朝鮮半島南側で召集された人の遺骨の、韓国への返還は進んだ。しかし、北側からの425人分は放置されたままだ。

 金元鏡(キム・ウォンギョン)さん(1937年-)と最初に会ったのは2005年。陸軍軍属だった父親の金正表(キムジョンピョ)さんは、インドネシアのセルベス島で戦死。

 2004年12月、父親をギルバート諸島で亡くした金勇虎(キム・ヨンホ)さんとともに訪日し、父親の遺骨と対面しようとした。ところが日本政府は、事実上の入国拒否をしたのである。金勇虎さんは、2010年12月に亡くなってしまった。金元鏡さんは次のように語る。

 「今でも、祐天寺へ行って遺骨を確認したいと思っています。たとえそれが父親の遺骨でなくても、朝鮮人のものであれば持ち帰り、母親の墓の隣に埋葬したいです」

 2001年に取材した金致麟(キムチリン)さんは1924年生まれ。1944年に召集され、「第4農耕勤務隊」として愛知県で農作業をさせられた。陸軍兵士なので、名簿が残っている。私は、それに記載された約2500人の中から、本人の証言と一致する本籍が「順川(スンチョン)郡」で「昭19」に召集された「金村致麟」の名を探し出していた。

父の名がある名簿
「第四農耕勤務隊留守名簿」に記載された父親の名前を指す金燦順さん(2015年6月17日撮影)

 しかし私に会いに来たのは、長女の金燦順(キム・チャンスン)さん(1959年-)だった。致麟さんは2009年に死亡していたのだ。「日本という名を聞いただけで、父の怒りを思い出します。日本は不倶戴天の敵です。父の恨みの代価を、遺族が払わせます」(続く)

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北朝鮮の軍事パレードは中国を越えるか?

 9月3日に中国は「抗日戦争勝利70周年」の記念行事として大規模な軍事パレードを実施した。約1万2000人の兵士が行進し、初公開の戦車やミサイルなどの最新兵器が次々と登場。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)でも、「朝鮮労働党創建70周年」の10月10日に、大掛かりな軍事パレードが準備されている。今年6月の取材の際、すでに平壌(ピョンヤン)市内で行進の練習が行われていた。

 金日成(キム・イルソン)広場で、2008年9月9日の「建国記念日」に行われた軍事パレードの写真を紹介する。

080909金日成広場での軍事パレード

080909軍事パレードの女性兵士

080909銃剣を付けて行進する兵士

080909軍事パレードの兵器を積んだトラック

 北朝鮮で行われている足を伸ばした行進の仕方は、極端に体力を使うという。パレード開始直前に兵士たちが練習しているようすを見ることが出来たが、行進後にはどの兵士もクタクタになっていた。

 兵士たちの一糸乱れぬ行進は、朝鮮人民軍がもっともグレードが高いと思ってきた。だが、中国人民解放軍の行進もなかなかのものだった。否が応でも、北朝鮮での軍事パレードへの関心が高まる。

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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