北朝鮮 建国70周年祝賀行事の写真を掲載

 『週刊金曜日』2018年10月19日号(同日発売)に「北朝鮮創建70周年 英語からITまで人材育成に大変な努力」と題した写真と記事を掲載する。

行進する市民
軍事パレードで行進する市民たち(2018年9月9日撮影)

 9月9日を中心にした北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の建国70周年の祝賀行事を、海外メディアと共に取材。ビデオ撮影だけでなく写真を撮影し、その枚数は約5500枚にもなった。

 誌面には、そこから厳選した写真を中心に、26年間・40回の朝鮮取材からみたこの国の変化について書いている。

北朝鮮 日本人妻58年ぶりに感動の再会

『週刊金曜日』2018年9月28日号に掲載した、在朝日本人妻再会の記事を紹介する。

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在朝日本人妻・中本愛子さんを日本の妹が訪ねる
家族が足を運ぶことが日朝改善の“道しるべ”

 帰国事業で、朝鮮人の夫とともに朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ渡った日本人妻たち。その里帰り事業は、長らく中断されたままだ。そうした中で日本から家族が訪ねて行き、58年ぶりの再会を果たした。

中本・林再会
林恵子さん(左)に抱きつく中本愛子さん。それを孫の鄭光洙さんが見守る(2018年6月23日撮影)

 中本愛子さん(朝鮮名:キム・エスン、86歳)が、抱えられてワンボックスカーから車いすへ乗り移る。こちらへ向かって動き始めると、そのようすを見守っていた林恵子さん(67歳)が駆け出した。

 「恵子やー、ごめんね。別れた時は10歳だったのに・・・」と愛子さんが流暢な日本語で叫ぶと、「会えたのが信じられない」と恵子さんが興奮しながら答えた。

●見つかった日本の妹
 2018年6月23日、朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)咸興(ハムフン)市。ここで暮らす愛子さんと会うため、恵子さんが日本からやって来た。日朝の政治に翻弄されて会えなかった姉妹が、58年ぶりに再会した。

 1959年12月から在日朝鮮人の帰国事業が始まり、朝鮮へ9万3340人が渡った。そのうち、朝鮮人と結婚していた日本人配偶者は1831人で、ほとんどが女性だった。筆者は17年4月から4回、朝鮮で暮らす残留日本人と日本人妻の在朝日本人たちに会った(『週刊金曜日』「里帰りを熱望する在朝日本人妻たち」18年6月8日号参照)。

 日本政府が要求していた日本人妻の里帰り事業が97年11月から始まり、3回にわたって43人が里帰りした。ところが2002年10月に予定されていた第4回は、拉致問題による日本での世論悪化を理由に急遽中止される。それに参加することになっていた愛子さんは、兄弟たちとの再会と両親の墓参りという夢を絶たれた。その時に、愛子さんを受け入れることになっていた長男の紘一さんは09年に亡くなる。

 愛子さんは、故郷・熊本で妹と別れた時のようすを、今年2月に話してくれた。
「朝鮮へ行くと知るとびっくりするから、北海道だと言ったんです。『姉ちゃん、来年には帰っておいでよ』と言う恵子に『行ってきます』と私は答えました。それが最後のやり取りです。生きているのかどうか、それだけでもわかればいいのに・・・。死ぬ前に、一度でも会いたいです」

 愛子さんは、51年前に恵子さんから手紙を受け取った。それは今では崩れそうなほど古ぼけているが、「死んだら棺に入れてもらう」というほど大切に保管してきた。今年2月にこの手紙見せてもらった筆者は、妹を捜して欲しいとの依頼を受ける。

 手紙に記された昔の住所からたどって捜した結果、恵子さんが見つかった。筆者は次回の訪朝で持参しようと考え、恵子さんの愛子さんへのビデオレターを収録。だが恵子さんは、姉と会うため訪朝することを決断した。筆者は、そのための交渉と案内をすることになる。6月20日、恵子さんと二男・真義さん(37歳)は、片道3日間かかる咸興をめざして熊本を出発した。

●打ち解けた日朝の家族
 愛子さんは、日本から妹が会いに来ると知ると「生きていたのか」とうれしくて泣いた。16年の熊本地震の後に、昔の住所へ手紙を出してみたものの戻ってきた。「地震で死んでしまったのではないか」と心配していたからだ。

 肉親との58年ぶりの再会という人生で最大級の出来事を前にした愛子さん。子や孫たちに冷やかされながらも、吸い続けてきたタバコを絶った。髪も黒く染める。その一方で、心配と不安が沸き上がってきた。再会して抱き合った瞬間に、愛子さんが妹に盛んに謝ったのはその気持ちからだ。

 「恵子は私をひどく恨んでるだろう、と思っていました。『私たちを捨てて朝鮮へ行った』いうてね。会いに来るって聞いて、本当に会いたいのだろうか、会ったとたん私を叩くんじゃないかって考えもしたんです」

 愛子さんと恵子さんは、5人兄弟の一番上と下。20歳近くも差がある。愛子さんが朝鮮へ渡った後に両親は亡くなった。朝鮮へ渡ったことで長女として何もできず、恵子さんに苦労を掛けたという思いが強いのだ。

 愛子さんの現在の家族は、娘の朴日和(パク・イルファ)さん(54歳)と3人の孫。24日には、娘と孫息子の鄭光洙(チョン・クァンス)さん(31歳)と孫娘の鄭日順(チョン・イルスン)さん(28歳)が加わり、海岸でバーベキューをすることになった。

 ビールと焼酎を酌み交わすうちに冗談が飛び交い、日本と朝鮮の二つの家族はすっかり打ち解ける。恵子さんの名付け親は愛子さんだという“秘話”まで飛び出した。
 娘の日和(イルファ)さんだけでなく、孫たちも日本語が少しできる。愛子さんと恵子さんの日本語での会話を、横でうなづきながら聞いていて、ときどき短い日本語をはさむ。

 愛子さんは子や孫たちに、日本の昔の歌を子守歌のように聞かせていたという。日順(イルスン)さんが立ち上がって童謡の「あめふり」を歌う。それを聞いた光洙(クァンス)さんが、歌詞の「アメ」は「飴」だと思っていたと言うと皆が大笑いをする。長らく日本とのつながりが途絶えていた愛子さんだが、子や孫たちにこうした形で「日本」を伝えていたのだ。

 25日には恵子さんと真義さんは、日本人妻らが結成した「咸興にじの会」の事務所を訪ねた。愛子さん以外に、3人の会員が待ち構えていた。2人は最初に、愛子さんを支えてもらってきたことへの感謝を述べた。この会の会長で、愛子さんととりわけ親しい残留日本人の荒井琉璃子さん(85歳、『週刊金曜日』「大国に翻弄され続けた“最後の朝鮮残留日本人”」17年12月8日号参照))は恵子さんに「妹に会ったみたいで自分のことのようにうれしい」と語った。

 だが愛子さんは、複雑な心境を皆の前であえて吐露した。
「こうして妹と会えたのが100%うれしくはないんです。本当は、後ろめたい気持ちが半分あります。他の(日本人妻の)皆さんたちは、会えていないからです」
 自分は日本の家族と奇跡的に再会できたが、他の人たちは容易ではない。そのことを思うと素直に喜べないのだ。

●再会から里帰りへ
 「恵子と会えたから、墓参りして父さんと母さんにも会わなきゃね。歩けなくて這ってでも、たとえ1時間でもいいので里帰りしたい。それができたら、もうこの世に未練はないですよ」

 愛子さんはこう語る。日順(イルスン)さんが「日朝関係も改善されると思います。そうなれば祖母に日本へ里帰りしてもらい、墓参りをしてお酒を供えさせてあげたいです」と言う。すると光洙(クァンス)さんが「それは私の祖母だけでなく、朝鮮にいる日本人のお婆さんたちの一致した気持ちだと思います」と続けた。

 敵対的な日朝関係が続く中で、日本の家族による日本人妻への訪問が実現したことは画期的である。だが在朝日本人たちがもっとも望んでいるのは、朝鮮での肉親との再会よりも、日本への里帰りによる兄弟たちとの再会と両親の墓へ参ることなのである。

 日本が朝鮮へ長年にわたって求めてきた日本人妻の里帰り。日本政府は、容易に実現できるこの人道問題にただちに取り組むべきだ。

 「愛子姉さんだけでなくその子どもや孫も、自由に日本と行き来できる状況になることが一番ですね。それが実現するまでは、日本から家族が足を運ぶことが“道しるべ”となるのではと思っています」

 そう語る恵子さんは真義さんとともに、他の日本人妻の再会を手助けすることを考えている。少し勇気を出して踏み出せば、他の人たちも再会できるかも知れないと思ったからだ。

北朝鮮の姉との58年ぶりの再会を記事に

 『週刊金曜日』2018年9月28日号(同日発売)に「在朝日本人妻・中本愛子さんを日本の妹が訪ねる 家族が足を運ぶことが日朝改善の“道しるべ”」と題した記事を4ページで掲載する。

中本愛子さん(左)
夜遅くまで語り合う中本愛子さん(左)と日本からの妹(2018年6月23日撮影)

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)で暮らす日本人妻・中本愛子さんを、日本から妹が訪ねた。58年ぶりの、感動的な再会となった。

 その実現にいたる私の取材の経緯、日朝で別れて暮らしてきた姉妹の思い、北朝鮮での二つの家族の交流のようすを記事にした。また、中本さんが北朝鮮へ渡ってからの生活のようすがわかる複数の写真を紹介している。

 長いジャーナリスト生活の中で、私の取材によって不可能と思われていたことが実現するということがときどきあった。この姉妹再会の実現は、敵対的状況が続く日朝関係の中で奇跡のような出来事である。

 北朝鮮での取材には多くの制約がある。しかも、写真やビデオの撮影をするのは容易ではない。姉妹再会が実現し、それへの時間をかけた取材ができたのは、私の40回もの北朝鮮取材の積み重ねが大きい。それは、困難な取材を実現させるためのジャーナリストとしての執念と努力の結果だと自負している。

北朝鮮取材「再会 ~日朝に別れた姉妹の58年~」を放送

 昨年4月以降、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の地方都市・咸興(ハムン)まで5回も訪れ、そこで暮らす残留日本人と日本人妻を取材した。それらはテレビで3本のドキュメンタリー番組、雑誌で3本の記事として発表。

日本人妻再会
咸興で暮らす中本愛子さん(右)と日本からやって来た妹(2018年6月26日撮影)

 取材した一人の日本人妻が大切にしてきた、日本の妹から51年前に送られてきた手紙。そこに書かれていた住所で妹を探し出したことから、感動の再会が実現した。朝日放送テレビ制作の「テレメンタリー2018」で、9月23日からテレビ朝日系列で放送する。


再会 ~日朝に別れた姉妹の58年~
 戦後、在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡った日本人妻たち。フォトジャーナリストの伊藤孝司は去年、今年と彼女たちへの取材を重ねた。
 そのうちの一人、中本愛子さん(86)は、日朝間の協議が進まず里帰りを実現できずにいる。我々は、中本さんの依頼を受け日本で家族を探した。妹は熊本県で暮らしていた。姉の存在を伝えたところ訪朝を決意。58年ぶりの再会を果たした。「家族が自由に行き来できるようになって欲しい」そう願って姉妹は別れた。
   ナレーター:河野多紀
   制作:朝日放送テレビ

<放送日時>
*各局での放送時間は都合により変更になる場合があります。
 テレビ朝日 9月23日 日曜日0430~0500
      http://www.tv-asahi.co.jp/telementary/
 北海道テレビ放送(HTB) 土曜日2535~2605
 青森朝日放送(ABA) 月曜日2540~2600
 岩手朝日放送(IAT)  日曜日2620~2650
 東日本放送(KHB) 火曜日2556~2626
 秋田朝日放送(AAB) 土曜日2555~2635
 山形テレビ(YTS) 土曜日2625~2655
 福島放送(KFB) 日曜日2555~2625
 新潟テレビ21(UX)  土曜日0520~0550
 長野朝日放送(abn) 日曜日2525~2555
 静岡朝日テレビ(SATV) 月曜日2625~2655 日曜日(再)2655~2725
 北陸朝日放送(HAB) 日曜日2630~2700
 メ~テレ 木曜日0429~0455 火曜日(再)2隔週0430~0455
 朝日放送テレビ(ABC) 日曜日0455~0525
 広島ホームテレビ(HOME) 月曜日2625~2655
 山口朝日放送(yab) 月曜日2538~2608
 瀬戸内海放送(KSB) 日曜日0520~0550
 愛媛朝日テレビ(eat) 金曜日0425~0455
 九州朝日放送(KBC) 日曜日26550~2725
 長崎文化放送(NCC) 日曜日2700~2730
 熊本朝日放送(KAB) 日曜日0420~0450
 大分朝日放送(OAB) 月曜日2615~2645
 鹿児島放送(KKB) 日曜日2555~2625
 琉球朝日放送(QAB) 日曜日2550~2620

北朝鮮「建国70周年」から日本へ戻って待ち構えていたものは

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ「共和国創建70周年祝賀行事」の取材に行った。今年3回目、通算40回目である。

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創建70年で行われた軍事パレード(2018年9月9日撮影)

 9月13日に羽田空港へ着くと、税関の前にかなりの乗客がすでに行列。「検査を強化しているのでご理解を」とのアナウンスが盛んに流れている。私の番になった。モニターを見た検査の職員の表情が急に厳しくなり、「北朝鮮には行ってないのか」と聞く。そうだと答えると「荷物を調べる」と言う。いつものことだ。ここから税関とのやり取りは、今回は約40分間続いた。

 職員は、検査しても何も出てこないのでスーツケースを閉じようとした。私は、「2005年に北朝鮮で購入した目覚まし時計がある」と伝えた。すると「包装を開けて使用したものは構わない」と言う。私は、税関が検査依頼を受けている経済産業省に電話して確認をするように要求。財務省の地方支分部局である税関による北朝鮮から持ち帰ったものの検査・没収は、明確な基準なしに行われているのではないかと疑ったからだ。

 経産省へ連絡した先の職員の上司が「持ち込むのは問題がない」改めて言う。そこで私は、今年6月28日の、関西空港での神戸朝鮮高校生徒への没収という対応との矛盾を質した。その時の没収品の中には、北朝鮮で購入後に着たスポーツウエアや、以前に現地で購入して日本から持って行ったポーチといったものがあるのだ。

 「時計は機械なので違う」などと、職員はわけのわからない理由を言う。私はさらに、神戸の朝鮮高校の後に、同じ関空へ戻った大阪朝鮮高校学校の生徒にはなぜ没収が行われなかったのかを質した。

 職員は「検査するかしないかは、その時の税関の状況による」という。つまり、北朝鮮から持ち込まれる何の問題もない土産や書籍の没収に時間をかけていたら、もっとも重要な薬物や金塊密輸の取り締まりがおろそかになるということのようだ。この日の羽田も大量の乗客が並んでいるにも関わらず、使われていない検査台があった。そのことを指摘すると、これで最大の体制だという。

 だが神戸と大阪の朝鮮高校への対応に差があったことは、もっと大きな理由がある。神戸朝鮮高校生徒への大量の没収は、新聞でも報じられて抗議が殺到。税関のカウンターはいくつもあるが、どの職員も大阪朝鮮高校生徒の誰からも没収しなかった。大阪税関の方針として控えたのは間違いない。

 なお神戸朝鮮高校へ、生徒から没収した品物の約80パーセントを返還するとの連絡があった。だがそのために、没収された人への事情聴取を求めているという。何というふざけた話だろう。没収された人が到底受け入れられない条件をつけ、「返還」のポーズを示すための対応だ。没収の際の「任意放棄書」には現住所の記載もあり、それへ連絡して返還すれば良いだけの話しである。

 この日、羽田で検査強化をしたのは、北朝鮮から戻る人が多いからではないという。だが私と同じ便で北朝鮮から戻った人たちは、ことごとく検査を受けて没収されていた。明らかに名簿を準備して待ち構えていたようだ。

 税関は、北朝鮮から戻った人の対応基準について上からの指示などはないという。だが私の体験からすると、没収の基準は日朝政府間の関係が見事に反映されてきた。

 北朝鮮への日本政府によるさまざまな制裁が続いている。その中で、目に見える税関でのこうした対応は、北朝鮮政策の象徴となっている。また安部首相の、北朝鮮への強硬策を示すためのものだ。そのために、北朝鮮から戻って来た人が持ち帰る数百円・数千円の品物を、制裁のための「輸入禁止対象」として容赦なく没収してきた。「民主主義国家」として愚かで恥ずかしいこの行為を、いつまで続けるつもりなのか。

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プロフィール

こだわりジャーナリスト

Author:こだわりジャーナリスト
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は200回近くで、そのうち北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へは数十回です。現在、年1~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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