北朝鮮への日本政府連絡事務所の開設は実現するか

 3年後には政権から退く安部晋三首相が、拉致問題を「解決」して北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との関係改善をしようと動いている。

平壌夕暮れ
平壌市内の夕暮れ(2018年9月11日撮影)

 日本の情報機関の北村滋内閣情報官が10月6~8日に、北朝鮮の情報機関・朝鮮労働党統一戦線部の幹部とモンゴルで秘密接触したという。これは7月中旬のベトナムに続くものだ。

 北朝鮮との交渉内容は、平壌(ピョンヤン)に日本政府の連絡事務所を設けることだという。ここを拠点に交渉をし、拉致事件の真相究明を図り、確認できた拉致被害者を順に帰国させるというのだ。これは、2014年5月の「日朝ストックホルム合意」での「日本側関係者の北朝鮮滞在」を実現するものとのこと。日本政府は、事務所設置のめどがついた段階で、安部訪朝を実現させたいのだろう。

 そして日本による朝鮮植民地支配への「過去清算」と、2020年の「東京五輪・パラリンピック」への北朝鮮選手団の受け入れについても取り組むことを北朝鮮へ伝えているという。

 拉致被害者の順次帰国という方針は、「拉致被害者家族会」が要求する「即時一括帰国」とは大きく異なる。そのため「家族会」は、政府のこの方針に強く反発している。北朝鮮は、1978年に行方不明になった田中実さんが自国内にいることを認めたという報道もあり、「家族会」はそうした人の帰国で拉致問題が終わることを恐れているのだろう。

 拉致問題での強硬姿勢で首相の座に就き、政権を維持してきた安部首相。拉致問題を徹底的に利用し尽くしてきた。長らく「家族会」と歩調を合わせてやってきたが、それでは拉致問題がまったく進まないのは明らかだ。そのため北朝鮮政策の軌道修正を決断し、その雰囲気づくりのために「秘密交渉」をしていることとその内容をリークしているのだ。

 「ストックホルム合意」によって北朝鮮は、拉致被害者を含む北朝鮮で暮すすべての日本人の調査を実施。ところが日本政府は、拉致問題についての報告内容に納得できないと、すべての調査報告を受け取らなかった。

 その結果、北朝鮮はこれらの調査を実施した「特別調査委員会」を解散してしまった。北朝鮮にすれば、日本政府から極めて不誠実な対応を受けたのだ。日本政府の提案に、日本人調査を担当した北朝鮮の外務省などの関係機関は強く反発しているはずだ。事務所開設の話が実現するとしたら、最高指導者の判断しかないだろう。

北朝鮮 日本人妻58年ぶりに感動の再会

『週刊金曜日』2018年9月28日号に掲載した、在朝日本人妻再会の記事を紹介する。

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在朝日本人妻・中本愛子さんを日本の妹が訪ねる
家族が足を運ぶことが日朝改善の“道しるべ”

 帰国事業で、朝鮮人の夫とともに朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ渡った日本人妻たち。その里帰り事業は、長らく中断されたままだ。そうした中で日本から家族が訪ねて行き、58年ぶりの再会を果たした。

中本・林再会
林恵子さん(左)に抱きつく中本愛子さん。それを孫の鄭光洙さんが見守る(2018年6月23日撮影)

 中本愛子さん(朝鮮名:キム・エスン、86歳)が、抱えられてワンボックスカーから車いすへ乗り移る。こちらへ向かって動き始めると、そのようすを見守っていた林恵子さん(67歳)が駆け出した。

 「恵子やー、ごめんね。別れた時は10歳だったのに・・・」と愛子さんが流暢な日本語で叫ぶと、「会えたのが信じられない」と恵子さんが興奮しながら答えた。

●見つかった日本の妹
 2018年6月23日、朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市。ここで暮らす愛子さんと会うため、恵子さんが日本からやって来た。日朝の政治に翻弄されて会えなかった姉妹が、58年ぶりに再会した。

 1959年12月から在日朝鮮人の帰国事業が始まり、朝鮮へ9万3340人が渡った。そのうち、朝鮮人と結婚していた日本人配偶者は1831人で、ほとんどが女性だった。筆者は17年4月から4回、朝鮮で暮らす残留日本人と日本人妻の在朝日本人たちに会った(『週刊金曜日』「里帰りを熱望する在朝日本人妻たち」18年6月8日号参照)。

 日本政府が要求していた日本人妻の里帰り事業が97年11月から始まり、3回にわたって43人が里帰りした。ところが2002年10月に予定されていた第4回は、拉致問題による日本での世論悪化を理由に急遽中止される。それに参加することになっていた愛子さんは、兄弟たちとの再会と両親の墓参りという夢を絶たれた。その時に、愛子さんを受け入れることになっていた長男の紘一さんは09年に亡くなる。

 愛子さんは、故郷・熊本で妹と別れた時のようすを、今年2月に話してくれた。
「朝鮮へ行くと知るとびっくりするから、北海道だと言ったんです。『姉ちゃん、来年には帰っておいでよ』と言う恵子に『行ってきます』と私は答えました。それが最後のやり取りです。生きているのかどうか、それだけでもわかればいいのに・・・。死ぬ前に、一度でも会いたいです」

 愛子さんは、51年前に恵子さんから手紙を受け取った。それは今では崩れそうなほど古ぼけているが、「死んだら棺に入れてもらう」というほど大切に保管してきた。今年2月にこの手紙見せてもらった筆者は、妹を捜して欲しいとの依頼を受ける。

 手紙に記された昔の住所からたどって捜した結果、恵子さんが見つかった。筆者は次回の訪朝で持参しようと考え、恵子さんの愛子さんへのビデオレターを収録。だが恵子さんは、姉と会うため訪朝することを決断した。筆者は、そのための交渉と案内をすることになる。6月20日、恵子さんと二男・真義さん(37歳)は、片道3日間かかる咸興をめざして熊本を出発した。

●打ち解けた日朝の家族
 愛子さんは、日本から妹が会いに来ると知ると「生きていたのか」とうれしくて泣いた。16年の熊本地震の後に、昔の住所へ手紙を出してみたものの戻ってきた。「地震で死んでしまったのではないか」と心配していたからだ。

 肉親との58年ぶりの再会という人生で最大級の出来事を前にした愛子さん。子や孫たちに冷やかされながらも、吸い続けてきたタバコを絶った。髪も黒く染める。その一方で、心配と不安が沸き上がってきた。再会して抱き合った瞬間に、愛子さんが妹に盛んに謝ったのはその気持ちからだ。

 「恵子は私をひどく恨んでるだろう、と思っていました。『私たちを捨てて朝鮮へ行った』いうてね。会いに来るって聞いて、本当に会いたいのだろうか、会ったとたん私を叩くんじゃないかって考えもしたんです」

 愛子さんと恵子さんは、5人兄弟の一番上と下。20歳近くも差がある。愛子さんが朝鮮へ渡った後に両親は亡くなった。朝鮮へ渡ったことで長女として何もできず、恵子さんに苦労を掛けたという思いが強いのだ。

 愛子さんの現在の家族は、娘の朴日和(パク・イルファ)さん(54歳)と3人の孫。24日には、娘と孫息子の鄭光洙(チョン・クァンス)さん(31歳)と孫娘の鄭日順(チョン・イルスン)さん(28歳)が加わり、海岸でバーベキューをすることになった。

 ビールと焼酎を酌み交わすうちに冗談が飛び交い、日本と朝鮮の二つの家族はすっかり打ち解ける。恵子さんの名付け親は愛子さんだという“秘話”まで飛び出した。
 娘の日和(イルファ)さんだけでなく、孫たちも日本語が少しできる。愛子さんと恵子さんの日本語での会話を、横でうなづきながら聞いていて、ときどき短い日本語をはさむ。

 愛子さんは子や孫たちに、日本の昔の歌を子守歌のように聞かせていたという。日順(イルスン)さんが立ち上がって童謡の「あめふり」を歌う。それを聞いた光洙(クァンス)さんが、歌詞の「アメ」は「飴」だと思っていたと言うと皆が大笑いをする。長らく日本とのつながりが途絶えていた愛子さんだが、子や孫たちにこうした形で「日本」を伝えていたのだ。

 25日には恵子さんと真義さんは、日本人妻らが結成した「咸興にじの会」の事務所を訪ねた。愛子さん以外に、3人の会員が待ち構えていた。2人は最初に、愛子さんを支えてもらってきたことへの感謝を述べた。この会の会長で、愛子さんととりわけ親しい残留日本人の荒井琉璃子さん(85歳、『週刊金曜日』「大国に翻弄され続けた“最後の朝鮮残留日本人”」17年12月8日号参照))は恵子さんに「妹に会ったみたいで自分のことのようにうれしい」と語った。

 だが愛子さんは、複雑な心境を皆の前であえて吐露した。
「こうして妹と会えたのが100%うれしくはないんです。本当は、後ろめたい気持ちが半分あります。他の(日本人妻の)皆さんたちは、会えていないからです」
 自分は日本の家族と奇跡的に再会できたが、他の人たちは容易ではない。そのことを思うと素直に喜べないのだ。

●再会から里帰りへ
 「恵子と会えたから、墓参りして父さんと母さんにも会わなきゃね。歩けなくて這ってでも、たとえ1時間でもいいので里帰りしたい。それができたら、もうこの世に未練はないですよ」

 愛子さんはこう語る。日順(イルスン)さんが「日朝関係も改善されると思います。そうなれば祖母に日本へ里帰りしてもらい、墓参りをしてお酒を供えさせてあげたいです」と言う。すると光洙(クァンス)さんが「それは私の祖母だけでなく、朝鮮にいる日本人のお婆さんたちの一致した気持ちだと思います」と続けた。

 敵対的な日朝関係が続く中で、日本の家族による日本人妻への訪問が実現したことは画期的である。だが在朝日本人たちがもっとも望んでいるのは、朝鮮での肉親との再会よりも、日本への里帰りによる兄弟たちとの再会と両親の墓へ参ることなのである。

 日本が朝鮮へ長年にわたって求めてきた日本人妻の里帰り。日本政府は、容易に実現できるこの人道問題にただちに取り組むべきだ。

 「愛子姉さんだけでなくその子どもや孫も、自由に日本と行き来できる状況になることが一番ですね。それが実現するまでは、日本から家族が足を運ぶことが“道しるべ”となるのではと思っています」

 そう語る恵子さんは真義さんとともに、他の日本人妻の再会を手助けすることを考えている。少し勇気を出して踏み出せば、他の人たちも再会できるかも知れないと思ったからだ。

北朝鮮「建国70周年」から日本へ戻って待ち構えていたものは

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ「共和国創建70周年祝賀行事」の取材に行った。今年3回目、通算40回目である。

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創建70年で行われた軍事パレード(2018年9月9日撮影)

 9月13日に羽田空港へ着くと、税関の前にかなりの乗客がすでに行列。「検査を強化しているのでご理解を」とのアナウンスが盛んに流れている。私の番になった。モニターを見た検査の職員の表情が急に厳しくなり、「北朝鮮には行ってないのか」と聞く。そうだと答えると「荷物を調べる」と言う。いつものことだ。ここから税関とのやり取りは、今回は約40分間続いた。

 職員は、検査しても何も出てこないのでスーツケースを閉じようとした。私は、「2005年に北朝鮮で購入した目覚まし時計がある」と伝えた。すると「包装を開けて使用したものは構わない」と言う。私は、税関が検査依頼を受けている経済産業省に電話して確認をするように要求。財務省の地方支分部局である税関による北朝鮮から持ち帰ったものの検査・没収は、明確な基準なしに行われているのではないかと疑ったからだ。

 経産省へ連絡した先の職員の上司が「持ち込むのは問題がない」改めて言う。そこで私は、今年6月28日の、関西空港での神戸朝鮮高校生徒への没収という対応との矛盾を質した。その時の没収品の中には、北朝鮮で購入後に着たスポーツウエアや、以前に現地で購入して日本から持って行ったポーチといったものがあるのだ。

 「時計は機械なので違う」などと、職員はわけのわからない理由を言う。私はさらに、神戸の朝鮮高校の後に、同じ関空へ戻った大阪朝鮮高校学校の生徒にはなぜ没収が行われなかったのかを質した。

 職員は「検査するかしないかは、その時の税関の状況による」という。つまり、北朝鮮から持ち込まれる何の問題もない土産や書籍の没収に時間をかけていたら、もっとも重要な薬物や金塊密輸の取り締まりがおろそかになるということのようだ。この日の羽田も大量の乗客が並んでいるにも関わらず、使われていない検査台があった。そのことを指摘すると、これで最大の体制だという。

 だが神戸と大阪の朝鮮高校への対応に差があったことは、もっと大きな理由がある。神戸朝鮮高校生徒への大量の没収は、新聞でも報じられて抗議が殺到。税関のカウンターはいくつもあるが、どの職員も大阪朝鮮高校生徒の誰からも没収しなかった。大阪税関の方針として控えたのは間違いない。

 なお神戸朝鮮高校へ、生徒から没収した品物の約80パーセントを返還するとの連絡があった。だがそのために、没収された人への事情聴取を求めているという。何というふざけた話だろう。没収された人が到底受け入れられない条件をつけ、「返還」のポーズを示すための対応だ。没収の際の「任意放棄書」には現住所の記載もあり、それへ連絡して返還すれば良いだけの話しである。

 この日、羽田で検査強化をしたのは、北朝鮮から戻る人が多いからではないという。だが私と同じ便で北朝鮮から戻った人たちは、ことごとく検査を受けて没収されていた。明らかに名簿を準備して待ち構えていたようだ。

 税関は、北朝鮮から戻った人の対応基準について上からの指示などはないという。だが私の体験からすると、没収の基準は日朝政府間の関係が見事に反映されてきた。

 北朝鮮への日本政府によるさまざまな制裁が続いている。その中で、目に見える税関でのこうした対応は、北朝鮮政策の象徴となっている。また安部首相の、北朝鮮への強硬策を示すためのものだ。そのために、北朝鮮から戻って来た人が持ち帰る数百円・数千円の品物を、制裁のための「輸入禁止対象」として容赦なく没収してきた。「民主主義国家」として愚かで恥ずかしいこの行為を、いつまで続けるつもりなのか。

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北朝鮮 返還の米兵遺骨で明らかになった日本外務省の無知

 米朝首脳会談の合意により、朝鮮戦争(1950~53年)の休戦協定締結から65年の7月27日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)はこの戦争で死亡した米兵の遺骨55体を11年ぶりに返還。米国務省のナウアート報道官は、北朝鮮から金銭の要求はなく米国は返還費用を払っていないとした。


三合里
三合里の人民軍基地内にある日本軍将兵の埋葬地での発掘調査(2012年9月5日撮影)

 これらの遺骨は、ホノルルの「米国防総省捕虜・行方不明者調査局(DPAA)」の研究所で調査を受けている。かつて返還された遺骨では、DNA検査によって米兵だけでなく韓国兵の身元が判明したケースもあり、遺族へ返還されている。

 ホノルル訪問中の河野太郎外相は8月22日、「DPAA」を訪れて遺骨調査のようすを視察した。「河野外相は、研究所の責任者に『我々の戦士についても確認作業をしていただいていることに感謝します』と語った」(「朝日新聞デジタル」8月23日付)という。遺骨の中に日本の将兵のものがあるかどうか、調査依頼をしているということのようだ。

 だが、米兵遺骨の中から日本兵のものが見つかることなどありえない。そう思っているのなら、北朝鮮の大地に眠る日本人遺骨の状況を、外務省はまったく理解していないということだ。

 1945年8月の日本敗戦によって、ソ連管理下に置かれた朝鮮半島の北緯38度線北側に日本の民間人と日本軍将兵が残された。その年から翌年にかけて伝染病や寒さと栄養失調で、民間人約2万4000人、将兵約1万600人の合計約3万4600人が死亡。実際にはもっと多いと思われる。

 日本への引き揚げ時に持ち帰られた遺骨は約1万3000人分といわれており、それ以外の約2万1600人分は今も北朝鮮各地に残っている。判明している埋葬地だけでも71カ所もある。

 民間人と将兵は各地の収容所へ入れられ、死亡するとそこへ埋葬された。私は2012年8月に5カ所で行われた発掘調査を取材。どこも、大きな壕に遺骨が隙間なく並んでいた。墓地の形になっているのは、平壌(ピョンヤン)郊外の龍山(リョンサン)だけである。

 ソ連軍の捕虜となった日本軍将兵が収容されたのは平壌近郊の三合里・美勒洞・秋乙、地方都市では古茂山・富寧・宣徳・富平・五老里・咸興・興南。規模の大小はあるものの、それぞれに埋葬地があると思われる。

 このように、日本の民間人や将兵の埋葬地はその位置がほぼ特定されている。朝鮮戦争で戦死した米兵がどのような形で埋葬されたのか不明だが、それが重なったことはあまり考えられない。それよりも、米国へ返還された遺骨の中にアジア人のものがあったならば、それは一緒に戦った韓国兵のものだろう。

 2012年からの北朝鮮への日本からの墓参団は、12回で約100人の遺族らが参加。同行取材したマスメディアはその数を上回る。こうしたことがあったにもかかわらず、日本政府は日本人埋葬地の現地調査を実施していない。

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建物建設などで見つかった日本人遺骨10人分が、最近になって移された興南の日本人「墓地」(2018年2月23日撮影)

 私は昨年8月と今年2月に興南(フンナム)の埋葬地を取材したが、2012年とすっかりようすが変わっていた。地方都市でも開発事業が進んでおり、日本人埋葬地が次々と消えようとしている。

北朝鮮ツアー 日本人拘束と押し寄せる中国人

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の中国・米国・韓国との首脳会談の結果、北朝鮮観光のツアー客が急増した。6月末にみた平壌(ピョンヤン)市の土産物店は、中国人観光客であふれていた。“爆買い”していくので、団体が三つもやって来たら商品を補充する必要があるという。

 平壌市の中心部には、朝鮮戦争に参戦した中国人民義勇軍の戦死者を追悼する「友誼塔」がある。塔の横を通りかかった際、まっ赤な花がたくさん捧げられているのが見えた。それが気になり、すぐに訪ねた。「中国人参観者は、1日200人だったのが今では500人になりました」とここの案内人は語る。

板門店の売店
板門店の売店にあふれる中国人観光客(2018年6月29日撮影)

 そればかりか、韓国と軍事的に対峙している板門店(パンムンジョム)は、溢れるほどの中国人で“観光地”と化していた。駐車場にバスが入り切らないほどだという。朝鮮戦争の休戦協定調印場で、アイスクリームを食べながら見学している中国人たちがいるのを不思議に思った。なんとそこには、テントの売店が設置されていたのだ。

 8月11日に、日本人ツアー客の拘束が報じられた。映像関係者とのことなので、それが私ではないかと何人かの知人が心配して電話してきた。拘束されているのは、映像クリエーターの杉本智之さん(39)。北朝鮮の西海岸にある港湾都市・南浦(ナムポ)で軍事施設を撮影した疑いをかけられているという。

 北朝鮮へ入国するには、いくつかの方法がある。私の場合は取材をするためなので、政府系機関から「招聘(しょうへい)状」を出してもらって入国。それ以外には、観光客として入る方法がある。北朝鮮で海外からの観光客を受けているのは「朝鮮国際旅行社」。拘束された杉本さんは、欧州系の旅行会社のツアーに参加していたという。

 政府系機関のルートでなく、観光客として入って取材している日本人の写真家や北朝鮮研究者がいる。その理由は、行動の制約が緩いからである。映像クリエーターの杉本さんが北朝鮮を訪れた理由には、北朝鮮の人々の日常を自然に描いた映画「ワンダーランド北朝鮮」の公開などがあるかも知れない。

 今回の拘束を「日本政府との交渉カード」「日本への揺さぶり」と報じているメディアもある。だが「人民軍」や警察にあたる「人民保安省」といった機関は、外国人であっても違法行為を見つければ容赦なく摘発する。いままでの米国人や日本人の拘束は、政治的思惑と関係なく行なわれてきたと思われる。

 政府系機関から「招聘」された私でも、平壌空港の入国審査と税関で調べられたことが2度もある。取り調べ室に移動し、多数の係官に取り囲まれて厳しく尋問された。私にまったく落ち度がないことがわかり、いずれも1時間ほどで解放された。

 自らが受け入れた客が取り調べを受けたり拘束されたりした場合、その機関はとりあえず弁護するだろう。しかしその力は、軍や警察に対してはあまりにも限られている。ましてや、政府機関でない旅行社には何もできないだろう。

 北朝鮮は、8月11日~9月5日まで外国人観光客の受け入れを中止すると発表。それは、押し寄せる中国人観光客の受け入れ態勢を整備するためかも知れない。また、拘束事件を起こしてしまった「朝鮮国際旅行社」へのペナルティーということも考えられる。

 「軍事施設と軍人は絶対に撮影しないように!」と、初入国の外国人は必ず言われる。朝鮮戦争は、まだ終わっていない。圧倒的軍事力を持つ米国と韓国からの攻撃に備え、北朝鮮は厳戒体制を続けてきた。緊張がゆるんだ今でも、それが継続していることを忘れてはならない。

北朝鮮 関空税関が朝鮮高校生徒の朝鮮土産を没収

 『週刊金曜日』2018年7月13日号に執筆した記事を掲載する。
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関空税関が朝鮮高校生徒の朝鮮土産を没収
日朝交渉は後退必至

 関西空港の税関は6月28日、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)への修学旅行から戻った「神戸朝鮮高校」の生徒62人全員の荷物検査を実施。そのうちの18人から、民芸品や化粧品など多数を没収した。悔しくて、女子生徒は泣き叫び男子生徒は怒りを爆発させたという。

没収品
筆者が中部空港税関で没収された朝鮮・日本・ドイツ製の菓子

 朝鮮から戻った人への荷物検査は、日本の独自制裁の1つとして実施されてきた。経済産業省から依頼を受けた税関は、外国為替及び外国貿易法に基づく朝鮮からの「輸出入禁止」の対象となるかを検査。これは、朝鮮訪問者への嫌がらせでしかない。

 今回、生徒たちが没収されたものは、購入したり友人・親戚からもらったりした安価な物ばかりだ。「経産省貿易管理課」は筆者の取材に対し「旅行中に使用した物は持ち込みが認められる」と明言。

 ところが今回の没収品には、朝鮮で使用したバスケットボールのスポーツウエアがある。また、日本から持って行ったカメラを入れるポーチまで没収。制裁開始前に日本へ持ち込んだものまで没収したのは、違法ではないのか。

 「在日本朝鮮人人権協会」によれば「最近でも没収はあるが、これほど大規模なものはなかった」という。今回の政府・経産省による没収の強化・拡大は、異例な対応なのである。

 この事件を、朝鮮メディアは次々と報道。「朝鮮中央通信」(4日付)は「在日同胞の人権と人道主義、国際法を乱暴に蹂躙した許せない野蛮行為、反人倫的悪行」と厳しく批判。

 また3日には、韓国・ソウル市の日本大使館前で「朝鮮学校とともにする人々」などが集会を開き、「日本政府は在日同胞生徒への人権蹂躪を謝罪せよ」と抗議した。

 この押収事件を滞在中の平壌(ピョンヤン)で知った私は、朝鮮・日本・ドイツで製造された菓子をホテルで購入して帰国。中部空港税関で、朝鮮での購入を申告したところ、経済産業省の判断を仰いだ上ですべてを没収した。

 日朝の水面下交渉で、朝鮮は日本による独自制裁の緩和を求めたという。安倍政権は関空での没収で、朝鮮を揺さぶりるつもりだったかも知れないが、日朝関係を後退させたのは確かだ。また生徒たちの心に、一生消えない傷をつけた。

北朝鮮 里帰りを熱望する在朝日本人妻たち

 『週刊金曜日』2018年6月8日号に掲載した記事を紹介する。

 朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と米国との激しい駆け引きが続いている。一方で、朝鮮敵視政策を続けてきた日本政府は、交渉の糸口さえ見いだせずにいる。そうしたなか、日本への里帰りを強く望む人たちが朝鮮にいる。在朝日本人妻7人と1人の遺族を、首都・平壌(ピョンヤン)と地方都市で時間をかけた取材をした。

在朝日本人
咸興(ハムフン)で暮らす在朝日本人たち(2018年2月22日撮影)

 半年後に、こうした形で「再会」するとは思っていなかった。昨年8月にこの部屋でインタビューした時には、寡黙ながらも日本へ再び里帰りする希望を語っていた。その人は今、小さな額縁の中におさまっている。岩瀬藤子(朝鮮名:リ・ミヒョン)さんが亡くなったのは今年1月3日。偶然にも、その日は78歳の誕生日だった。
 岩瀬さんの息子のキム・テソンさん(40歳)は「『日本は地理的に近いが遠くて行けない国』とお母さんが言ったことがあります。高齢になって、故郷を思い出したのだと思います」と語る。1人の日本人が、望郷の念を抱きながら亡くなってしまった。
 朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市は、首都・平壌から車で5時間以上かかる。私はそこを、昨年4月からの1年間に4回も訪ねた。この地に、たくさんの日本人女性が暮らしているからだ。彼女たちは「咸興にじの会」という日本人の親睦団体を結成し、岩瀬さんは副会長をしてきた。この会は建設現場へ支援物資を送る活動もしている。「お礼の返事はあるのか」と私が質問すると、「くる時もあれば、こない時もある」と岩瀬さんがぶっきらぼうに答えたので、その場にいた日本人妻たちと大笑いをした。
 この「咸興にじの会」の会長は、日本敗戦前から朝鮮で暮らしてきた85歳の荒井琉璃子(朝鮮名:リ・ユグム)さん(『週刊金曜日』「大国に翻弄され続けた“最後の朝鮮残留日本人”」2017年12月8日号参照)。
 「亡くなってすぐに家へ行き、顔を撫でてあげました。本当に寂しいですね。残念です。1人また1人と亡くなってしまうので・・・」
荒井さん宅に集まった3人の日本人妻が、その言葉にうなずく。咸興ではこの半年で、岩瀬さんの他にもう1人亡くなったという。
私が今年2月に取材を予定していた日本人妻4人のうち、2人も死亡していることが平壌へ着いてからわかった。それが岩瀬さんと、日本へ帰国したものの朝鮮へ戻った平島筆子(朝鮮名:アン・ピルファ)さん(79歳で死亡)である(『週刊金曜日』「日朝関係に翻弄された劇的な人生」18年3月16日号参照)。

●帰国事業と日本人妻
 1959年12月から在日朝鮮人の帰国事業が始まり、9万3340人が朝鮮へ渡る。その中の日本国籍者は6679人。朝鮮人と結婚していた日本人配偶者はそのうちの1831人で、ほとんどが女性だった。なぜそれほど多くの日本人女性が、見ず知らずの国へ渡る決断をしたのだろうか。
 日本の植民地支配によって、朝鮮半島から膨大な数の朝鮮人が日本へ渡ってきた。過酷な植民地政策によって生活できなくなった家族や、本人の意思に反して「徴用」などによる労働者として玄界灘を越えてきた。日本で暮らす朝鮮人は、もっとも多かった44年には約194万人にもなる。45年8月に祖国が解放されても、約30%の人たちが日本へ残った。だが在日朝鮮人の多くは、民族差別と失業による貧困で苦しむ。59年ごろには生活保護受給者は約8万1000人にも達し、年間経費は約16億9000万円にもなっていた。
 外務省から「日本赤十字社(日赤)」へ派遣された外事部長は「日本政府は、はっきり云えば、厄介な朝鮮人を日本から一掃することに利益を持つ」(『在日朝鮮人帰国問題の真相』井上益太郎)とした。日本政府は財政負担を減らすために、在日朝鮮人を追放したいと考えていたのだ。「日赤」は54年1月に「朝鮮赤十字会(朝赤)」へ文書を送る。
 「もし帰国が許されるならば、その便船を利用し、日本にある貴国人にして帰国を希望するものを帰国に帰すことを本社は援助したい」(『日本赤十字社社史稿』第6巻)
 つまり、朝鮮残留日本人の帰国と在日朝鮮人の帰国をセットで進めようという提案なのだ。このように、帰国事業が始まるきっかけは、日本側がつくっていた。
 一方の朝鮮は、中国とソ連の対立が深刻化する中でそれらの国と距離を置き、日本との関係改善を模索していた。55年2月には南日(ナム・イル)外務大臣が国交正常化を呼びかける。そして58年9月に金日成(キム・イルソン)首相(当時)は「共和国政府は在日同胞が帰国して新しい生活ができるようにすべての条件を保障する」と表明。こうして両国政府の思惑が一致し、熱気を帯びた大規模な帰国運動へと発展していった。しかも『産経新聞』や『読売新聞』を含むマスメディアは、朝鮮戦争による廃墟から急速に復興する朝鮮を褒め称え、帰国運動の後押しをした。
 帰国する在日朝鮮人のほとんどは、出身地が朝鮮半島南側だった。しかし韓国では李承晩(イ・スンマン)大統領による軍事独裁政権が続いていたため、社会主義体制の朝鮮半島北側へ渡ることを決断した人も多い。

●未知の国への渡航
 「日本では、朝鮮人への差別があったんです。今でもそうですか?  選挙で朝鮮人は投票できないので、夫に申し訳ないと思いながら私一人で投票所へ行きました。そしてお腹の子どもは、学校で日本人の子どもたちからいじめられ、思うように勉強できないだろうと思ったんです」
 このように中本愛子(朝鮮名:キム・エスン)さん(86歳)は、民族差別から逃れるために朝鮮行きを決断したという。他の日本人妻や帰国者も、子どもの教育のために一家揃ってとか、学費がなくて断念した大学で学ぶために朝鮮へ渡ったと語る。私は中本さんに、両親が渡航に反対しなかったのか聞いた。
 「お父さんは『嫁ぎ先のいうことを聞かないといけないので行きなさい』と言いました。ですがお母さんは、病身だったこともあり長女の私を頼っていたので泣きながら反対しました。私は『3年したら里帰りできる』となだめたんです」
 岩瀬さんも「3年経ったら日本と朝鮮を行き来することができるという話があり、別れることを深刻に思う人はいませんでした」という。取材したどの日本人妻たちも「3年で里帰り」という話を聞いたというが、その出所はわからない。
 59年8月に「日赤」と「朝赤」は、インドのカルカッタ(現コルコタ)で帰国事業についての協定に調印。その年の12月14日、最初の帰国船が新潟港から清津(チョンジン)港へ向かった。
 「わたしたち帰国者は歓迎の人たちと接した埠頭で、またショックを受けた。彼らのほとんどはやせていた。(略)男性が身に着けていた服装ときたら、眺めているだけで悲しくなるほど粗末である」(『帰国船』鄭箕海)
 そしてここで、中本さんが目撃した光景がある。
 「日本人妻の中には、船から降りた埠頭で朝鮮人の夫と喧嘩した人がいます。『私を騙した。すぐに日本に帰してくれ』と言って・・・」。
 しかしこうしたようすを見ても、中本さんは何の不安もなかったという。朝鮮は、朝鮮戦争での米軍による攻撃で焦土と化した。最初の帰国船が出たのはその休戦からわずか6年後。復興は始まったばかりであり、食料・日用品や住宅の不足は深刻な状況だった。過剰な宣伝によりつくり上げられた「地上の楽園」と現実との落差に失望した人もいれば、どのようなことでも受け入れようと覚悟して渡った人もいるのだ。
 帰国事業は84年7月の第187次船まで続いたが、帰国者の80%にあたる7万4779人は61年末までの約2年間に渡航。そのため帰国船は、月に3~4回も清津へ入港した。朝鮮では、押し寄せるようにやって来る人々への対応が追いつかない状態に陥る。帰国者たちは、清津や咸興での数日間の滞在中に行き先が決まった。だがこうした状況から、自分の希望と異なる地域や職場・学校へ配置される人たちが出たのである。しかも帰国希望者を、審査や選別することなく無条件ですべて受け入れたため、渡航してきた帰国者の半数以上は財産をほとんど持っていなかった。また、世話をする多数の人員を用意する必要があった。十分な対応ができるような状況ではなかったのだ。

新井好江さん
日本人妻の新井好江さん(2018年2月28日撮影)

●生活はさまざまな
 「来た当時は朝鮮の言葉も文字もわからないし、日本人はいじめられるのではと不安でたまりませんでした。ところがみんな優しくて親切で、お店へ行くと『日本から来たのだから最初に買いなさい」と言ってくれたんです」
 中本さんはこう語る。同じような話は他の日本人妻からも聞いた。彼女たちが朝鮮へ渡った時期は、まだ朝鮮戦争の傷跡が残っていた。
 「田んぼに爆弾の大きな穴が空いていて、不発弾が見えたのでウワーと思ったんです。戦争復興のために私も動員され、初めてスコップを持って作業をしました」
 しばらくそのようなことをしていた中本さんは、働きに出ることにした。
「編み機でセーターを編む職場です。ノルマを200%達成したのでみんなから栄誉だと言われ、温泉旅行にも行かせてもらいました」。
 在日朝鮮人帰国者やその日本人妻が、「脱北」してから書いた手記がいくつか出版されている。差別されて社会的に低い地位に置かれている、収容所へ入れられたり行方不明になったりした人がいる、地方都市で貧しい生活をしているなどと書かれている。それらによって、日本では朝鮮に対する極めて悪いイメージがつくられた。率直に話をしてくれる中本さんに、そうしたことがあるのかと聞いた。
 「私の夫は朝鮮へ来てからも日本と同じ運転手でしたが、商売してお金を持ってきた人はここでも裕福な生活をしていました。日本の都会から来て、やったこともない農業をした人は苦労したでしょう。だけど、日本人だからといってそうしたんではないですよ。それは運なので、仕方ないんです」
 帰国者の生活水準は、日本の親族による送金や訪問があるかないかでも大きく異なっている。私は取材で平壌や地方都市の個人宅を数十回訪ねており、差があることははっきりとわかった。また帰国者は10万人近くいたのであり、その中には日本とまったく異なる社会体制を受け入れることが出来なかった人もかなりいただろう。
 日本人妻は帰国事業の犠牲者のようにいわれてきたが、それは正確ではない。社会的に大きな評価を受けている帰国者や日本人妻もいる。取材先で、そういった人と偶然出会うことがたびたびあった。農業や歴史の研究機関で働く学者、病院の医師、大規模なインフラ整備を担当する行政機関の幹部、そして海外との交流をする機関の責任者とさまざまだ。
 日本人妻の新井好江(朝鮮名:シン・チョンホ)さん(85歳)は、日本では病気になっても病院へ行くことができないほど貧しかった。夫とともに子ども4人を連れて、何の財産も持たずに朝鮮へ渡る。そしてすぐに、「平壌日用品総合工場」で夫婦揃って働き始めた。新井さんの作業はカバン製造だった。
 「工場で働いていた87年11月に、住んでいる船橋(ソンギョ)区域の人民委員会から呼び出されました。そして、この区域の『出版物普及所』の所長に任命されたんです。図書を、企業や学校へ配布する機関です。それまでの仕事とまったく違いましたが、69歳まで張り合いのある仕事ができました」
 朝鮮で日本人妻が置かれた社会的状況は実にさまざまである。家庭生活や仕事がうまくいき幸せだと思っている人もいれば、ここでの生活に馴染めなくて失敗したと思った人もいるのだ。
 「脱北」して日本へ帰国したものの再び朝鮮へ戻った人は平島筆子さんだけではない。石川一二三さんは在日朝鮮人のト・サンダルさんの三女で、60年に両親とともに朝鮮へ。2003年10月に「脱北」して日本で暮らしていたが、07年6月に朝鮮へ戻った。平島さんと同じように、再び朝鮮の家族と暮らすために支援者の説得を振り切って戻ったという。別れて暮らす日本の肉親、新しく築いた朝鮮の家族との間を行き来できないために起きたことだ。
 日本人妻や在日朝鮮人帰国者は、国交正常化が実現すれば日朝間を自由に往来できると信じていた。ところが国交は、朝鮮植民地支配の終焉から73年たっても結ばれていない。日本人妻たちの苦難は、日朝に国交がなく日本が朝鮮を敵視していることが根本的な原因だ。

●里帰り事業は3回
 1991年1月に日朝国交正常化交渉が始まる。それにより、日本政府が要求してきた日本人妻の里帰り事業が97年11月から開始された。その第1回は15人で、98年1月に12人、2000年9月に16人の、合わせて43人が里帰りをした。
 「成田空港の記者の多さにはびっくりしちゃった。でも、嬉しかったんです。『おかえりなさーい』ってみんなが言ってくれてね」
第1回に参加した新井さんはこう語る。同じ回で岩瀬さんも里帰りし、兄弟と会ったり墓参をした。
 「37年ぶりに帰ったので『浦島太郎のような日本人妻の里帰りが実現した』って新聞に出たのを覚えていますよ。日本では慌しかったのですが、行って良かったです。気持ちの踏ん切りがつきました」
 わずか2泊3日の滞在であっても、願い続けてきた里帰りをしたことで大いに満足できたのだろう。
 だが、中本さんが参加予定の2002年10月の4回目の里帰りは「延期」と発表された。
 「やっと私も行けると、喜んでいました。17人が一緒に日本へ行くことになり、飛行機に乗る日も決まっていました。この少し前に小泉首相が朝鮮へ来ていたので、うまく行くだろうと安心していたんですよ。ところが、平壌で見物したりして待っていたら急に中止になったんです。日本の方で来るなと言ったんです。なぜ里帰りさせてくれないのかと、恨んで恨んで泣きました」
 当時を知る外務省関係者が、その理由を明かしてくれた。02年9月の小泉純一郎首相の訪朝によって朝鮮が拉致を認めたことで日本の世論が悪化し、実施できなくなったという。この第4回目の延期は、そのまま里帰り事業の中止になってしまった。「一緒に行くことになっていた人のうち、5~6人がすでに亡くなってしまった」と中本さんは悔しそうに語った。
 この後、99年に村山富市元首相を団長とした超党派訪朝団が里帰り事業の再開を要請。朝鮮労働党と合意したものの、日朝関係がさらに悪化したために実施されなかった。

●唯一の日本人組織
 日本人妻たちの話からすると、朝鮮へ渡った日本人6679人のかなりがすでに亡くなっているのは確かだ。またその消息は、帰国者とその配偶者である日本人妻の世話をしている「海外同胞事業局」でも、もはや全体を把握できていないようである。
 そうした状況の中で、しかも地方都市の咸興において日本人妻11人が集まり、16年11月に残留日本人を会長に「咸興にじの会」を結成。これは朝鮮にある唯一の日本人組織であり、極めて異例なことだ。
ともに積極的な生き方をしてきた荒井さんと岩瀬さん・中本さんは、姉妹のように仲良くしてきた。子や孫の世話になるようになって時間ができ、この3人が行政機関に働きかけた。
 「日本人に何の差別もなく良くしてくれたこの国のために、何かしようということで『にじの会』をつくりました。月1回は集まって、話しをしたりごはん食べたりして過ごしています。これが楽しくて、時間を忘れるほどなんですよ」
 このように中本さんは語る。だがこの会は高齢者ばかりなので、岩瀬さんの息子の妻のキム・ウンスクさんが事務をしている。「新興山(シンフンサン)ホテル」内の立派な事務所で「設立目的」を説明してくれた。
① 咸鏡南道で暮らす在朝日本人(残留日本人と日本人妻)の融和と親睦を推進する
② 在朝日本人を差別なく待遇し、すべての生活を保障している朝鮮政府に報いるために社会活動を行なう
③ 朝鮮の政治・社会主義制度などを、日本人民に広く紹介するための活動を行なう
④ 日本政府に、朝鮮敵視政策の撤回と過去の清算をさせるための活動を行なう
⑤ 在朝日本人の自由な里帰りの実現のために努力し、朝鮮内の日本人遺骨と墓参問題の解決のための活動で朝日関係改善に寄与する
 会員たちが高齢であるのに大きな目標を掲げていることを聞くと、その子どもたちの入会を進めているという。
何人かの日本人妻は、日本は植民地支配の清算をすべきと語った。岩瀬さんからは、日本人遺骨の話が出た。
「いっぱい埋まっている日本人の遺骨を早く探し、日本へ持っていってあげるのが本当じゃないのですか? 日本政府に言いたいのは、昔のことをきれいに清算してほしいということです」
 45年8月9日に、中国東北地方や朝鮮半島北部などをソ連軍が攻撃。それを逃れてきた日本人が、ソ連管理下の朝鮮半島北部で4万人近く死亡。咸興とその周辺には、何カ所もの大規模な埋葬地がある(『週刊金曜日』「戦後初の墓参で遺骨に手を合わす遺族の願い」2012年9月14日号参照)。農作業で見つかった遺骨10体の埋葬に、「にじの会」の人たちが立ち会った。身近なところに、日本人遺骨が放置されていることに心を痛めているのだ。

●2時間でも故郷へ
 日本人妻たちに、日本の親族との現在の関係を聞くと誰もが口を濁す。現在でも、手紙や電話で連絡が取れている人はほとんどいないようだ。新井さんは「私は今も日本の兄弟へ年賀状を出しています。『私は生きています』って知らせるためです。ただ3年前に、返事は止まっちゃったけどね」と少し寂しそうに語る。
 中本さんも、兄弟からの手紙が届かなくなって久しい。「生きているのかどうか、それだけでもわかればいいのに。手紙の一つでもくれればと思うんですよ。このまま死ぬのかなあ・・・」と寂しそうだ。そして、51年前に妹から送られてきた古ぼけた手紙を見せてくれた。「宝物です。私が死んだとき、これを一緒に棺へ入れてもらうんです」と語る。
 私が岩瀬さんの写真アルバムを複写していると、日本へ里帰りした時に撮影した兄弟の写真があった。「この写真が日本で公表されたら本人たちの仕事に支障があるので、絶対に出さないでほしい」と岩瀬さんは慌てて手で隠した。
 両親がともに亡くなると、兄弟は連絡を絶つことが多い。日本の肉親たちは最悪の日朝関係が長く続く中で、朝鮮に身内がいることを隠している人がほとんどなのだ。日本へ里帰りした日本人妻で、肉親から会うことを拒否された人もいるという。それにもかかわらず日本人妻たちは、日本の親族に迷惑がかからないように気遣っている。
 高齢化した日本人女性には、動けなくなって寝込んでいる人も多いという。荒井さんは私が訪ねる10日前に転倒し、腰を強打して自分で歩くことが出来なくなっていた。「いっそ死んでしまいたいよ」と荒井さんが言うと、1歳年上の中本さんが「何でそんなこと言うの、弱音を言わないで」とたしなめた。その中本さんは、次のように願いを語る。
 「お父さんとお母さんが亡くなったとき、長女なのに行けなかったんです。せめて1回でも、『やっと今、長女が会いに来ました』と墓前で言うことができたら、いつ死んでも思い残すことはありません。故郷に1泊できなくても、2時間でも帰りたいです」

●人道問題で関係改善を
 14年5月、ノルウェーで日朝政府間協議が行われ「ストックホルム合意」が発表された。「日本側は、北朝鮮側に対し、1945年前後に北朝鮮域内で死亡した日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を要請した」(日本外務省ウェブサイト)
 この合意にもとづいて朝鮮は「特別調査委員会」を立ち上げて調査を開始。残留日本人の荒井さんや日本人妻たちも調査を受けた。「特別調査委員会に『(永住)帰国はしたいか』と聞かれたので『そういう気持ちはないが、死ぬ前に墓参りして兄弟に会えれば思い残すことはない』と答えたんです」と新井さんは言う。
 こうした動きに日本人妻の誰もが、里帰り事業が再開されるのではと期待したという。だが日本政府は拉致被害者を優先し、他の項目については調査報告の受け取りさえ拒んだという。非人道的対応である。
 そして朝鮮が16年1月に核実験を行なうと、日本政府はすぐに追加制裁を実施。そのため朝鮮は「特別調査委員会」の解体を宣言し、それ以降は日朝間の政府間協議は止まったままだ。
 朝鮮と韓国・中国との首脳会談により、米朝交渉がどのようになろうとも、昨年と同じ危機的状況に戻ることはない。一方、日朝交渉は、拉致問題がネックとなってまったく進展しない状況が続く。日本政府は、拉致問題「解決」の着地点を明示する必要があるだろう。
 高齢になった在朝日本人は誰もが「死ぬ前に里帰りしたい」と強く望んでいる。日朝交渉の進展と関係なく、すぐに取り組むことができる残留日本人と日本人妻の里帰りを実施すべきだ。もはやその対象者は極めて少なくなっており、過去に里帰りした人も含めるのが現実的である。
 新井さんは次のように語る。
 「地図で見ると、日本と朝鮮は本当に近いところにあるのにね。理解して仲良くなれば、お互いに利益があるんじゃないかと思うんです。戦争にならないわけでしょ。できるなら、私たち日本人妻が日本と朝鮮のかけ橋になりたいです」

米朝首脳会談の日に北朝鮮監視衛星を打ち上げた日本

 6月12日の歴史的な米朝首脳会談の共同声明では、「トランプ大統領は北朝鮮への安全保障の提供を決意。金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化への揺るぎない固い決意を再確認」としている。トランプ大統領はその後の記者会見で、米韓合同軍事演習の中止や拉致問題を提起したとも言及した。

万寿台の銅像
平壌の万寿台(マンスデ)に建つ最高指導者の銅像(2018年3月2日撮影)

 首脳会談の報道をテレビで見ていたら「北朝鮮側の状況について現地からの中継です」と某テレビ局のキャスターが言う。てっきり平壌(ピョンヤン)からだと思ったら、その「現地」とはシンガポールだった。

 実は私は、今日の歴史的な米朝首脳会談を平壌で取材する予定だった。あるテレビのキー局から、その会談を北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の首都で取材して欲しいとの急な依頼があった。

 シンガポールからだけでなく、北朝鮮からも首脳会談についての市民の声などを発信するべきとの話に私は共感。平壌から中継などをするために、北朝鮮へ直ちに申請をした。結局、手続きのための時間がなさすぎるとの理由で実現しなかった。

 雑誌・テレビからの私への協力や取材依頼が続いている。その中には、驚くようなとんでもない企画もある。記者などの、会って話を聞きたいという連絡も多くとても対応できない。米朝関係が大きく変わりつつあるため、日本のマスメディアは北朝鮮報道のスタンスを変えようとしているのだ。

 ところが日本の政府の方は、拉致問題解決のために日朝首脳会談を模索しているというが、とてもそれが本気だとは思えない。今日の午後1時20分に、北朝鮮の核・ミサイル施設を監視するための偵察衛星を種子島宇宙センターから打ち上げた。また6月1日には、北朝鮮からのミサイルへの防衛システムのイージス・アショアを配備する自治体への説明を開始している。

 このように、日本政府の北朝鮮への敵視姿勢はまったく変更されていないのだ。これでは、とても話し合いの環境ではないのは確かだ。安倍首相は異常なまでの強硬姿勢で走り続けてきたため、軌道修正をすることができないようだ。

「トランプタワー平壌」建設の可能性

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と米国は互いに牽制しながら、6月12日の首脳会談での合意内容を固めようとしている。そうした中で、米朝関係改善後のさまざまな話が流れている。

 その中に、平壌(ピョンヤン)に「トランプタワー」を建設するという話がある。4月26日、韓国の文正仁(ムン・ジョンイン)大統領統一外交安保特別補佐官は「北朝鮮が望む体制保障は、大同江(テドンガン)に「トランプタワー」が建ち、平壌市内にマクドナルドが開店することだ」と語った。米国資本の商業施設ができれば、北朝鮮は米国の軍事攻撃を受けないための担保を得ることになるというのだ。

 北朝鮮の首都に、米国資本の高層ビルが造られることなどあり得ないと誰もが思うだろう。ところがかつて、同じような計画があったのだ。

北関大捷碑
吉州へ戻った北関大捷碑(2009年10月18日撮影)

 私は2005年から翌年にかけて、北関大捷碑(ほっかんたいしょうひ)という石碑の返還の一部始終を取材した。豊臣秀吉による朝鮮侵略の際、朝鮮北部の吉州(キルジュ)において地元で組織された義勇軍が加藤清正軍を撃退。この石碑は、それを記念して1709年に建立された。

 これを日露戦争で朝鮮へ派兵された日本軍が持ち帰り、靖国神社の境内に置かれてきた。それを韓国の研究者が見つけ、返還への動きが始まる。靖国神社所有の文化財を、北朝鮮へ帰そうという無謀とも思える計画だ。

 当時は南北関係が良かったため、日本・韓国・北朝鮮の仏教者たちが連絡を取り合った。私は、日本の窓口になっている僧侶をたびたび取材。その中で、1枚の文書を見せられて驚いた。返還のため、靖国神社と北朝鮮との仲介について記された「世界貿易センター連合」のトゾリ総裁によるものだった。

 総裁が北朝鮮と強いつながりを持つようになったのは、平壌に「世界貿易センタービル」を建設する計画があったからである。石碑の返還を決断した靖国神社に対し、トゾリ総裁からは感謝状が贈られたという。

 このように米国資本は、北朝鮮への大規模な経済的進出のチャンスを狙い続けてきた。日本は朝鮮植民地支配時に北朝鮮の豊かな鉱物資源について詳細な調査をしており、米国は最近も東京の「国立国会図書館」でそれを閲覧したという。

 極めて勤勉な労働力と豊かで多様な鉱物資源がある北朝鮮。トランプ大統領は、北朝鮮との関係改善が実現すれば、怒涛のように経済援助と投資を進めるのは確かだ。この巨大な利益の前には、異常なまでの北朝鮮バッシングの結果としてまったく身動きできなくなった安部首相など見捨てるだろう。

北朝鮮 日朝交渉には新たな首相が必要

 6月12日の米朝首脳会談に向けて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が次々と行動を起こしている。南北首脳会談、2度の中朝首脳会談、そして今月23日~25日には豊渓里(プンゲリ)の核実験場を廃棄すると5月12日に発表した。

バス停と人々
平壌市内のバス停の人々(2018年3月2日撮影)

 その廃棄作業の透明性を示すため、中国・ロシア・米国・英国、そして韓国のマスメディアの現地取材を認めた。米国メディアなどは、そのようすを現場から衛星中継する準備をしている。

 北朝鮮が取材を認めたのはこの5カ国だけで、日本は入っていない。つまり排除されたのだ。2008年6月27日の、寧辺(ニョンビョン)の核施設にある黒鉛減速炉の冷却塔爆破では日本のメディアも取材している。北朝鮮における国家の重要行事に外国メディアを招き入れる際には日本も必ず入っていたので、今回の措置は異例だ。

 そして同じ12日に「朝鮮中央通信」は日本に関する論評を発表。これでも「日本外し」の姿勢がはっきりとしている。
「全世界が近づいた朝米首脳の対面と会談を朝鮮半島の肯定的な情勢発展を促し、立派な未来を建設するための第一歩として積極的に支持し、歓迎している時に唯一、日本だけがひねくれている」

 このように制裁を言い続ける日本の姿勢を批判した上で、「日本の反動層がすでに解決済の『拉致問題』をまたもや持ち出して世論化するのは、国際社会が一致して歓迎している朝鮮半島の平和気流をあくまでも阻んでみようとする稚拙で愚かな醜態だ」としている。

 拉致問題について日朝首脳会談で談判しようとしていた安倍首相に、強烈なパンチを食らわせた形だ。朝鮮半島が非核化に向かい、東アジアの政治情勢が大きく変わろうとしている時に、日本はまったく身動きできなくなってしまった。

 こうした事態を招いた責任は安倍首相にある。拉致問題を理由に、「日朝平壌(ピョンヤン)宣言」に明記された日本による朝鮮植民地支配の清算にまったく取り組もうとしなかった。日本からの補償を求めていた被害者たちは、その多くが亡くなってしまった。

 そして、「日朝ストックホルム合意」で拉致問題と同時に調査項目になっていた残留日本人・日本人妻・日本人遺骨については、拉致に関する調査結果が日本の満足できるものでないことを理由に報告書さえ受け取らなかったという。そうした日本政府の対応によって、里帰りを期待していた残留日本人・日本人妻や、政府事業による墓参を希望していた遺族がどれほど涙を流したことだろうか。

 このような非人道的な政策が、安倍首相によって拉致問題を利用して政権を維持するために行われてきた。北朝鮮からすれば、米国以上にバッシングをしてきた日本と容易には対話できないだろう。

 現在の日本が置かれた状況をみれば、安倍首相によって日本の「国益」が大きく損なわれた。安部晋三氏が首相になった時、日本をこの人物に任せるととんでもないことになるのではないか⁉ そうした漫然とした不安は、見事に的中したようだ。日朝交渉をするには、新たな首相が必要なようだ。

歴史的な南北首脳会談の影で日本は?

 4月27日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩(キム・ジョンウン)委員長と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領との会談が、軍事境界線上にある板門店(パンムンジョム)で開催された。

板門店平和の家
北朝鮮の「板門閣」から見た板門店の韓国側の施設。左の建物は「自由の家」で、その右側が首脳会談の行われた「平和の家」。その右奥には「開城工業団地」が見える。(2014年10月5日撮影)

 北朝鮮側からは10回ほど、韓国側からも訪れてそのようすがすっかり頭に入っているその板門店は、南北の軍事対峙の最前線だった。たった1歩で跨ぐことのできる幅50センチの境界線は、南北分断の象徴である。

 文大統領と握手をした金委員長がそれを歩いて越えた。文大統領が「私はいつごろ軍事境界線を越えられますか」と言うと、「それでは今、越えてみますか」と金委員長が答え、二人は手をつないで北側へ入った。

 南北分断の歴史が大きく変わろうとしていることを示す出来事である。朝鮮半島情勢に40年間も関心を持ち、南北合わせて83回の取材に訪れた者として、大きな感動を覚えた。

 この南北首脳会談は単に3回目ということではなく、過去の金正日(キム・ジョンイル)総書記と金大中(キム・デジュン)大統領・盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領との会談の成果の上に行なわたものだ。

 両首脳は「完全な非核化による核のない朝鮮半島の実現」をうたった「板門店宣言」に署名。朝鮮戦争の終戦を年内に目指すことや、南北に米国・中国を加えた平和体制構築の協議構想などを発表した。おそらく米朝首脳会談においても、関係改善が大きく進むだろう。

 このように東アアジア情勢はダイナミックに動き出しているが、日本だけが完全に置き去りになっている。もちろんその責任は、異常なまでの北朝鮮への敵視政策を進めてきた安倍政権にあるのは明白だ。

 安倍政権は米朝首脳会談の開催が決まると、あわてて日朝首脳会談をさまざまなルートで打診してきた。だが平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開会式において、安倍首相が北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長に話しかけた際、「植民地支配に対する謝罪と賠償が先」と相手にされなかったという。

 その日本への姿勢は、他にも表れている。今日から訪朝する予定だった地方議員による大型訪朝団が、北朝鮮側の「都合」によって延期になった。北朝鮮にとって、韓国・米国との関係改善を進めることが重要であって、日本との関係改善は後回しにするという姿勢が明確になった。

北朝鮮 核・ミサイル実験中止で日本はリング外へ

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は20日に開催された「朝鮮労働党中央委員会総会」において、核兵器開発が完成したとして、核実験と中長距離ミサイル・大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験の21日からの中止を決定した。そして使命を終えた北部豊渓里(プンゲリ)の核実験場を廃棄するとも表明。これに対して、米国と韓国は歓迎すると表明した。

火星12型
大陸間弾道ミサイル「火星(ファソン)12型」(2017年4月15日撮影)

 これは近く開かれる韓国・文在寅(ムン・ジェイン)大統領、そして米国のトランプ大統領とのトップ会談の準備交渉において、すでに合意されたことを踏まえての決定だろう。

 このように、北朝鮮が求め続けてきた朝鮮戦争の休戦協定を平和条約に替えて米国と国交正常化を行ない、米国から軍事的脅威を受けないという状況に向けて交渉が着実に進んでいるのだ。

 それにしても、金正恩(キム・ジョンウン)委員長の戦略は実に見事である。実業家で政治的経験がなく独裁的なトランプ氏が大統領になるや、数十年間もうまくいかなかった米国との交渉の千載一遇のチャンスだと判断。

 同盟国・中国との関係悪化や「国連安保理」決議による厳しい制裁を覚悟で、一気に核と弾道ミサイル開発を推進して完成させた。そして韓国と中国を後ろ盾にするための外国攻勢を成功させ、米国との最後の交渉に臨もうとしている。完璧なシナリオである。

 米朝関係が大きく改善されれば「安保理」や米韓の制裁は解除され、北朝鮮へのさまざまな投資が一気に行われるのは確かだ。長期の制裁によって日本にまったく依存しない経済をつくり上げた北朝鮮は、妥協してまで日本からの経済支援を求める必要がない。

 日本政府がこれからも「拉致被害者の全員帰国」を拉致問題解決のゴールとするならば、日本だけがこうした流れから完全に取り残されるのは明白だ。北朝鮮問題での「蚊帳の外」どころか、国際的な外交での「リング外」に置かれつつある。

 拉致問題解決のための外交交渉は、着地点を示す必要がある。平壌(ピョンヤン)に米国大使館が開設されるのはそれほど遠くないだろう。北朝鮮での拉致被害者調査は、米国などの第3国や国際機関を入れて行なうのが現実的だ。

 ただ安倍政権は、北朝鮮に対してあまりにも敵対的姿勢を続けてきた。小野寺防衛相は、21日の北朝鮮の画期的な発表を一言も評価することなく「現段階で圧力を緩めるタイミングではない」と表明した。「北朝鮮の脅威」を煽って政権の座につき、ひたすら軍事力を増強してきた安倍首相にとって、拉致問題解決や北朝鮮との関係改善は不都合なのかも知れない。

北朝鮮 宋日昊大使が日本政府に返答を要求

 米朝首脳会談が発表される直前の2018年3月1日、平壌市内レストランで宋日昊(ソン・イルホ)・朝日国交正常化交渉担当大使と3時間半にわたって会食した。その時の大使の発言要旨を掲載する。
                 *
 北南(注:北朝鮮と韓国)関係は良好に発展している。日本の一般の人は良いこととみている。ただ日本政府の一部の人は芳しく思っておらず、和解の雰囲気を妨害している。安倍首相と河野外相は、制裁と圧力を無分別に強調。(朝鮮で)日本政府への敵愾心が高まっている。両国関係は悪化している状況。

宋日昊大使
宋日昊大使(2018年3月1日撮影)

 米国は久しく前から、朝鮮への侵略戦争や核戦争を公言。トランプ政権はもっとひどくなった。この状況の中で、日本が米国に加担していることが目立っている。日米は絡みすぎている。

 (日本による)40年間の植民地支配で、個人と国の財産が奪われた。(金日成)主席が祖国と自主権を取り戻す戦いをして勝利。その5年後、米国により(朝鮮)戦争になった。人口43万人の平壌に、米国は46万3000トンの爆弾を落とした。国なき民の悲しみと屈辱を2度と繰り返さないという思いで戦って勝利。自力で国をつくってきた。

 (朝鮮は)欲しくて核を持ったのではない。朝鮮半島の非核化は主席の遺訓。それを守ろうとしているが、やむを得ず核開発している。米国が毎年、平壌への攻撃や斬首作戦をしようとしており、抑止力として核を保有した。核をなくせというのは、朝鮮をなくせということ。リビアやイラクと同じことになる。核放棄すれば、植民地支配の奴隷状態に戻ることになる。核開発をせざるを得ない前提をなくして欲しい。

 朝鮮労働党第7回大会の(金正恩委員長)演説で、他の国に核攻撃をしないと明言した。日本を含む地域の平和と安定のためだ。朝鮮だけの非核化だけでなく、全世界の非核化を主張している。我々の核武力は、米国などによる核攻撃をなくすためのもの。朝鮮は、世界中から核をなくすために貢献する。

 日本は、朝鮮に対して出来ることはみんなしようとしている。日本の人民と社会に、朝鮮からの脅威を煽っている。北海道上空のロケット通過は高度4000キロメートルの宇宙空間。それを問題にするのは国民を騙すこと。

 こうして日本は、米国と一緒に朝鮮を攻撃できるようにしている。憲法を変えようとしている。自衛隊を国防軍にしようとしている。こうした考えは間違いである。

 朝鮮は日本を侵略したことはないし、これからもない。だが日本の米軍基地が朝鮮を攻撃するならとことんやる。日朝での戦争があれば、20年前は日本が上。今は朝鮮が日本を滅ぼす力を持っている。戦略的地位が変わった。戦争になっても米国は日本を守らない。自国の平和は自国で守る必要がある。

 米国は日本へ2回も核を落とした。ビキニ環礁での核実験で日本の漁民を殺した。日本人民は米国の核によって被害を受けた。米国は世界で核をもっとも多く持っている。

 米軍基地によって、沖縄県民に被害が出ている。米国が日本人民に被害を与えているのに、(日本を)現実的に支配している米国に脅威を感じていない。政策が大きく間違っている。

 日本が米国に頼ることには干渉しない。だが日本は米軍基地に(年間)700億ドル出しているが、朝鮮への(植民地支配の)賠償はしていない。日本が賠償をし、関係改善へ向かうならば対決にはならない。安倍が考えを変えれば、その700億ドルを出さなくても良くなる。

 道(注:地方の行政区域)にある(日本人の)遺骨(への対応)は、中央から言っても聞かないことがある。日本の外務省が、日本人遺骨を勝手に処分しても良いと言えば地方の人たちは喜ぶだろう。そうなれば処分して花園にし、この問題をなくす。

 朝鮮側は、遺骨は厄介な物と考えているので、日本政府からこのことについて、何らかのコメントが欲しい。人道問題を政治的に利用することはない。

北朝鮮からの拉致被害者情報を政府が隠ぺい

 米国政府当局者が8日、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が「朝鮮半島の非核化」について協議する意思があることを北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)当局から直接伝えられたことを明らかにした。5月末までに行なう予定の米朝首脳会談に向けての秘密接触の中で伝えられたようだ。

平壌のバス停
平壌(ピョンヤン)市内でバスを待つ人々2018年3月2日撮影)

 「朝鮮半島の非核化」は金日成(キム・イルソン)主席の時代から北朝鮮から提案されているものだ。しかし、北朝鮮が米国まで到達する核ミサイルを完成させている現在ではまったくその重みが違う。

 こうした米朝交渉の準備と、北朝鮮と韓国・中国との関係改善が着実に進む中で、日本は完全に取り残されている。慌てて日朝首脳会談を模索したものの、それによる「成果」が期待できない状況になった。今年3月頃、北朝鮮が日本に「拉致問題は解決済」と改めて伝えてきたというのだ。

 そうした中で3月下旬に、日本政府のリークか内部告発によると思われるとんでもない情報が流れた。政府によって、「拉致被害者」と認定されている田中実さん=失踪当時(28)と「拉致の可能性を排除できない」とされている金田龍光さん=失踪当時(26)について、2014年に日朝が接触した際に北朝鮮から「入国していた」と伝えられていたというのだ。

 この二人が、自分の意志に反して北朝鮮へ渡ったのかどうかは分からない。だがこれは極めて重要な情報であり、日本政府がその安否を確認するために全力で取り組んでもおかしくない。ところが、何もしなかった疑いがある。

 二人に関する情報が伝えられたのは2014年5月の「日朝ストックホルム合意」の前だという。この「合意」によって、北朝鮮は国内にいるすべての日本人を調査することになった。

 その対象は、拉致被害者と行方不明者・残留日本人・日本人妻・日本人遺骨。私の取材で、残留日本人と日本人妻たちだけでなく、「よど号グループ」まで複数の担当が出向いてきちんと調査をしたことが分かっている。政府はその結果を聞くため、中国・瀋陽で協議したり訪朝団を派遣したりしている。

 このように、日本政府がこの二人の情報についての確認や本人たちへの面会をする機会は何度もあったが、それをしなかったのだろうか。何よりも、この重要な情報を今まで隠し続けてきた安倍政権の責任が厳しく問われる。

日朝関係に翻弄された劇的な人生

『週刊金曜日』2018年3月16日号に掲載した記事を紹介する。

家族を思い、日本と朝鮮を行き来した平島筆子さん死去
日朝関係に翻弄された劇的な人生

 衝撃の事実を告げられ、私は思わず大きな声を上げた。朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌(ピョンヤン)へ行ったところ、取材予定の女性が急死していたのだ。

平島還暦祝い
 平島筆子さん(中央)の還暦祝いでの家族写真。祝宴は朝鮮へ戻ってから、7年遅れで開かれた。孫のオ・チョンヒョクさんは左から3人目。

 1959年12月から在日朝鮮人の帰国事業が始まり、朝鮮人男性と結婚していた日本人妻1831人も朝鮮へ渡った。1938年11月生まれの平島筆子さんもその一人だ。

 平島さんは、東京都葛飾区新小岩のあんみつ屋で働いていて、電気工の朝鮮人男性と出会う。平島さんの両親は強く反対したものの、二人は1959年12月の帰国船で朝鮮へと渡った。平島さんは「安筆花(アン・ピルファ)」という朝鮮名を使った。

 平壌での生活を始めて10年ほどしたころに突然、夫は行方不明になる。家族には「病死した」と伝えられた。頼りにしていた夫がいなくなり、日本の家族からの仕送りもなかった平島さんの生活は苦しくなった。

 日本にいる二人の妹に会いたい、両親の墓参りがしたいという思いが募っていた時に、日本人妻を「脱北」させて高額の利益を得ようとするブローカーに声をかけられた。そして2002年11月に中朝国境の川を歩いて中国へ渡り、翌年1月に日本へ帰国。

 落ち着いたのは、かつて暮らしていた葛飾区。そこを選挙区とする平沢勝栄衆議院議員の秘書・沖見泰一さん(64)が、世話をすることになる。平島さんは、生活保護の支給額が減らされるのを承知で仕事に出るほど元気だった。

 ところが朝鮮から、長男のオ・カンホさんが死亡したという連絡がある。「平島さんは長男の嫁と子どもたちが心配になり、神経性胃潰瘍になったんです。寿司が大好きだったのですが、それも食べなくなりました」と沖見さんは振り返る。

 亡くなった長男には二人、長女には一人の子どもがいた。平島さんは、朝鮮の家族の元へ戻ることを決断。2005年4月18日、北京の朝鮮大使館で記者会見を行い「金正日(キム・ジョンイル)将軍万歳!」と叫んだ。

 朝鮮へ戻ってからの平島さんは優遇を受け、家族たちと平壌で生活を開始。還暦や古希のお祝いや行楽地などで、家族と撮ったどの写真の平島さんも幸せそうにみえる。

 平島さんは北京での記者会見から2カ月後に、沖見さんへ電話をかけた。それをきっかけに沖見さんは、毎月決まった日に電話をし、自費で医薬品などを送り続けてきた。肉親でもできないことである。その理由を聞くと、「日本にいた時の交流で情が移ったから」と語った。

 ところが突然、その平島さんが倒れた。この時のようすを、平島さんの長男の息子であるオ・チョンヒョクさん(29歳)から平壌市内のホテルで聞いた。

 「祖母は2年前から血圧が高くなって頭痛があり、8カ月前からは心臓も悪かったんです。1月11日に、散歩から戻ると心臓に圧迫感あると訴えました。入ったトイレで悲鳴を上げて倒れたので、薬を飲ませようとしたものの死亡していました」。

 祖母への思いを聞くと、「高齢なのに足が速く、燃えるような性格の愉快な人でした。私は誇りに思っています」と答えた。帰国後にインタビューした沖見さんは「日本政府は『日朝ストックホルム合意』で日本人妻についても同意したにもかかわらず、それよりも拉致問題を優先しました。日本人妻の里帰りといった、解決可能なことから取り組むべきです。平島さんの死を無駄にしないで欲しい」と言う。

 朝鮮人の夫、日本の妹たち、朝鮮の子や孫という家族への思いから二つの国を行き来した平島筆子さん。私は日朝関係に翻弄されたその劇的な生き方を、直接に聞きたかった。

日朝首脳会談の実現には政策転換が必要

 3月21日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、韓国・北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)・米国による三者首脳会談の可能性について言及した。

咸興を行き交うタクシー
咸興(ハムフン)市内を行き交うタクシー(2018年2月21日撮影)

 また韓国は、歌手やアイドルグループで構成する芸術団160人を、3月31日から4月3日まで平壌(ピョンヤン)へ派遣することを決めた。南北融和を進めようという文在寅政権の強い意志が表れている。

 一気に動き出した北朝鮮情勢に対し、異常なほど米国以上の北朝鮮バッシングに力を注いできた安倍政権は完全に対応が遅れた。このままでは蚊帳の外に置かれるのは確かだ。「朝鮮中央通信」は20日の論評で、安倍政権を批判している。

 「予想できなかった急激な朝鮮半島情勢の変化によって、ひとりぼっちの境遇になった日本の安倍一味は、北朝鮮の対話平和攻勢は国際社会の持続的な圧力の結果だの、気短な対話は北朝鮮の時間稼ぎに巻込まれることだの、制裁を緩めることがあっては絶対にいけないだのと騒がしく振舞っている」

 北朝鮮が対話へ転じたのは、核・ミサイル技術がほぼ完成したため、米国と対等の立場で交渉できるようになったと判断したからだ。「制裁の効果」などではない。

 今月3日まで、13日間にわたって平壌と地方都市で取材した。道路を行き交う自動車の数は減ってはいなかったし、ガソリン代を含む車両チャーター価格は変化がなかった。それどころか地方都市でも、新しいガソリンスタンドやタクシーを何度も目撃した。

 平壌で昨年4月に完成した黎明(リョミュン)通りでは、今も大掛かりなライトアップが続いている。厳しい制裁が長期にわたって続けば目に見える形での影響が出るかも知れないが、今時点では変化はない。

 安倍政権は、日朝首脳会談に意欲があることを複数のルートで北朝鮮へ伝えたという。だがそれに、北朝鮮が容易に応じることはないだろう。北朝鮮の最大の外交目標は、米国との関係改善である。韓国との対話推進は、そのための方策の一つでもある。北朝鮮には、すぐに日朝関係改善に取り組む必要性がないのだ。

 しかも、拉致問題への強硬姿勢で首相になった安倍晋三とでは、交渉が進んだとしても結局は拉致問題で行き詰まることが目に見えている。それは2014年の「日朝ストックホルム合意」の破たんで明らかだ。

 安倍首相が本気で日朝関係改善を考えているのならば、拉致問題だけでなく他の課題にも同時に取り組むという方針へ転換するべきだ。

 その課題とは2002年の「日朝平壌宣言」で合意した日本による朝鮮植民地支配に対する賠償・被害者への補償。そして、そもそもは日本が北朝鮮に強く要求していた残留日本人・日本人妻の里帰りの実施、朝鮮各地の日本人埋葬地への政府事業での墓参と遺骨収容などである。

北朝鮮切手を空港税関が3人がかりで没収

 3月3日に北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)から帰国。到着した日本のある空港の税関は、私が取材資料として持ち帰った北朝鮮切手20枚を没収した。

没収切手
税関が没収した切手(2018年3月3日撮影)

 日本政府は北朝鮮への制裁として、輸出入を全面禁止している。「輸出入」と聞けば、誰もが数千万円とか数億円の規模と思うだろう。ところが北朝鮮から戻ってきた者に対して日本の税関は、価格が数円のものでさえ摘発しているのだ。

 以前は検査をする際、薄汚れた白手袋を使っていたが今は素手で作業をする。ただ、世界中からの入国者のどのような荷物を触っているのか分からないので、私は手の消毒を要求。二人の職員はそれに応じた。

 検査は徹底していて、汚れた下着の入った袋まで時間をかけて調べる。北朝鮮から戻ってきたというだけで、完全な犯罪者扱いなのだ。

 こうしたことを、修学旅行などで北朝鮮から戻った朝鮮学校の子どもたちに対しても実施している。向こうで買ってきた安いマスコット人形や切手さえ取り上げてきた。泣き出した子どももいるという。この非人道的行為が、子どもたちの心をどれほど傷つけているのか。

 私への対応は、二人の職員だけでなく現場責任者である空港税関支署統括監査官まで出て来た。そして、税関検査場の後方にある小さな取調室に入れられた後、時間がかかって他の入国者の取り調べに時間がかかるとして検査場横の大きな部屋へ移された。

 税関職員によると、在日朝鮮人が親族訪問で北朝鮮の家族からお土産として渡されたものは没収しないこともあるという。判断に迷う場合、税関を管轄する経済産業省へ問い合わせているという。私の場合は夜間だったので、経産省の担当者に携帯電話で指示を仰いだとのこと。

 私は没収される前に切手をカメラで複写。税関の「別室」に1時間半もいた。押収物は焼却されるというので、外務省に寄贈したいと要望したが拒否された。

 経産省は北朝鮮への日本出国時に、10万円以上の現金の持ち出しの申告を義務づけている。そうであれば入国時の持ち込みについても、明らかに価格の安いものについては認めるべきではないか。

 北朝鮮で個人が購入した安価なものさえ没収するというのは、実にみっともない嫌がらせである。日本の「民主主義」がどのようなものであるのかが、よくわかる実例だ。

北朝鮮 小野寺防衛相が「日朝平壌宣言」を否定か

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金与正(キム・ヨジョン)朝鮮労働党第1副部長は2月10日、韓国大統領府において文在寅(ムン・ジェイン)大統領に金正恩(キム・ジョンウン)委員長からの早期訪朝を求める親書を手渡した。平昌(ピョンチャン)五輪を通して、南北融和が進む可能性が高くなった。

米軍戦車
朝鮮戦争で北朝鮮が鹵獲した米軍戦車(2017年4月12日撮影)

 こうした流れに日本と米国は、焦り始めている。安倍晋三首相は9日、文在寅大統領との首脳会談で、平昌パラリンピック終了後に米韓合同軍事演習を実施するように求めた。それに対して文大統領は「わが国の主権と内政に関する問題」として反発した。

 外国の2カ国が行なう軍事演習について、他国のトップが口出しするのはどう考えても内政干渉である。そのことを安倍首相が理解できないのは、「反北朝鮮」ということにあまりにも前のめりになっているからだ。

 そして10日には小野寺五典防衛相が、日本や韓国など国際社会が北朝鮮の融和的政策に乗ってしまい、北朝鮮は核・ミサイル開発を進めたと述べた。日本が乗ってしまったというのは「日朝平壌宣言」とそれに関連した「日朝ストックホルム合意」を指すようだ。日本政府は「平壌宣言」と「ストックホルム合意」が生きていることをたびたび表明してきた。

 私は昨年4月、宋日昊(ソン・イルホ)朝日国交正常化交渉担当大使へ3時間の単独インタビューをした。大使は「『日朝平壌宣言』は首脳会談によるものなので非常に大切にしており、関係改善の里程標となっている」と語った。

 つまり、最高指導者である金正日(キム・ジョンイル)総書記が署名した「平壌宣言」は絶対的なものであり、あくまでも守ろうとしているのだ。にもかかわらず日本はそれを否定し、日朝関係改善のための基本方針を変更しようというのか。

米朝危機の中で日本の進む道を探る

 1月30日、米国のトランプ大統領が一般教書演説を行い、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)について5分以上にわたって触れた。すぐにでも米本土の脅威になり得る核・弾道ミサイル開発を阻止するため、最大限の圧力をかけ続けるとしている。

祖国解放戦争勝利記念館と新郎新婦
朝鮮戦争の博物館を訪れた新郎新婦(2017年4月12日撮影)

 そして米国の核戦力の近代化と再建の必要性を訴え、戦略核兵器の強化を打ち出した。前のオバマ政権とまったく逆の方向へ進もうというのだ。

 同じ日の「ワシントンポスト」(電子版)は、韓国駐在米大使にビクター・チャ氏を起用する人事案が白紙になったと報じた。チャ氏は、ブッシュ政権(第43代)で、北朝鮮の核についての「6カ国協議」での次席代表を務めた。

 起用されなかったのは、トランプ政権の「国家安全保障会議」が北朝鮮への限定攻撃を検討していることに対し、懸念を示していることが理由だという。

 毎年2月から行われる米韓合同軍事演習は、韓国での平昌(ピョンチャン)五輪の後に延期された。だが終了後に実施されれば一気に緊張が高まり、米軍による先制攻撃の可能性がある。

 こうした米国の動きに対し、安倍政権は完全に支持し追随をしている。米国は北朝鮮との複数の交渉ルートを持っているが、日本は北京の北朝鮮大使館へ抗議文を送ることぐらいしかできないようだ。

 しかも北朝鮮と国交のある国々に、外交・経済関係を断つよう積極的に働きかけている。それは「国連安保理」決議で求めていることでもなく、他国の外交政策に介入するものだ。

 そして何よりも、このような「圧力一辺倒」の極端な政策を続けるならば、その傷痕と恨みは北朝鮮の人々の心にいつまでも残るだろう。日本がかつて行なった植民地支配と同じように、長期にわたって修復ができない。

 また安倍政権は、敵対する国を徹底的に追い詰めることの危険性を、日本の歴史から学んでいない。米国ジョンズ・ホプキンズ大学の北朝鮮分析サイト「38ノース」が出した被害想定は、最悪の場合の死者は「ソウルで203万人」「東京で180万人」というとんでもない数字だ。これには、北朝鮮や日本の他の都市での被害は入っていないので、数百万人で済まない可能性もある。

 東アジアがこうした極めて危険な状況にあることを、自分のこととして正面から受け止めることが必要だ。そのための一助となればと、イベントが予定されている。

第2弾 緊急企画 北朝鮮 もう一つの視点
-日本初公開映像を交え、日本の進む道を探る-
◆日時 2018年2月5日(月) 13:30 - 17:30  13:00開場
◆場所 参議院議員会館講堂(千代田区永田町2−1−1)
◆プログラム
◇講 演 「米朝危機の歴史的経緯と日朝の課題」 伊藤孝司(フォトジャーナリスト)
◇映像上映「廃墟の上に立ち上がった朝鮮(朝鮮戦争での米軍爆撃の記録)
         「米帝侵略軍の武装スパイ船 プエブロ号」(平壌市内の艦内で上映)
◇対 談 「朝鮮映画と日本」 小林正夫(カナリオ企画代表)& 伊藤孝司
◇交流紹介「日本と朝鮮半島の子どもたちの心をつなぐ」
        筒井由紀子(KOREAこどもキャンペーン事務局長)
◇朝鮮半島の平和に向けてのメッセージ
        宇都宮健児(元日弁連会長)
        井筒高雄(VFPジャパン / ベテランズ・フォー・ピース・ジャパン代表)
◆主催 NPO法人世界ヒバクシャ展
◆資料代 1000円(学生は500円)
◆お申し込み フォームhttps://form.os7.biz/f/1dc21f1e/  080-3558-3369

北朝鮮 カメラがとらえた「三池淵楽団」

 1月15日、板門店(パンムンジョム)の軍事境界線北側にある「統一閣」で、平昌(ピョンチャン)五輪への北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の芸術団派遣について南北局長級実務協議が開かれた。北朝鮮が「三池淵(サムジヨン)管弦楽団」の約140人を派遣することが決まった。

三池淵楽団軍服

三池淵最高指導者

三池淵楽団ミサイル
三池淵楽団(3枚とも2017年8月15日撮影)

 この楽団についてテレビのさまざまな番組で報じられているが、誤った内容があまりにも多い。私は昨年8月15日に平壌(ピョンヤン)市内において、公演のすべてを写真とビデオで撮影した。

 テレビで「北朝鮮通」のコメンテーターたちが自信ありげに、この楽団はクラシック演奏が中心なので「モランボン楽団」よりも政治色がないように語っているが決してそのようなことはない。楽器の編成や演出が異なるだけである。

 昨年8月の公演では、金日成(キム・イルソン)主席、その妻の金正淑(キム・ジョンスク)女史、金正日(キム・ジョンイル)総書記、そして金正恩(キム・ジョンウン)委員長の映像がスクリーンに次々と登場。2発の弾道ミサイルの発射時の映像も流れた。また楽団員は、チマ・チョゴリの民族衣装だけでなく軍服姿でも登場している。ディズニー映画の音楽を演奏したことがあるのは「モランボン楽団」であるにもかかわらず、「三池淵楽団」だと流した局もある。

 北朝鮮についての報道は、間違っていても不正確であっても抗議や告訴を受けないため、いい加減な確認作業をしただけの言いたい放題になっている。マスメディアはそのことに長らく甘んじてきたが、それは報道のあり方そのものを歪めてしまっていることに気づいていない。
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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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