力道山が贈ったベンツからお宝を大発見!

 日本政府による北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への制裁の一部が解除されたことにより、旅行代理店による「北朝鮮ツアー」が出来るようになりました。8月30~31日に開催される「インターナショナル・プロレスリング・フェスティバルin平壌」の観戦ツアーが販売されています。
 これを企画したのはアントニオ猪木・参院議員。彼がプロレスラーになったのは、1960年に力道山によってスカウトされたからです。アントニオ猪木と北朝鮮との強いつながりは、その偉大な恩師がいたからです。

 力道山は、1924年11月24日に朝鮮半島北側の咸鏡南道(ハムギョンナムド)で、金信洛(キム・シンラク)として生まれました。1940年に力士になるため日本へ渡り、1949年には関脇に昇進。ですが、翌年には廃業してプロレスラーに転身しました。朝鮮人は横綱にはなれない、と悲観したのが理由だという話もあります。
 当時は日本敗戦から時間が経っておらず、人々はそのショックから立ち直れていませんでした。そうした中で、「空手チョップ」という技で悪人役の白人レスラーを次々と打ち倒す姿は絶大な人気を得たのです。力道山には私にも強い思い入れがあり、書棚を調べてみると、彼に関する本は15冊もありました。

 力道山の生まれ故郷がある北朝鮮は、1960年代の初めから彼を評価するようになりました。力道山の生涯を描いた「民族の男」というテレビ映画も制作されています。最近はあまり見かけませんが、平壌市内のみやげ物店では力道山の名前がついた酒やミネラルウォーター、大理石で作った全身像や伝記などが売られていたほどです。北朝鮮では力道山を、日本で暮らしながらも民族の尊厳を守った朝鮮人として高く評価しているのです。

 1971年3月、この国で最高の名誉である「愛国烈士」の称号が亡き力道山に与えられました。これを受け取ったのは、平壌で暮らす娘の金英淑(キム・ヨンスク)さんです。このように、北朝鮮は力道山を「民族的英雄」としています。その理由として、金日成(キム・イルソン)主席へ敬愛の証を贈ったことが大きいのです。そのひとつが高級車でした。

力道山のベンツ
「国際親善展覧館」で展示されている力道山のベンツ(2006年3月2日撮影)

 首都・平壌(ピョンヤン)から北へ直線距離で約120キロメートルにある妙香山(ミョヒャンサン)。風光明媚なこの場所に、2棟の「国際親善展覧館」があります。この宮殿のような施設に、金日成主席と金正日(キム・ジョンイル)総書記への、世界の国々からの膨大な数の贈り物が展示されています。それらをていねいに見ると、日本を含めた世界各国とこの国との関係史が非常に良く分かります。
 その中に、1962年の金日成主席生誕50年のお祝いとして、力道山が贈ったベンツがあります。金日成主席の現地指導で使ってもらいたいと、自動車を選んだということです。ロールスロイスを贈るつもりで注文したもののなかなか届かなく、手元にあったベンツになりました。力道山は、積出港である新潟までこの車を自ら運転し、朝鮮との間で運行されていた貨客船に載せました。力道山はこれとともに、「金日成元帥万歳」「平和統一」と書いた直筆の書も贈っているのです。

 「国際親善展覧館」は国家の重要施設であるため、撮影と荷物の持ち込みは厳しく禁止されています。私は、力道山に関するものに限定した取材を申請し、交渉の末に許可を得ました。
 2006年3月2日、妙香山へ到着。日頃は団体参観者で混んでいる「国際親善展覧館」ですが、この日は閑散としていました。そのため館内は、照明を落としているのでかなり暗いのです。しかも電圧が下がっているのか、たくさんの蛍光灯が点滅し続けており、それが気になって仕方ありません。靴にカバーをつけて女性案内人について行くと、自動車ばかりを並べた細長い展示室へ着きました。その中には、旧ソ連のスターリンから贈られた車と並んで“力道山のベンツ”が置かれています。
 かつては、この車とともに直筆の書が展示されていたという記録があるのですが見当たりません。職員たちが一生懸命に捜してくれるものの見つからないのです。ところが一人の職員がベンツのダッシュボードを開けたところ、そこに「贈呈目録」が入っていたのです。「乗車一台 一九六二年四月三日」との記載と、毛筆で「力道山」と大きな署名があります。間違いなく本人が書いたもので、今まで公開されたことのない「お宝」の大発見です。

力道山のサイン
「贈呈目録」の力道山による直筆サイン(2006年3月2日撮影)

 「日本の国民的英雄」としてあまりにも高く祭り上げられた力道山は、自分が朝鮮人であることを明らかにできませんでした。ですが韓国からの強力な訪問要請に応じ、1963年1月にソウルへ行って政府高官と会っています。1964年の「東京オリンピック」への南北統一チームでの参加を実現させ、その後に北朝鮮へ帰国することを考えていたようです。
 ところが1963年12月15日に、力道山は暴力団員に腹部をナイフで刺され死亡してしまいました。わずか39歳でした。その事件の原因について、「国際親善展覧館」の案内人は次のように私に話しました。「右翼勢力は、力道山の朝鮮へ帰国する意思を変えさせようと策動しましたが、失敗したので襲ったんです」。
 日本・北朝鮮・韓国という国家間でこの「英雄」を奪い合ったのですが、そのことと事件との関係は謎のままです。亡くなってから半世紀以上が過ぎた今、力道山の祖国への思いは弟子によって受け継がれているようです。

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北朝鮮で暮らす日本人たち

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が「日本人調査」のために設置した「特別調査委員会」の構成をみると、日朝関係改善への本気度が伝わってきます。
 北朝鮮で暮らす日本人は、1959年からの帰還事業で北朝鮮へ渡った日本人配偶者の約1800人がもっとも多いと思われます。次に、朝鮮人と結婚していたことで、日本の敗戦後に帰国しなかった残留日本人が1440人。この人たちは、かなり高齢化しています。私は、ある残留日本人女性の消息を調べたところ、健在ではあるものの痴呆症がかなり進み健康状態も良くないことが分かりました。

 拉致をされた可能性がある「特定失踪者」は、全国の警察が捜査を進めている人数は860人にもなります。7月11日、菅義偉官房長官はこの数字を絞り込むとしましたが、北朝鮮に調査を求めた「特定失踪者」はかなりの人数でしょう。
 私はその中に、拉致されたのではなく自らの意思で渡った人がいる可能性もあると思っています。その理由は、料理人の藤本健二さんのように、北朝鮮へ渡って仕事をしている日本人たちがいるからです。もちろんそれは「よど号グループ」の6人は別です。

年賀状
毎年、ある帰国者の女性からは年賀状が送られて来る。

 北朝鮮で、この国以外のアジア人を見かける機会は限られています。ですが、平壌(ピョンヤン)空港や中国と行き来している航空機内では、さまざまな国の人と出会います。大声で話をするのですぐに分かるのは中国人。中朝関係の冷え込みから、団体観光客は大幅に減りました。韓国人は独特の雰囲気がありましたが、南北関係が悪化してからは見かけなくなっています。
 日本人や在日朝鮮人の団体もすぐに分かります。ある時、声をかけた日本人が平壌で働いていると言うので驚きました。家族と会うためにときどき帰国しているそうで、ちょうどその時に出会ったのです。後にこの人から、平壌で暮らす他の日本人たちも紹介されました。

 また、住んでいるのではないものの、頻繁に訪朝している人たちもいます。それは熱烈な「北朝鮮マニア」です。私が出会った若い男性は「女性が優しいので北朝鮮へ来ると癒される」と語り、働いて得たお金をすべて注ぎ込んでいるとのことでした。
 ここで紹介したのは私がたまたま出会った人たちですが、自らの意思によって家族にも告げずに北朝鮮で暮らす日本人たちがいると推測しています。

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重要項目をはずした制裁解除

 北京での日本と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との政府間(外務省局長級)協議の結果を受け、日本政府は北朝鮮への独自制裁の一部を7月4日に解除しました。安倍晋三首相はこれまで、拉致・核・ミサイルを「包括的に解決する」と言い続けてきましたが、大きな政策転換をしたのです。

 日本が実施してきた独自制裁は、「ヒト・モノ・カネ」の流れを絶つという内容でした。制裁が続くことになった項目は色を変えています。
<ヒト>
  ○北朝鮮関係者の日本への入国禁止
  ○訪朝した朝鮮総連幹部の日本への再入国禁止
  ○北朝鮮へ行く人への渡航自粛の勧告
  ○航空機チャーター便の乗り入れ禁止
<モノ>
  ○人道目的の北朝鮮籍船舶の入港禁止
     貨客船「万景峰(マンギョンボン)92号」の入港禁止
  ○輸出入の禁止
     (個人が北朝鮮で入手した物品の日本への持ち込みを含む)

<カネ>
  ○10万円を超える現金の北朝鮮への持ち出しの届け出義務
  ○300万円を超える北朝鮮への送金の届け出義務

入管職員
新潟港へ着いた「万景峰92号」の船内での日本の入管職員による入国審査。不思議な光景である(2004年5月7日撮影)

 4日に解除された内容をみてみましょう。「北朝鮮関係者の入国」は、日本で開催されたスポーツの国際試合で北朝鮮選手団の入国が何度も認められています。
 「渡航自粛の勧告」は、各地の空港の出国審査場にその掲示が一時だけされただけのことで、最初から何の効力もありませんでした。2012年から訪朝するようになった日本人墓参団へは、適用を除外する措置が取られてきました。「日本人調査」の進捗状況を確認するための日本政府の調査チームが訪朝できるようにするための解除という意味合いが強いでしょう。あと、日本政府から自粛を強要されてきた旅行代理店が、北朝鮮ツアーを再開できるようになりました。

 テレビなどで一部の「北朝鮮専門家」が、カネについての制裁解除によって日本から北朝鮮へ入る資金が増えるなどと語っています。ですが、北朝鮮への「10万円を超える現金の持ち出し」と「300万円を超える送金」は、届け出さえすれば金額は無制限でした。私は北朝鮮での取材経費の支払いのために、毎回、数十万円を持ち出していました。税関での申告では書類1枚を渡すだけで、金額について言われたことは1度もありません。
 「万景峰92号」を除外した「人道目的の北朝鮮籍船舶の入港」が何の意味もないことは、6月28日のこのブログで指摘しました。

 今回の解除内容で大きな意味を持つのは「朝鮮総連幹部の再入国」です。これは、北朝鮮と総連が強く望んでいました。7月8日は金日成(キム・イルソン)主席が亡くなって20周年で、北朝鮮では追悼行事が予定されています。つまり、それに総連幹部が出席できるこのタイミングで解除されたようです。

 6月4日夕方、北京での日朝協議から帰国したばかりの宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使が記者会見をしました。そして、「万景峰92号」の入港と輸出入の禁止についての制裁解除を求めました。つまり北朝鮮にとって、制裁項目の中でこの二つが極めて重要なのです。

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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