北朝鮮 行き帰りの航空便で大トラブル

 米国・トランプ政権が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ極めて危険な軍事的圧力をかける中、4月8日から21日まで現地取材をした。北朝鮮は驚くほど平穏だったが、北京・平壌(ピョンヤン)の行き帰りに大きなトラブルに見舞われた。

 4月15日は、金日成(キム・イルソン)主席の生誕105周年。その一連の祝賀行事への海外からの参加や取材のため、8日の北京から平壌への「高麗航空」の定期便は満席。そのため、午前8時発の臨時便に乗ることになった。ところが、チェックインカウンターへ行ってみるとようすがおかしい。搭乗手続きをしていないのだ。

 航空会社職員を捉まえて聞いても明確な返事がない。瀋陽まで中国の国内線で行き、そこから平壌への便に乗るといった話が一旦は出た。最終的には、すべての乗客は瀋陽まで列車で5時間かけて行き、そこに待たせてある定期便へ乗ることになった。

 「高麗航空」職員の話によると、こうした事態になったのは中国当局が臨時便の離陸を許可しなかったというのだ。そうであれば中国による制裁の一環である可能性もあるが、確かな事は分からない。

 私は日本と中国の旅行代理店などに電話をかけまくり、定期便に乗ることを追求することにした。キャンセルが出たら、乗ることが出来るのではと判断したのだ。他の乗客たちが列車に乗るためにいなくなった中で、「何とかしなければならないでしょう」と言う航空会社職員の言葉を信じることにした。
 
 12時55分発の定期便の、予約が入っている乗客の搭乗手続きが終わった。果たして席はあるのか! やはりだめかと思っていたら、手続きをするように言われる。受け取った航空券の座席番号の数字が小さい。まさか・・・。こうして、「高麗航空」のビジネスクラスに初めて乗ることとなった。

ビジネスクラス機内食
高麗航空ビジネスクラスの機内食(2017年4月8日撮影)

 エコノミークラスはハンバーガーとジュースのみ。最近はビールも出ない。ところがビジネスクラスは、かなり豪華でうまい。しかもアルコールは飲み放題。平壌への到着は半日遅れたが、こうして貴重な体験をした。

 ところがである。17日午前8時30分の便で帰国するため、午前7時に空港へ着いた。すると、すでにチェックインカウンター前へ並んでいた人たちが列から離れていくのだ。出発が遅れるという。

 またしても、明確な説明がないまま待たされる。いろいろと噂が飛び交い、中国当局が乗り入れを拒否しているという話も。8日の臨時便のことがあるので説得力がある。

 待ちくたびれて、床の上で寝ている外国人もいる。私は喫茶室でコーヒーやビールを飲みながら仕事を始めた。この状態で午後3時半まで待ったが、平壌市内へ戻った。この後に飛ぶ便へ乗るのをやめ、4日間の滞在延長をすることにした。

 実は平壌へ着いてから、日本からのマスメディアの取材団に残留日本人の取材を許可したことを知った。これは、私が以前から取材申請していたものだ。18日から20日までの日程で咸興(ハムフン)市へ行くというのだ。

 それを取材するために滞在を延ばすことを希望したが、ビザを延長することは難しいと断られていたのだ。乗る予定の便が飛ばないことを理由に、何とか延長してもらおうという魂胆だ。

 午後6時半になって搭乗手続きが始まったとの連絡があり、空港へ急いで向かうように言われたものの拒否。こうしてめでたく滞在延長を実現させたのである。「災い転じて福となす」とはこうしたことだろう。ちなみに出発が遅れた理由は、雷雲が発生したためだった。この翌朝、普通ではない雷鳴で目を覚ました。

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朝鮮半島を縦断した日本人探検家(下)

 2007年8月、探検家の関野吉晴さんの朝鮮半島縦断の旅は続く。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と大韓民国(韓国)に分断されている朝鮮半島。私はその悲劇を、この旅の中で紹介する計画を立てた。

 南北に別れて暮す兄弟を、関野さんに訪ねてもらうことにした。それは、平壌市で暮す白褆寅(ペク・チェイン)さんと、韓国の慶尚南道(キョンサンナムド)の兄の白守寅(ペク・スイン)さん。

 褆寅さんは6人兄弟の次男として生まれた。1943年4月に「徴用」という名で、兵庫県の「明延鉱山」へ連行。ここは銅・鉛・亜鉛を採掘する鉱山である。

 「毎日、死を覚悟するほどの危険で過酷な労働だったため、ここから脱出しました」と褆寅さんは語った。

 戦後も日本へ残り、政治的に支持をしている北朝鮮へ1972年に帰国した。その結果、韓国にある故郷で暮す守寅さんと会うことができなくなってしまう。

 私は褆寅さんを取材したビデオ映像を、韓国のニュース専門テレビ局・YTNで放送。そのことで、2005年に守寅さんが訪朝することができ、褆寅さんと62年ぶりの再会を果したのである。

 8月15日、関野さんと共に褆寅さんのアパートを訪ねた。褆寅さんの部屋は10階にあり、エレベーターで上る。だが、そこで待っていたのは長男と次男だけだった。褆寅さんはこの年の1月に亡くなったというのだ。

霊通寺の関野吉晴
開城の霊通寺(リョントンサ)を朝鮮人青年と共に出発する関野さん(右、2007年8月)

 関野さんの旅はさらに南へ。開城(ケソン)市を経て板門店へ着く。「軍事停戦委員会」の本会議場内へは、南北のどちらから訪れた観光客でも入ることができる。テーブルの真ん中が軍事境界線だが、会議場内であれば自由に歩き回ることが認められている。

 だが、ここから韓国へ入国することは出来ない。関野さんの北朝鮮での旅はここで終わった。空路で中国を経由して韓国へ入り、旅の続きはこの同じ場所から始まった。分断された南と北が、いかに遠く離れていることか!

 関野さんは、釜山(プサン)を目指して自転車で走行。9月4日、その途中で白守寅さんを訪ねた。古い伝統的な家屋に招き入れられた。関野さんは、白褆寅さんが亡くなったことを伝え、平壌で撮影した息子たちからのビデオメッセージを見せた。

 釜山へ着いた関野さんは、対馬までカヤックを漕いで渡り、この「日本人の来た道中央ルート」の旅を終えたのである。

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朝鮮半島を縦断した日本人探検家(中)

 米国の女性活動家であるグロリア・スタイネムさん(81)が5月24日に実施しようとしている非武装地帯(DMZ)を徒歩で越える計画は、まだ実現するかどうか分からない状況だ。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は前向きに検討しているようだが、韓国は「国連軍司令部」に判断をゆだねた。こうしたことであっても対応を誤ると、南北関係がさらに悪化するかも知れないからだ。
 それほど、朝鮮半島を分断する軍事境界線を越えることは難しい。

 2007年8月、探検家の関野吉晴さんは北朝鮮の北端から韓国の南端までの旅を開始。だが関野さんが、自転車のクランク軸を忘れてきたために、平壌(ピョンヤン)で購入した自転車1台だけで走行することになった。

朝鮮半島縦断の旅は、中国との国境にそびえる標高2744メートルの白頭山(ペクトゥサン)からスタートすることになった。

 コーディネーターを任されている私は、平壌からそこへ行くために、この山の麓にある三池淵(サムジヨン)空港まで「高麗航空」の小型機をチャーターした。10人乗りを予約したのだが、空港に用意されていたのは40人乗りの「アントノフ24」だった。
 航空会社が、燃料消費が増える大きな機体へと変更したのである。その理由が、「天候が悪いから」と聞いて不安になる。

 空港ターミナルから滑走路へ行くまでの誘導路は、雨水で完全に水没していた。少なくても30センチは溜まっているだろ。窓からは、大きな水しぶきが上がっているのが見える。まるで「水上飛行機」である。
 無事に離陸すると、機内には安堵感が漂った。

 三池淵空港からは、チャーターした車で移動する。鬱蒼とした森林を走り続け、ようやく森林限界に出た。なだらかな斜面の先に白頭山の山頂が見える。

 白頭山は活火山で、山頂には巨大なカルデラ湖の「天池(チョンジ)」がある。最大水深が384メートル、水量は19億5500万立方メートルという巨大な池の全景は、なかなか見ることができないという。

 車から降りると、歩行者用の石段が設けられている。以前はこれがなく、車を降りたら山頂の近くだったので驚いたことがある。環境保護のためにも、歩道があった方が良いだろう。

070812白頭山の天池
わずかな時間だけ姿を見せた白頭山の天池(2007年8月12日撮影)

 山頂は、とんでもない強風が吹いていた。しかもその風は、火口へと吹き降ろしているのだ。よろよろと歩いている一行を見て、係員がやって来た。

 「危険なので吹き飛ばされないように!」

 落ちたら助からないだろう。しかしこの風のおかげで、カルデラ湖を覆っていた雲が晴れた。わずかな時間ながら、雄大で感動的な光景が眼前に広がる。超広角レンズでないと、全体が入らない。

 13日午後5時、平壌へ戻る飛行機内はモデル撮影会のようになった。定期便では、女性の客室乗務員にカメラを向けたら「撮影禁止」と冷たく言い渡される。ところがチャーター便なので、実に気さくに写真撮影に応じてくれるのだ。

平壌へ戻ると、自転車のクランク軸は車体に合わせて製作されていた。関野さんがすぐに試してみる。

 「問題なく使える」

 これでこれ以降の、北朝鮮の青年との自転車2台での走行が可能となった。(続く)

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朝鮮半島を縦断した日本人探検家(上)

 今月11日、米国の女性活動家であるグロリア・スタイネムさん(81)が国連本部で記者会見をした。朝鮮半島の平和と統一を願い、12カ国の女性30人が北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と韓国を隔てる非武装地帯(DMZ)を徒歩で越える計画を発表したのである。

 これは非武装地帯だけを北から南へと渡るというものだが、北朝鮮の白頭山(ペクトゥサン)から韓国の釜山(プサン)まで、朝鮮半島を完全に縦断した日本人探検家がいる。

非武装地帯の関野吉晴
非武装地帯の「朝鮮人民軍」監視所で説明を受ける関野吉晴さん(2007年8月19日)

 探検家の関野吉晴さんは、人類発祥の地であるアフリカのタンザニアをめざし、南米・チリの南端から旅をした。それは1993年から2002年までかけて、約五万キロメートルを徒歩・自転車・カヤックなどの人力で行われた。
このようすは、フジテレビで「グレートジャーニー」として八回にわたって放送された。

 関野さんは次の挑戦として、日本へ人類が渡ってきた三つのルートをたどる旅「新グレートジャーニー 日本人の来た道」を開始。
 その一つの「南方ルート」は、ヒマラヤからインドシナ半島を経て中国へ入り、朝鮮半島を通って対馬を目指すというものだ。

 朝鮮半島縦断の可否は、北朝鮮を旅する許可を得ること出来るかどうかにかかっている。関野さんの旅のテレビ番組を制作してきたプロダクションが、いくつかのルートで北朝鮮と交渉をしたものの成功しなかった。

 そのため2007年1月になり、私に交渉依頼をしてきた。それだけでなく、北朝鮮の北端から韓国の南端までの旅のコーディネートをして欲しいという。

 それまでの北朝鮮取材での経験を踏まえてプランを作成し、北朝鮮の受け入れ機関へ送った。ところが内容を欲張りすぎたために、「実現できない」としてあっさりと断られてしまったのである。こうなれば直談判するしかない。

 私一人で6月に訪朝し、内容を絞り込んだ新たなプランを説明。はっきりとした返事が得られないまま帰国したが、しばらくして許可の連絡が届いた。

 そして8月8日、私だけが一足先に平壌(ピョンヤン)へ。ある程度は覚悟していたが、さまざまなトラブルが待ち構えていた。

 翌日、日本から連絡があった。中国・瀋陽(シェンヤン)から平壌まで関野さんが搭乗する予定の高麗(コリョ)航空は、120センチ以下の自転車しか積んでくれないというのだ。
 日本の旅行代理店へ電話したものの、同じ返事である。そのため平壌市内にある高麗航空本社へ行き、ここでも直談判をした。その結果、例外として許可が出たのである。

 自転車は、関野さんと一緒に走る地元青年のものと2台が必要だが、急遽、1台は平壌で調達することになった。

 百貨店ならばあると思ったが、どこにも置いていない。「自転車の看板を掲げている店を見たような気がする」という受け入れ機関スタッフのあいまいな記憶を頼りに探しに行く。
 すると、マウンテンバイクの絵を掲げた立派な店舗があったのである。それは、北朝鮮で自転車生産をしている中国との合弁企業のショールームだった。

 ここにはさまざまな種類の自転車が並んでいる。私が関心を持ったのは、150キログラムもの荷物を積むことが可能なとんでもなくしっかりした自転車。北朝鮮では、こうしたものが活躍するのだろう。
 この店で、マウンテンバイクを75ユーロ(当時は約1万2000円)で購入した。

 関野さんとカメラマンは8月11日に空港へ到着。ところが空港から市内へ向かう車の中で、とんでもない事態が判明した。関野さんが、自分の自転車のクランク軸を忘れてきたのだ。これがなければ自転車は動かない。(続く)

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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