朝鮮が韓国との「7・4共同宣言」堅持と表明

7月2日の午前11時に、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「世界の人民と連帯する朝鮮委員会」から声明文がメールで送られてきた。

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平壌(ピョンヤン)の「祖国統一3大憲章記念塔」(2012年4月11日撮影)

朝鮮は6月16日に開城(ケソン)の「南北共同連絡事務所」を爆破し、韓国への強硬策が続くことが予想された。

だが24日の「朝鮮中央通信」は、金正恩(キム・ジョンウン)委員長が韓国への軍事行動を保留したことを伝え、いくつかの朝鮮メディアのウェブサイトから韓国批判の記事が削除された。

今日送られてきた声明文は、1972年の「7・4南北共同宣言」を自主的・平和的統一の意思を誇示した歴史的出来事とし、これまでの韓国とのさまざまな合意を尊重する姿勢を明確に表明している。その全文を掲載する。

                  ■

親愛なる友人のみなさん
平壌からあたたかい挨拶を送ります。

来る7月4日、朝鮮人民は朝鮮半島分裂史上はじめて北と南が共同の合意を成し遂げた7・4北南共同声明採択48周年を迎えます。

7・4北南共同声明の発表は、朝鮮の北と南が国の統一のための共通の志向と意志を確認し、国の統一を民族の団結した力に依拠して自主的な原則で、平和的方法で達成しようとする全朝鮮民族の強烈な統一意志を内外に誇示した歴史的出来事となりました。

7・4北南共同声明を通じて、自主、平和統一、民族大団結の3大原則が闡明され、祖国統一のための根本的担保がもたらされました。

2000年と2007年の2度にわたる北南首脳会談で発表された6・15北南共同宣言と10・4宣言は、祖国統一3大原則の具現であり、継承であり、実践的な発展として、7・4共同声明の不変の真理性と偉大な生活力を誇示しました。

金正恩朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、朝鮮人民の永遠なる領袖である金日成主席と金正日総書記の畢生(ひっせい)の念願であり、全朝鮮民族の世紀的宿願である国の統一を必ず達成しようとする確固たる決心と意志、崇高な祖国愛と民族愛を体現し、2018年の1年だけでも3回にわたる北南首脳対面を実現し、朝鮮半島の恒久的かつ強固な平和と繁栄、統一を実現するための朝鮮人民の正義の闘いを導いています。

世界の人民と連帯する朝鮮委員会は、今後とも祖国統一3大原則とその具現である北南共同宣言を一貫して堅持し、全朝鮮民族の要求と利益に即して国の自主的統一を達成するための崇高な活動で自らの責任と役割を果たすでありましょう。
敬意を表します。

世界の人民と連帯する朝鮮委員会
2020年7月2日

<証言>朝鮮と韓国が批判する軍艦島の奴隷労働

日本政府は6月15日、総務省第2庁舎別館の「産業遺産情報センター」の一般公開を始めた。この施設は、軍艦島と呼ばれる長崎県の端島など23施設で構成する世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」(2015年登録)に関して展示している。

日本政府はこれらを世界遺産登録する過程で、アジア太平洋戦争期に多くの朝鮮人を軍艦島などの施設において強制労働させた事実を認めている。ところがセンターの展示では、朝鮮人「徴用」工への差別や虐待を聞いたことがないとの元住民の証言だけが展示されており、差別的待遇を否定するものとなっている。

これに対して朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「朝鮮中央通信」は22日、「朝鮮人強制連行被害者・遺族協会の代弁人談話」を発表。端島炭鉱での朝鮮人労働者の過酷な労働について述べた上で次のように断じている。

「日本政府がこの汚らわしい劇を演出したのは、反人倫的犯罪の責任から逃れて自分らが負っている賠償義務を払拭して正しい歴史認識を「自虐史観」と罵倒し、国民を愚昧化してまたもや海外侵略の突撃隊に駆り出そうとする奸悪な悪巧みが潜んでいる」

そして韓国政府は22日、ユネスコに対して世界遺産登録の取り消しを検討するよう要請。外交部報道官は、世界遺産委員会において日本に後続措置を求める決定文が採択されるよう要請した。

私は多くの韓国・朝鮮人被爆者を取材してきた。その中には、端島炭鉱で奴隷労働をさせられた人もいた。2015年の「明治日本の産業革命遺産」登録時にも紹介した証言を再録する。(この記事すべての転載は自由ですが、証言部分だけの引用には事前の連絡・承諾が必要です)

             ■

徐 正雨(ソ・ジョンウ)

1928年10月2日、慶尚南道(キョンサンナムド)生まれ
2001年8月2日死亡
長崎市三菱造船所で被爆


父母は私が幼い頃に渡日し、名古屋で畳屋を営んでいました。そのため、私は祖父母に育てられたんです。祖父母は小作人で、田畑は1反くらいしかなく、生活が貧しくて(私は)学校へ行けず、7歳の時から祖父の厳しい監督下で農業をしました。

自宅の徐正雨
自宅の徐正雨さん(1997年3月16日撮影)

干ばつの年は米がろくにできず、麦を粉にしてお粥にしたり、そば粉を糊のようにして食べていたんです。戦時下に入ると米の供出が厳しく、日本人か鉄棒を地面に突き入れて隠した米を捜したりしました。

1943年4月、村(面)役場から徴用令状が届きました。同じ村から連行されたのは二人で、郡の役所へ行くと数千人も集められていました。年齢は15歳から20歳の者が多く、私は最年少でした。

私の親はおらんから、そんなことなかったけど、皆は親たちが、「息子を連れて行ったらあかん」ちゅうて抱きついて泣きよったんです。それを日本の手先の朝鮮の警察官とか役人が、蹴飛ばすようにして連れて行きました。そこからトラックと汽車で運ばれ、船で下関に着いたんです。私は300人とともに長崎県の端島炭鉱に回されました。

そこは海中に作られた人エの島で、通称「軍艦島」といわれ、朝鮮人もずいぶんいました。一種の監獄島ですよ。陸だと朝鮮人が逃げるから、と連れて来られたんだと思います。

軍艦島では、もう何度自殺しようと思ったかわからんとです。横穴坑に入り、腹ばいで石炭を掘らされるうえにガスが出るとですから、苦しくて苦しくて・・・。背中に石炭をかつぎ、頭にはカンテラをつけているんですよ。とても暑かった。落盤事故も多かったです。

食べ物といえば、イワシを大きな釜でぐたぐた煮たのと、お汁と豆粕のご飯を食べさせられました。こればかりだと、お腹か痛くなり下痢をするんです。そして具合が悪いと言うて仕事に行かないと、事務所に呼び出されて日本人に棒で殴られるんです。炭坑の班長には兵隊出身の韓国(朝鮮)人がたくさんいました。

実際に自殺した者も多く、海に飛び込んで逃げようとしておぼれ死んだ者もいます。毎日12時問くらい働きましたが、まともに給料をもらったことはありません。

徐 正雨
「三菱造船所」を見る徐正雨さん(1984年10月撮影)

4~5カ月後、捕虜収容所にいた捕虜たちと入れ替えに、私たちは「三菱造船所」の仕事で幸(さいわい)町の寮に移されました。それで私の命は救われたとです。もしあのまま軍艦島にいたら、おそらく生きておらんかったでしょう。

しかし寮にいた間も、病気や栄養失調などで70~80人が死にました。そこでもコンクリートの壁に囲まれ、逃げることはできんとです。この寮では「君が代」を歌わされたり皇民化教育が行なわれ、就寝時刻以降はいっさい私語を禁じ、外出も許されませんでした。

造船所の仕事は最初、鋲焼(びょうやき)、後からカシメ作業をしました。寮を朝8時頃出て、夕方5時か6時に帰って来るんですが、前と後ろに偉い人が立っていて、私たちはその間に1列に並んで、海岸通りを歩いて寮と造船所を行き来しとりました。捕虜たちも同じように1列に並んで歩いているのを見ました。捕虜も私たちも変わらんやったですね。

ある日、造船所から帰る途中、稲佐付近の派出所の前を通りかかった時、巡査が二人いて私だけを呼び止めたんです。そして腹ばいにさせられ、銃剣術の時に使うような樫の棒で腰をめった打ちに叩かれたんです。理由を聞くと、理由聞くなちゅうて、ものも言わせんやったとですよ。

原爆の時は造船所にいてカシメ作業をしとりました。ピカーと光った後、パーッと音がして町の方が燃えあがり、造船所の中の物が落ちて釆ました。幸町の寮に残っていた約l00人は全員死亡したと思うています。

朝鮮半島の平和は文在寅大統領の決断に

朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は6月16日に、開城(ケソン)の「南北共同連絡事務所」を爆破した。その理由は明確であるにもかかわらず、日本ではメディアや「朝鮮問題専門家」たちが見当違いの解説をしている。

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非武装地帯の監視所(2018年6月29日撮影)

そのもっとも酷いものは、「制裁と新型コロナウイルス感染防止によって窮地に陥っている国内を引き締めるため」とか「経済援助や制裁緩和を引き出すため」といったものだ。

朝鮮が、2017年に格段に強化された国連安保理による制裁と、新型コロナウイルス感染防止のために中国などとの貿易をほとんど停止していることで影響を受けているのは確かだろう。

しかし、南北関係を決定的に悪化させる「南北共同連絡事務所」爆破という冒険ともいえる行動に出たのは、そのような国内対策であるはずがない。「自力更生」を長期にわたって続けてきた朝鮮は、貿易に大きく依存している国々と比較にならないほど経済的ダメージを受けていない。

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朝鮮戦争の博物館「祖国解放戦争勝利記念館」(2018年6月30日撮影)

どの国であれ現在の政治・社会の状況は、それまでの長い歴史の延長線上にある。南北関係を大きく規定しているには、朝鮮と米国との敵対関係である。それは1950年からの朝鮮戦争で激しく戦ったことが大きいが、1866年に平壌(ピョンヤン)まで侵入した米国の武装商船「シャーマン号」が撃破された事件からすでに始まっているのだ。

なおこの米朝関係の詳細な歴史については、拙著『朝鮮民主主義人民共和国 米国との対決と核・ミサイル開発の理由』(一葉社)に詳しい。
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朝鮮が「南北共同連絡事務所」を爆破した理由は、南北首脳会談で合意した2018年4月27日の「板門店(パンムンジョム)宣言」と、その年の9月19日の「平壌共同宣言」での約束を韓国が守らなかったためである。

「南と北は、休戦協定締結65年となる今年、終戦を宣言し、休戦協定を平和協定に転換し、恒久的で強固な平和体制を構築するため、南北米3者、または南北米中4者会談の開催を積極的に推進していくことにした」

「板門店宣言」のもっとも重要なこの約束の実現のため努力を文在寅(ムン・ジェイン)政権は怠り、縮小はしたものの米韓合同軍事演習を続けた。またビラ散布の中止を合意していたにもかかわらず、民間団体による昨年10回、今年3回の実施を容認している。

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板門店で見学者に説明する人民軍将校(2019年5月17日撮影)

そして「平壌共同宣言」で合意した開城工業団地と金剛山観光事業の再開に、文在寅政権は踏み出せなかった。

「表では非武装地帯の営所撤収、地雷除去を演出し、裏では外部勢力と結託した戦争演習を頻繁に行い、天文学的血税をかけて同族を狙った先端戦争装備を搬入したのも、他ならぬ南朝鮮当局である」(「朝鮮中央通信」6月19日)

南北合意実現のための努力を怠っている文在寅政権に対し朝鮮は、「南北共同連絡事務所」の所長や職員の引き上げや、金剛山観光地区の韓国が建設した施設の撤去要求、そして新型コロナウイルスでの医療支援の拒否といった形で不満を表明してきた。そうしたことの積み重ねの上に、今回の爆破があるのだ。

南北共同事業の開城工業団地と金剛山観光を進めるために、これら地域から撤退していた人民軍部隊の再駐屯も実施されるだろう。

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金剛山の朝鮮人観光客(2010年10月13日撮影)

「民族共同の合意文のインクが乾く前に『韓米実務グループ』なるものに束縛されて北南間の問題をことごとく外部勢力に言いつけて承認だの、請託だのと哀願しながら奔走した鼻持ちならない行跡を嫌気がさすほど注視してきた」(「朝鮮中央通信」6月19日)

つまり、南北合意は米韓関係に束縛されて実現しなかったとする。朝鮮との融和政策を進めようとする文在寅政権であっても、1945年8月の南北分断から始まった米国との深いつながりを変えることができなかったのだ。

南北関係を戦争状態にしても何も生まれないことは、これまでの歴史からすれば明らかだ。今回の爆破は、文在寅政権に米国との関係を今こそ転換するよう荒療治で促すものだ。朝鮮半島に平和をもたらすかどうかは、文在寅大統領の決断にかかっているといえる。

「新型コロナ鎖国」の北朝鮮が密かに進める新外貨獲得戦略とは

2020年6月9日配信の『現代ビジネス』に執筆した記事を紹介する。

          ◆

「新型コロナ鎖国」の北朝鮮が密かに進める新外貨獲得戦略とは
白頭山を「世界ジオパーク」登録申請中


■「世界ジオパーク」登録を目指し

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が白頭山(ペクトゥサン)地域を「世界ジオパーク」に登録するために、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に積極的に働きかけていることを「朝鮮中央通信」(5月31日)が報じた。

「朝鮮ユネスコ民族委員会は、チュチェ107(2018)年に白頭山地域を朝鮮初の世界地質公園に登録することを決定し、ユネスコの手順規定に従って推薦意向書を提出したのに続いて、昨年には申請文書を提出した」

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白頭山のカルデラ湖・天池(2002年8月撮影)

ここで述べられている「世界地質公園」とは「世界ジオパーク」のことだ。それについて文部科学省ウェブサイトに次のような説明がある。

「地層、岩石、地形、火山、断層など、地質学的な遺産を保護し、研究に活用するとともに、自然と人間とのかかわりを理解する場所として整備し、科学教育や防災教育の場とするほか、新たな観光資源として地域の振興に生かすことを目的とした事業」

北朝鮮が「ジオパーク」登録を申請したのは今回が初めて。ただ白頭山は1989年に、ユネスコの「エコパーク(生物圏保存地域)」に登録されている。

「ジオパーク」と「エコパーク」は、どちらも自然環境の保全と地域の持続可能な発展の両立を目指す国際的な枠組みで、主な対象が前者は地層・地形など地球の活動にかかわる地学的な遺産であるのに対し、後者は生態系の遺産という違いがある。

■「世界遺産」は2件が登録済み

ユネスコの「ジオパーク」や「エコパーク」と性格を異にしているのが「世界遺産」である。こちらは世界で唯一の価値を持つ文化財・景観・自然などを後世に残すための制度で、登録にはハードルが高い。北朝鮮は、白頭山や金剛山(クムガンサン)の登録も望んでいた。

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「江西大墓」に描かれた玄武(2014年10月撮影)

すでに北朝鮮で「世界文化遺産」登録を受けているのは「高句麗(コグリョ)古墳群」(2004年指定)と「開城(ケソン)の歴史的建造物と遺跡」(2013年指定)の2件。

日本画家の平山郁夫さんは、ユネスコ親善大使に就任したことを契機に、私財までつぎ込んで「高句麗古墳群」の「世界遺産」登録に奔走した。

登録された王などの墳墓63基の多くに、高句麗時代の文化や風俗を描いた壁画がある。「江西(カンソ)大墓」などの壁画には、日本の高松塚古墳壁画と大きな共通性がある。私も、狭い玄室に入って鮮明で色彩豊かな壁画を見た時には思わず驚嘆の声を上げた。

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開城の世界遺産「恭愍(コンミン)王陵」(2013年6月撮影)

平山さんは2009年に亡くなったが、生前の活動が「開城の歴史的建造物と遺跡」の「世界文化遺産」登録へとつながった。高麗時代の政治や文化を伝える12件の建造物や墳墓などが登録されている。

■特別な存在の白頭山

白頭山は、中国との国境にある標高2744メートルの火山。山頂のカルデラ湖である天池(チョンジ)は、貯水量19億5500万立方メートル、最大水深384メートルと巨大である。

外国人が白頭山へ行くには、平壌空港から国内便に乗ってこの山の南東側の麓に位置する三池淵(サムジヨン)空港まで行く。この小さな地方空港を国際空港にするための改修工事が「韓国観光公社」などの支援で実施され、滑走路をコンクリートからアスファルトに変える工事も完了している。

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改修前の三池淵空港(2012年4月撮影)

次に、空港からは小型バスで白頭山へ向かう。ここでは、ロシア製の馬力のあるバスが使われている。白頭山はなだらかな山なので、特別な許可があれば歩かずにこのバスで山頂まで登ってしまうことも可能だ。

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山頂に向かうロシア製のバス(2017年8月撮影)

北朝鮮にとって「白頭山」は、極めて特別な場所である。金日成(キム・イルソン)主席が白頭山一帯での抗日パルチザン闘争を指導し、麓の原生林の中に設けた「白頭山密営」で金正日(キム・ジョンイル)総書記が生まれたとして「革命の聖山」と呼んでいる。

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「密営」前で集会をする人々(2012年4月撮影)

現在の南北関係停滞の前の2018年9月20日には、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が南北首脳会談の最終日に金正恩(キム・ジョンウン)委員長と共に白頭山を訪れている。

「北南首脳が民族の象徴である白頭山に共に登り、北南関係の発展と平和繁栄の新時代に明確な足跡を残したことは民族史に特筆すべき歴史的出来事である」

「朝鮮中央通信」2018年9月21日
金正恩委員長と文在寅大統領(「朝鮮中央通信」2018年9月21日)

このように「朝鮮中央通信」は報じている。「朝鮮民族の祖」と呼ばれている檀君(タングン)は、白頭山で生まれたとされている。韓国人にとっても白頭山は、「民族の象徴」として極めて重要な存在なのである。

■白頭山での貴重な体験

私が白頭山を訪れたのは2002年から2017年までに計4回。山頂からの天池の雄大な光景だけでなく、針葉樹がどこまでも続く原生林や高山植物が一面に咲き乱れる麓の光景にも魅せられた。

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高山植物のお花畑(2002年8月撮影)

また、白頭山ではさまざまな体験をすることにもなった。

2012年4月、金日成生誕100年の記念行事を白頭山でも取材した。この時は4月中旬にもかかわらず吹雪になり、バスはスリップして動かなくなった。結局、白頭山の山頂へ行くことはできず、外国人などの多数の参加者は凍えながら雪道を何時間も歩くことになった。

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雪道を歩く記念行事の参加者たち(2012年4月撮影)

私にはまた、白頭山にまつわる忘れられない貴重な体験がある。

白頭山から韓国の釜山(プサン)まで、朝鮮半島を縦断した日本人探検家がいる。関野吉晴さんは、人類発祥の地であるアフリカのタンザニアをめざし、南米・チリの南端から旅に出た。「グレートジャーニー」と名付けられたその冒険は、1993年から2002年までかけて約5万キロメートルを徒歩・自転車・カヤックなどの人力で行なわれた。

関野さんは次の挑戦として、日本へ人類が渡ってきた三つのルートをたどる旅を開始。その一つの「中央ルート」は、ヒマラヤからインドシナ半島を経て中国へ入り、朝鮮半島を通って対馬を目指すというものだ。

朝鮮半島縦断の可否は、北朝鮮を旅する許可を得ることが出来るかどうかにかかっていた。「グレートジャーニー」のテレビ番組を制作してきたプロダクションは、それまでイランといった許可が容易には出ない国での撮影も実現させてきた。ところが北朝鮮については、いくつかのルートで交渉をしたものの成功しなかった。日朝関係悪化の中で、北朝鮮のどの機関もこの難しい企画を引き受けようとしなかったのだ。

2007年1月になり、その制作プロダクションは私に北朝鮮との交渉を依頼してきた。それだけでなく、北朝鮮の北端から韓国の南端までの旅のコーディネートをして欲しいという。私は、それまでの北朝鮮取材での経験を踏まえてプランを作成。それを、北朝鮮における日本メディアなどの受け入れ機関「対文協(朝鮮対外文化連絡協会)」へ送った。

ところが「実現は不可能」とあっさりと断られたのだ。関野さんの都合から、撮影は遅くとも8月には実施する必要がある。こうなれば、交渉のために訪朝して直談判するしかない。

■次々と待ち構えるトラブル

6月23日、私は一人で訪朝し、「対文協」のスタッフに、内容を絞り込んだ新たなプランについて時間をかけて説明した。そしてこの国でもっとも格式の高い「高麗(コリョ)ホテル」内のレストランの個室で、日本局長と会食。公式の場では朝鮮語しか使わない局長は、私に流暢な日本語で「前向きに検討しましょう」と語った。

これでほぼ大丈夫だろうと判断し、私は帰国便に乗った。

帰国後、しばらくして「許可する」との連絡が届く。北朝鮮取材は、許可さえ得られれば三分の一は終わったようなものだ。

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抗日闘争時代の姿の金日成像(2017年8月撮影)

そして8月8日、一足先に私だけが平壌へ行く。宿泊するホテルは、日本との連絡が取りやすい「高麗ホテル」にした。このロケではトラブルが多いのでは、と思ったからだ。そのように覚悟はしていたが、問題はすぐに起きた。

着いた翌日、日本の制作プロダクションから連絡が入る。関野さんらが、日本からの経由地の中国・瀋陽から平壌まで搭乗する予定の「高麗(コリョ)航空」が、自転車は120センチ以下に梱包したものしか積んでくれないというのだ。

私から、日本にある「高麗航空」の代理店へ電話をする。だが同じ返事なのだ。こうなればまた直談判である。ホテルからも近い「高麗航空」本社へすぐに向かう。結論はその場で出た。

「例外として許可しましょう」

よほど特別なことでなければ、北朝鮮でも、相手と会って話をすれば何とかなるものだ。

この結果を伝えるために日本へ電話すると、今度は別の問題が起きていた。

「自転車1台は平壌で調達して欲しい・・・」

関野さんの旅は、その国の青年と一緒に旅をすることになっている。そのため、2台の自転車を日本から運ぶことになっていたのだが・・・。

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開城の関野さんと朝鮮人青年(2007年8月撮影)

「百貨店ならばあるだろう」と思ってタクシーで何ヵ所かを見に行くが、どこにも置いていない。「看板に自転車を描いた店をどこかで見たような気がする」と「対文協」の案内人が言う。そのあいまいな記憶を頼りに探しに行くと、マウンテンバイクの絵を掲げた立派な店舗を見つけたのである。それは、北朝鮮で自転車生産をしている中国との合弁企業の店舗だった。

広々としたきれいなショールームには、さまざまな種類の自転車が並んでいた。私が感心したのは、150キログラムもの荷物を積むことが可能な、とんでもなくがっちりした自転車。日本で走ったら、話題になるのは間違いない。北朝鮮では、こうしたものが活躍するのだろう。

一般的な自転車の価格は、日本円に換算すると約8400円。今回の走行のために、マウンテンバイクを約1万2000円で購入した。

11日の朝、雷を伴った大雨が降る。部屋の窓から外を見ていて、人々がホテル前の道路を横断しているのに気がついた。いつもと違う。何かおかしい!

ホテルの前には地下通路があり、本来ならそれを使わないと警察官に厳しく注意されるのだ。にもかかわらず地上を横断している。聞けば、どうも、地下通路が雨で水没しているようだ。

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大雨で堤防から溢れ出そうな大同江(2007年8月撮影)

この高級ホテルのロビーは雨漏りしていて、床にいくつもの容器が置かれている。心配なのは、地方都市との電話連絡が出来なくなっていることだ。

そうした状況の中で、関野さんとカメラマンを出迎えに平壌空港へ行く。二人は無事に到着。ところが空港から市内へ向かう車の中で、とんでもないことが判明した。

「取り外していたクランク軸を持って来るのを忘れた・・・」

関野さんが、つぶやくような声でそう言うのだ。クランク軸がなければ自転車は動かない。すでに午後6時半なので、自転車販売店は閉まっている。

■強風の白頭山をスタート

翌朝、憂鬱な気分で雨の中を平壌空港へ向かう。自転車は、平壌で購入した1台だけを持って行く。意気込んで準備してきたので、残念な気持ちでいっぱいになる。

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三池淵空港まで乗った「アントノフ24」(2007年8月撮影)

朝鮮半島縦断の旅のスタート地点とした白頭山へ行くために、平壌から三池淵空港まで「高麗航空」の小型機をチャーターした。もっとも安い10人乗りを予約したのだが、空港に用意されていたのは40人乗りの「アントノフ24」だった。この旧ソ連製のプロペラ機は、初飛行が1959年と古い。

航空会社が、燃料費が増えるにもかかわらず大きな機体へと変更したのには大きな理由があった。「天候が悪いからです」。そう聞かされて、一気に不安になる。

雨の中を機体は動き出す。空港ターミナルから滑走路へ行くまでの誘導路は、雨水で完全に水没していた。少なくとも30センチは溜まっている。窓からは、車輪が巻き上げる大きな水しぶきが見える。まるで「水上飛行機」である。

関野さんやカメラマンは押し黙っている。「未知の国」での旅のスタートがこの飛行なのである。三池淵空港へ無事に離陸すると、機内には安堵感が漂った。

三池淵空港からは、チャーターした車で移動。鬱蒼とした原生林の中を延々と走り続け、ようやく森林限界に出た。なだらかな斜面の先に山頂が見える。車から降りると、石を敷き詰めた道が設けられている。前に来た時にはこれがなく、車を降りたら山頂近くだったので驚いたことがある。

山頂の関野
山頂で撮影をする関野さん(2007年8月撮影)

白頭山の山頂に着くと、とんでもない強風が吹いていた。しかもその風は、火口へと吹き降ろしているのだ。よろよろと歩いている一行を見て、係員がやって来た。「危険なので、吹き飛ばされないように!」。

火口の湖までは急な崖なので、落ちたら助からないだろう。ビデオカメラを載せた三脚さえも倒れそうだ。しかしこの強風のおかげで、雲に覆われていたカルデラ湖が次第に姿を現した。超広角レンズでも、全体が入らない。わずかな時間ながら、美しく雄大で感動的な光景が眼前に広がった。

密営前の関野
「密営」前で説明を聞く関野さん(2007年8月撮影)

平壌へ戻ってみると、車体に合わせて製作を依頼していた自転車のクランク軸が完成していた。関野さんがすぐに試してみると、問題なく使えそうだという。これで、自転車2台での走行が可能になった。

■北朝鮮から韓国へ移動する

北朝鮮では今、外国人向けのサイクリングツアーもあるが、どこでも自由に走ることができる訳ではない。私たちは何とか工夫しながら、19日に板門店(パンムンジョム)へ着いた。その入り口には「ソウル 70キロメートル」と書かれた道路標識がある。

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非武装地帯で説明を聞く関野さん(2007年8月撮影)

「朝鮮人民軍」将校の案内で「軍事停戦委員会」の本会議場内へ入る。ここへは南北のどちらから訪れた観光客でも入ることができる。中央にあるテーブルの真ん中が軍事境界線だが、会議場内であればそれを越えて反対側へ行くことが認められている。

だが、ここから韓国へ入ることは出来ない。関野さんの北朝鮮での旅はここで終わった。空路で中国を経由して韓国へ入り、旅の続きはこの同じ会議場から始めることになった。

■「ジオパーク」登録の行方

昨年12月19日に韓国で公開された劇映画『白頭山』は、公開初日に45万人の観客を動員する大ヒットとなった。この映画は白頭山の噴火をめぐる物語だが、韓国で暮らす人たちにとっても他人事ではないのだ。

白頭山は約3000万年もの間、繰り返し噴火をしている。約1000年ごとに大規模噴火を起こし、200~300年ごとに小規模噴火をしている。946年に起きた大規模噴火では、朝鮮半島全体に1メートル以上積もらせるほどの膨大な噴出物があり、海を越えた火山灰は北海道と東北地方に5センチほど堆積した。この時の噴火で、現在の直径約4キロメートルもの巨大カルデラができている。

前回の大規模噴火から1000年が過ぎた。現在、このカルデラ湖の地下にマグマが分布していることが確認されており、噴出して湖水と接触すれば巨大な水蒸気爆発と土石流が発生する危険性が高い。

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「密営」の案内人女性たち(2012年4月撮影)

そうした大きな危惧はあるものの、白頭山一帯の開発は着実に進んでいる。昨年10月には、中国との国境地帯にある恵山(ヘサン)と白頭山観光の拠点である三池淵とを結ぶ鉄道が完工。国家プロジェクトとして推進されてきた三池淵市街地の大規模工事が、朝鮮労働党創建75周年にあたる今年10月10日の完工をめざしている。

北朝鮮は現在、「新型コロナ鎖国」といえるほど感染防止のために外国人への厳しい入国禁止措置を続けている。白頭山の「世界ジオパーク」登録申請は、その解除後に再開される観光による外貨獲得戦略の重要な一環である。

ただ、現在、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ユネスコでの審査が遅れているという。また、北朝鮮への外国人入国禁止措置の解除も、見通しは立たっていない。 

(配信以外の写真は筆者撮影)

北朝鮮「対テロ非協力国」指定に「よど号」実行犯が寄せた見解

2020年5月17日配信の「現代ビジネス」に掲載した記事を紹介する。
          ◆

北朝鮮「対テロ非協力国」指定に「よど号」実行犯が寄せた見解
アメリカには関係ない問題なのに


■アメリカに協力しない国

米国務省は13日、「武器輸出管理法」に基づき北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)をイラン、シリア、ベネズエラ、キューバと共に、2019年における米国のテロ対策に協力していないとして「対テロ非協力国」に再指定した。

祖国解放戦争勝利記念館のモニュメント
朝鮮戦争を記念した平壌のモニュメント(2014年4月撮影)

この指定が一体どういったものかについて、米国務省は次のように説明する。

「この認定は、防衛品および防衛サービスの輸出またはライセンスを禁止し、これらの国が米国のテロ対策に非協力であることを米国民および国際社会に通知するもの」

つまり米国の「テロとの戦い」に協力しない国だとして名前を公表し、武器などを販売しないというのだ。

北朝鮮が「対テロ非協力国」として最初に指定されたのは1995年で、それからは毎年、リストに掲載されているという。だだ、北朝鮮はすでに国連安全保障理事会などの強力な制裁を受けているため、この指定によって影響を受けることはないと思われる。

なお米国は、北朝鮮を「テロ支援国」との指定もしている。「大韓航空機爆破事件」などを理由に1988年1月に指定したが、2008年10月に核施設凍結の見返りとして解除。ところが拘束されていた米国人大学生が解放後に死亡したことなどにより、2017年11月に再指定している。

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主体思想塔と大同江(2019年7月撮影)

「テロ支援国」は、米国務省によって国際テロ行為への支援を繰り返していると指定された国のことで、武器関連の輸出と販売の禁止、経済援助の禁止、金融取引などの制限をするとしている。現在、北朝鮮の他に指定されている国は、イラン、スーダン、シリアとなっている。

■再び米朝間の交渉材料に

米国務省は、今回の北朝鮮への「対テロ非協力国」再指定の理由ついて下記のように説明する。なお発表文の中で、なぜかこの箇所では北朝鮮を「North Korea」ではなく正式名「Democratic People's Republic Korea」の略称である「DPRK」と表記している。

「1970年の日本航空機のハイジャックに参加した4人の日本人が、北朝鮮に居住し続けた。日本政府はまた、1970年代と1980年代に北朝鮮の国家機関によって拉致されたと考えられている12人の日本人の運命についての完全な説明を求め続けた」

主体思想塔前の4人
平壌で暮らす「よど号」ハイジャック犯たち(2014年9月撮影)

つまり2019年に、「よど号」ハイジャック犯4人が北朝鮮にいたことと、拉致被害者12人の安否を日本政府が求め続けたからだというのだ。だが、本来、どちらも米国には関係のない問題である。安倍首相に「忖度」してのことか、他に指定の理由が見つからなくて無理やり考え出したものではないのか。

米国が1988年1月に北朝鮮を「テロ支援国」指定をした理由の一つも「よど号」ハイジャック犯を保護しているというものだった。その「よど号」を再び持ち出して、今度は「対テロ非協力国」指定の理由とした。人々の記憶から消え去ろうとしていた「よど号」ハイジャック犯は、米国によって再び北朝鮮との交渉材料とされたのだ。

*「よど号」問題については、ハイジャック事件50年に際して詳細な記事を掲載したばかりなので、そちらも参考にしていただきたい。
実行犯が語る「よど号ハイジャック事件」50年目の新事実
[上]
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[下]

■「よど号」グループの見解

私は、北朝鮮への「対テロ非協力国」の指定理由に「よど号」問題が入ったことについて、平壌の「よど号」グループにコメントを求めた。すると「私たちの見解」としてメールがすぐに送られてきた。

よど号グループ学習会
「よど号」グループの学習会(2014年9月撮影)

「私たちは『よど号ハイジャック』について、帰国に際しては逮捕、裁判を受け入れるとしています。私たちの帰国の障害物になっているのは、日本政府(警視庁)がでっちあげた『よど号・欧州・拉致逮捕状』です。この『拉致逮捕状』がある限り私たちは帰国することができません」

つまり帰国してハイジャックでの罪は償うが、拉致関与は冤罪であるので解決するまで帰国できないというのだ。

「朝鮮政府の私たちの帰国問題への立場は、帰国するか否かは本人の自由意思によるというもので、何ら私たちの帰国を阻むものではありません。『よど号ハイジャック参加の4人』の帰国を阻む非協力者は、朝鮮政府ではなく日本政府である、というのが私たちの見解です」

このことを説明するために、さらに2時間後、補足説明が送られてきた。彼らの、突然降りかかってきた火の粉を振り払おうという真剣さが伺える。

「ハイジャック時に『よど号乗務員と政務次官、赤軍派学生(私たち)を受け入れるよう』、朝鮮政府に要請したのは日本政府です。朝鮮政府はその要請を受け、人道的に入国を許可したものです」

それを裏付けるように、1970年にいきなりやって来た「よど号」ハイジャック犯を亡命者として受け入れた北朝鮮は、この問題を日本や米国との交渉カードとして使ったことはなかった。

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凱旋門から見た平壌市内(2019年10月撮影)

こうしたことからすれば、「よど号」ハイジャック犯の「北朝鮮居住」の解決は、日本政府と「よど号」グループで行なう問題であり、米国にはまったく関係がない。また日本人拉致問題の当事者でもない米国が、日本政府の要求が実現しないことをもって北朝鮮を「対テロ非協力国」指定の理由にするというのは道理に合わない話である。

■拉致問題解決も遠のいた

北朝鮮は、国連安全保障理事会や米国・日本などの独自制裁によって極めて厳しい措置を受けている。そのため、今回の米国による「対テロ非協力国」と2017年の「テロ支援国」再指定は、北朝鮮への強硬姿勢を示すための象徴的な意味合いが強い。

この「対テロ非協力国」再指定はもちろん、トランプ大統領再選後の米朝交渉を見据えての措置だろう。この指定に対して北朝鮮が強く反発をするようであれば、交渉はさらに遠のく可能性がある。

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平壌郊外での米兵の看板を叩く競技(2004年5月撮影)

安倍政権が北朝鮮に対して独自外交を展開する意思がないのは明白だし、新型コロナウイルス対策に手いっぱいの状況は今後もしばらく続くだろう。日朝交渉が動くとしたならば、米朝関係が確実に改善へ向かう状況になった時だろう。

米国が「対テロ非協力国」再指定によって交渉のハードルを上げただけで終われば、拉致問題を含む日朝間のさまざまな課題の解決はかなり先になるのは確かだ。
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プロフィール

伊藤孝司

Author:伊藤孝司
フリーランスのジャーナリストとして長年にわたりさまざまな取材を行い、数多くのメディアで発表してきました。
海外取材は約200回で、そのうち朝鮮民主主義人民共和国へは40回以上です。現在、年2~3回の訪朝をしています。
掲載写真は、引用先が非表示のものは筆者撮影です。なお、このブログに掲載している映像と文章は日本の「著作権法」と国際的な著作権条約で保護されており、無断使用はできません。転載を希望される場合は、事前にご連絡ください。

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